マキシマム ザ ホルモンのZepp Osaka Baysideのライブの話

先日、マキシマム ザ ホルモンのライブを観た。

端的にいうと、やばかった。セトリもやばかったし、パフォーマンスもやばかった。

Zepp Osaka Baysideでのライブだったんだけど、終始興奮が渦巻いていて、時間を忘れてライブに魅了されたのだった。

ところで、マキシマム ザ ホルモンって、わりと、人によって「見え方」が分かれるバンドだと思う。

ホルモンって、ゴリゴリなサウンドで、アグレシッブなパフォーマンスをする。見た目もなんだかいかつめではあるので、人によっては”怖い”と捉えるタイプのバンドだと思う。

確かに、この日のZepp Osaka Baysideでも”怖さ”の部分は垣間見得ていた。

Zeppであろうともお構いなし、モッシュピットは激しく、前方にいるセキュリティーは躍動。口を失う人がいれば、靴を前方に投げる(忘れ物を届ける的なニュアンスでの投げ)人もいる空間。

確かにそういうカルチャーから距離を置いている人からすると、少し”怖く”見える光景なのかもしれない、と思う。歌詞もなんだか野蛮なフレーズが多いし。

その一方で、あんなにも”おもろい”ライブをやるバンドもいないよなーと思う。

その”おもろさ”は怖さと対極の、ある種ハートフルで、人情味のあるものなのだ。

マキシマム ザ ホルモンのライブを一度でもきちんと観たことがある人なら感じると思うが、マキシマム ザ ホルモンって、全員”ギャグ線”が高い。

笑いの方法論はメンバーによって異なるが、トークも面白し、飛び道具的な面白さも宿っている。この日のライブでも、そういう飛び道具的な笑いが炸裂していて、松本人志ばりのMCでは滑り知らずの時間を過ごしていた。

昔のマキシマム ザ ホルモンのライブはどこまでもストイックだったときもある。

が、少なくとも近年のマキシマム ザ ホルモンのライブは至るところでユーモアの花を咲かせる。

楽曲を披露したらアグレシッブに展開していき、モッシュもダイブもござれござれという感じでゴリゴリに展開していくが、ひとたび曲が終われば、楽曲披露中とは異なる空気感を生み出し、笑いベースの空気の中で、マキシマム ザ ホルモンが率先して空気を作っていく。

ギャップ、と言っていいのかわからないが、マキシマム ザ ホルモンのライブって、”怖い”に見える人がいるかもしれない一方で、人によっては”おもろい”にも見えるという不思議な魅力を放っているのだ。

もちろん、大の前提で楽曲やライブパフォーマンスが生み出す圧倒的な高揚感や興奮が一番のベースにあるし、それを全身に浴びるためにホルモンのライブに足を運んでいる人がほとんどだとは思うが、それだけじゃない、というのがポイント。

色んな要素がホルモンのライブには宿っており、おもしいも重要な割合を占めている、というのは特筆すべき要素であるように感じる。

ダウンタウンから小泉進次郎の話

ところで、マキシマム ザ ホルモンって、自分的にはどことなくダウンタウン的な趣があると思っている。

ダウンタウンって、日本を代表するお笑い芸人であり、お笑いが好きな人であれば、まず間違いなく名前を知っている芸人だ。

そんなダウンタウンが当時、若者に絶大な人気を放った要素として「俺たちにしかわからないお笑いをやっている」感があった、という話を聞いたことがある。

いや、自分はダウンタウンよりも、もっと下の世代なので、当時の若者がどういう気持ちだったのかは後追いで想像するしかない。

んだけど、でも、色んな人の話を聞いていると、それまでのお笑い芸人とは違った佇まいやお笑いの角度が、結果的に大きな人気を放つことになったと聞くことが多い。

そして、その根源にあるのは「俺たちだけには、このお笑いがわかる」と、たくさんの人に感じさせたところにあるように感じる。今で言うと、ランジャタイとかの感じに近いのかもしれない。わかる人にだけわかるお笑い。その渦が大きくなると、全員を巻き込む感じ。

