いや、KOHHって誰やねん。
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エアジャムのメンツが発表されてそう思った奴、絶対何人かいるはずだ。
怒らないから手を上げて名乗り出て欲しい。
まあ、メンツの是非やそれに対しての個人的な思いの丈は別記事に書いたので、それを読んでほしい。
たぶん、エアジャムの参戦者のうち、7割の人は「エアジャムの目的はハイスタだし、お目当てのロックバンドが見れたらいいからKOHHの時間はご飯タイムにしよう」と思って予習すらしないのだろうし、2割の人は予習はしてみたけれど、歌にメロディーとかなくてノリ方もよくわからんから無理!ってなって聴くことを断念して「KOHHの時間はご飯タイムにしよう」と思っただろうし、残り1割の人はそもそもKOHHがエアジャムに出ることすらまだ気づいておらず、当然KOHHがどんな奴かすら知っていないと思う。(この見立ては偏見アリアリですが)
確かにKOHHというアーティストは「ハイスタと同じノリ」で聴いても良さがわかりづらい。それだけは確かである。
けれど、KOHHのアクトを「お昼ゴハン」に当てるのはあまりにも勿体なさすぎる。それだけは言える。
というわけで、この記事ではKOHHのヤバさについて書いていきたい。
KOHHってどんなやつなのか?
こんなやつだ。
見たらわかると思うが、KOHHはバッチバチにイレズミを入れ込んでいるし、なんか肌も黒いし、髪の毛短いし、サングラスかけてること多いし、ちょっと鼻の下に髭生やしていたりするしで、ヤンキー感がヤバイ。
はっきり言ってちょっと怖そうである。
で、見た目も特徴的ならば、ラッパーとしてもけっこう異端で色々とヤバイ。(本人はラッパーという呼称を嫌がっているのだが、便宜上、この記事では彼のことをラッパーと評する)
どう異端なのかというと、まず、そのスタイル。
すんげえ雑にラッパーを区分すると、2種類のタイプに分けられると思う。
ヤンキー系、インテリ系だ。
ヤンキー系といえば、Zeebraを代表するキングギドラとか、漢 a.k.a. GAMIとかD.Oとかその辺り。
ジャニーズファン化した最近の邦楽ロックファンならば、視界に入れるだけでアレルギー反応を起こしそうなくらいの「オラオラ系」である。
初期のDragonAshや湘南乃風も大きな系譜の中でみれば、この流れにいる部分もある。
ちなみに、KOHHもたぶんヤンキー系だと思う。
インテリ系といえば、いとうせいこうとかスチャダラパーなんかが出てくる。
あとは、RhymesterやKREVAのように、ヤンキーっぽいふりをしているときもあるけれど、基本的にはインテリ系というラッパーも多い。
まあ、元々ラップミュージックのルーツを探れば、不良とすごく親和性のある音楽ではあるんだけど、ラップ自体は海外の産物だったわけで、そういう海の向こうのものをキャッチアップする精神が強い人=インテリがラップという面白いものがあるぞと注目したことが始まりだったりもするので、日本においてはインテリとラップもわりと相関関係があったりする。
ただ、ヤンキー系であれインテリ系であれ、今のラップシーンにおいてはMCバトルが人気になったこともあって、どれだけ早口で韻の数を踏めるか?というところに注目が集まりがちだったりする。
Creepy Nutsでお馴染みのR-指定などの登場及び躍進により、その評価はより顕著なものとなったイメージ。
で、そういう評価が顕著になっているからこそ、なおのこと、KOHHの存在はシーンにおいて、より異端的であると言えるのだ。
楽曲を聴いてみてほしい。
この歌はKOHHの歌の中でも個人的に気に入ってる「飛行機」という作品。
踊らせる気のないトラックから繰り出される、ぼくりり君よりも棒読み感が強いフロウ。
どことなく気だるそうな空気の中に漂う哀愁は、KICK THE CAN CREWの「アンバランス」なんかが好きな人には、わりとグッとくるものがあるんじゃないだろうか。
この歌は、KOHHの楽曲の中でもまだちゃんとメロディーがある歌なんだけど、少なくとも、早口とか韻を踏むことが評価されがちなラップシーンにおいては、すごくシンプルなイメージを与えるとは思う。
他のラッパーなら複数のワードを突っ込んできそうなビートでも、KOHHは一つのワードしか入れない。
少ないワードしか使わないと疾走感は損なわれるかもしれないが、その分、しっかりと歌詞が聞き取れるようになる。
歌詞を聴いてもらったらわかるが、KOHHは「韻を踏む」みたいな技術的なことは一切無視して、ただ自分の言いたいことを言いまくっている。
歌詞をもう少し丁寧に辿ってもらったらわかるが、KOHHは誰かにメッセージを伝えるということよりも、ただ自分のことや自分の思っていることを歌うラッパーなのである。
どこまでも「私信」感の強いラッパーなのだ。
だからこそ、宇多田ヒカルが自分の私信のようなアルバム「Fantôme」をリリースするタイミングで、KOHHとコラボすることを決めたのかもしれない。
まあ何が言いたいかというと、ラップとか始める人たちって、ラッパー像みたいなのがあって、過去の人たちが使ったヒップホップ用語を並べるだけになりがちで「自分を歌う」ってことよりも「なりたい自分を歌う」ことが多いなかで、KOHHは徹底して「自分のこと」を歌うし、その際、日本におけるラッパーが評価されるポイントは完全に無視して自分のスタイルを貫きがちで。
それが異端でありヤバイよね、という話。
どうだろうか?少しはKOHHに対して興味をもってもらえただろうか?