マキシマム ザ ホルモンの音楽もまた、必ずしも日本の音楽、なんならバンドシーンでみたときでさえも、決してベタで間口の広いものではなかった。

ジャンル的にみてもコアだし、楽曲のアプローチやリフの感じ、楽曲全体の構成やボーカルの混在のさせ方、歌詞に至るまで、どこまでも独自性を貫いていた。

もちろん、マキシマム ザ ホルモンの音楽は参照元を大切にしている。

音楽に対するアプローチは、どちらかというと、クエンティン・タランティーノ的であって、引用の織物を大切にしている印象なんだけど、己の好きを全部乗せにしたような濃厚さがあって、世間の流行りが「薄味のおしゃれなフレンチ」だったとしても、いつまでも天一のラーメンを突き出すような、そんな油っこさが作品に宿っている。

故に、刺さるやつにはどこまでも刺さる。

わかるやつにはわかる。

そういうトーンがある。

ホルモン側が、本心としてどう思っているかはわからないが、自分が音楽を聴いているうえでは、そういう鋭さを感じることが多かった。

そして、その鋭さがどこまでも明確かつ先鋭的だったからこそ、「俺たちには、わかる」のリスナーがいっぱい出てきた。

結果、ホルモンは唯一無二の地位を確立することになる。何年も、何十年も。

そういう人たちは他の音楽には満足できない人間だったから。

ホルモンの音楽に、ライブに、どこまでも突き刺さることになるのだった。

バンド界隈でも多数のフォロワーを抱えながら、今なお圧倒的な地位に君臨する存在になっているのは、本当に凄いよなーと思う。

なんてことを考えていたとき、マキシマム ザ ホルモンが同世代のみならず、次の世代にもを愛され続けているのは、”おもろい”の部分が研ぎ澄まされていたから、と感じることも多い。

この”おもろい”の本質にあるのって、ホルモンのある種のサービス精神だと思っている。

その場にいる人は客だろうが、演者だろうが、スタッフだろうが、何だろうが、関わった人間を全員もてなしぜ、という心意気がある気がするのだ。

ホルモンのライブって、怖いもおもろいも一面的にはあるけど、そのサービス精神のえぐさにも、自分はドキドキする。

なお、ここでいうサービス精神っていうのは、高級老舗旅館のホスピタリティーあるサービスというよりは、ラーメンの上に盛り付けるトッピングは全部無料みたいな、そういう温度感。

でも、高級老舗旅館であろうが、ラーメンのトッピングだろうが、根底にあるのは、きっと対面する人に対する、”もてなす”の心。そこは一緒。

滝川クリステルさえもドン引きするような、お・も・て・な・しの精神が、ホルモンのライブには炸裂しているのである。

だから、ワクワクがとまらない。

一度刺さると刺さり続ける。

じゃないと、何回身体を壊そうとも変わらずに首を振り回しながらステージを駆け巡ったりしないし、上裸になって帽子をかぶってバンビーノよろしくなパフォーマンスもしないし、MCもライブも休みなく全て全力全霊のガチンコのフルモードのパフォーマンスでお送りしないし、SEがかかってステージに出た初っ端から己の美学を貫き通し続けて、いかついパフォーマンスを一秒も惜しみなく披露し続けることもしないと思うのだ。

まあ、お・も・て・な・し、というよりは「こってり」とか、そういうワードで表現する方がホルモンのレビューっぽいのだろうが、この記事では、滝川クリステルをおろし続ける。

ホルモンのライブの感想を伝えるためにホルモンのライブの感想を伝えることに尽力しているからだ。

まとめに替えて

まとめよう。

だからこそ、ホルモンのライブってどこまでもワクワクする。そういう話だ。

TENDOUJIとの対バンライブを観ながら、そんなことを感じたのだった。

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