では、もう少しKOHHの歌について、踏み込んでいきたいと思う。
どんな邦ロックバンドよりも光るピュア性
KOHHの歌の良さは、リリックにおける圧倒的なピュアネスだと思う。
どういうことか?
昨今の邦ロックシーンにおいて、ライブ中はイキッて中指を突き立てるようなMCをしているけれど、ライブが終わった後「さっきは先輩に対してあんなこと言ってすんませんっした!あれはあくまでもみんなの前だったんでついつい調子のっただけでただのポーズだったんっす、、、本当は先輩のこと心からリスペクトしてるんで、これからもどうぞご贔屓してください!!!」みたいな根回しをした結果、晒されることがよくある。
プロレス業界すら、びっくりの本音と建前の世界。
いや、それが悪いこととは言わないし、そういうスタンス自体はわりと大事である。
けれど、どうしてもSNS社会だとそういうポーズって見透かされてしまいがちだし、その結果「どこまでもそのフェイクをフェイクであると自覚しながらも、そのフェイクを信じる」みたいな、ややこしい楽しみ方をしなくてはいけなくなりがちで。
例えば、マンウィズが本当の宇宙人であるなんて誰も信じていないけれど、とりあえずは宇宙人の態でライブを楽しむ、みたいな。
あるいは、あの女性アイドルは自分たちのことを金づるとしか思ってはいないことを知ってはいるけれど、もしかしたら自分たちのことを好きでいてくれてるかもしれないという擬似恋愛の延長線上でライブを楽しむ、みたいな。
「それ」がフェイクであることはわかっているけれど、それでもそれが「本当のこと」と信じて楽しむ、という逆説的な事例が、音楽系エンタメの場合はよくありがちで。
歌詞においても「どうせ自分のことを書いてるわけではないことは知っているけれど、それでもこれは自分のことを書いてるのだと信じて、自分に向けたメッセージであると想定して読み取る」という不思議なフェイクの中で歌詞を楽しむことが多いし、アーティストもそういう事実に乗っかって「この歌は君のために書いたんだ」みたいな微妙な嘘を述べたりする。
が。
KOHHはそういうフェイクとは一切無縁のうえで言葉を紡ぐ。
歌うのは徹底して自分に関心のあることだけだし、人に向けてというよりも、自分に向けて言葉を紡いでいる。
「人の目なんて気にするな」という言葉をどこまでも貫いていることがKOHHのヤバさであり、格好良さなのである。
その精神性は「JUNJI TAKADA」という歌にも、すごくよく表れている。
ご存知、高田純次という芸能人をリスペクトして歌ったこの歌。
この歌は「なぜ俺が高田純次をリスペクトしているのか?」ということを、KOHH自身が納得するように言葉を並べている、不思議な歌である。
この歌、別に高田純次に媚びを売るつもりもなければ、聴き手に「高田純次ってすげえやつなんだぜ!」と伝える気もなければ、この歌から教訓を汲み取り聴いてる君に向けてメッセージを届けよう、なんてエゴも一切ない。
確かにKOHHってラップスキルがすごく高いラッパーというわけではないけれど、己の美学と嘘偽りのない本音だけを書いたリリックを披露するという、シンプルにして絶対的な姿勢を崩すことだけはない。
そこがKOHHのヤバさであり、クールさであり、カッコよさなのである。
基本的には、KOHHって「JUNJI TAKADA」のように、金とか女とかそういうチャラいネタをあっけらかんと歌うことが多いんだけど、先ほど紹介した「飛行機」のように、病んでる自分とも向かいあうシリアスな歌も多く、そういう二つの表情、ギャップにグッとくることも多い。
「仕事を選ぶ」と公言するアーティストは多いが、大抵は「多くの人に伝えたい」というタテマエをもってして、時代の空気を読んだメッセージを込めた歌詞を書きがちである。
けれど、KOHHはそういう所にはなびかない地表にいる。
どこまでもピュアに言葉を述べるからこそ、KOHHの楽曲は他のアーティストにはないヤバさが宿るのである。
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WANIMAよりも強いポジティブ性
KOHHはなかなかに壮絶なバックグランドがある。
家族についての独白は「FAMILY」という楽曲で詳細に歌われている。
2歳の頃に父を亡くしたこと、母は薬物中毒になってしまったこと、弟が流産してしまったことなどが赤裸々に歌われる。(その後、無事生まれてきた10個下の弟のことも淡々と歌われる)
これだけの壮絶なバックボーンがあれば、自分は悲劇のヒロインである、みたいな甘くて弱いニヒリズムを気取りたくなるものである。(そして、邦ロック界隈の歌詞はこういう内向性を晒しだすことで共感を得ることが常套手段となっている)
けれど、KOHHはそういう弱さには向かわない。
それを「普通の家族さ」「君と違うだけ」とさらっと言い切ってしまうのだ。
そう。KOHHはどこまでも高田純次ばりの「適当さ」をもって事実を受け止め、それを圧倒的なポジティブに変換するのである。
今年のエアジャムはWANIMAが不在であるが、WANIMAが不在によりポジティブ成分が足りなくなってしまったため、その代わりにKOHHを呼んだのではないか?と疑ってしまうくらいのポジティブさがKOHHにはある。
この歌も聞いてほしい。
お金より愛だぜ、ってことを歌う歌なんだけど、ほんとこのポジティブ性は凄い。
某ファンキーが歌うような「人に共感を得るためだけに書いた口だけ胸熱ソング」ではなく、KOHHは自分が経験したことから言葉を紡ぎ、自分はそう思う、というただその事実だけをラップする。
KOHHのヤバさは、そういう所にも宿っている。
最近の歌は進化している
音楽的な凄さという部分で言えば、彼はあらゆるビートをジャックしているところにある。
パクるということに対して臆面がないのだ。
前項にて、KOHHは気だるそうに感情を込めずにラップするところがクールで最高と書いたような気もするが、実はこのタームは既に過去のものとなっている。
これを観てほしい。
まるでニルヴァーナがラップしているかのような情動の強さ。
グランジとブラックメタルが混ざったような感じ。歪んだギターと過激なドラムスがトラップのビートの中に組み込まれている。
ニルヴァーナという喩えがピンとこない人は、KREVAが銀杏BOYZ化、My Hair is Bad化しながらラップしてると思ってもらえたら、そのヤバさのほどが少しはわかるのではないかと思う。
ここで言いたいのは、KOHHはどんどん進化しているということ。
海外シーンのトレンドを盗んできつつ、それを自分の言葉で破壊しながら再構築していく、その貪欲さ、底知れなさがKOHHのヤバさであり、エグさであり、カッコよさなのである。
もう一度、冒頭に載せたKOHHの写真を見返してほしい。
彼、めちゃくちゃイレズミを肌に入れてるでしょ?
彼の音楽ってまさしくそういうことで、自分はこういうキャラです!っていうのが出来上がりつつあると、そこにメスを入れるようにして破壊して、また新たな「像」を作り出すのである。
破壊と創造を絶え間なく繰り返すからこそ、KOHHはラッパーという言葉ではカテゴライズできない異端さがあるし、先ほどの楽曲を聴いてもわかる通り、必要であれば、ロックに接近した音に乗っかってラップしたりする幅広さもあるのである。
BRAHMANより攻めるライブ性
KOHHのライブって、全編を通してステージの前方ギリギリに立ってパフォーマンスをする。
そして、時には客席にダイブして観客との距離を詰めたりもする。
彼のフロウは棒読みなんて言い方をしていたが、ライブにおいてはどこまでも強烈に感情を爆発させたパフォーマンスをするし、そのステージングはロックスターのそれと通ずるものがある。
ラッパーなんてどうせ右手あげて「オイオイオイ」って感じのノリしかしないんでしょ?
そんなテンションでライブを観ていたら、マジで度肝を抜かれるし、心の奥底をFxxxされてしまう。
何度でも言うが、KOHHのライブはヤバイのである。
ハイスタがなぜKOHHをエアジャムに呼んだのかはよく知らないが、その辺のロックバンドよりもよっぽどロックなパフォーマンスをするラッパーである、ということだけは改めてここに記しておきたいし、そのステージングはある種BRAHMANのトシロウに通ずるものがあるのではないか?ということもあえて記しておきたい。
まとめ
ロックが好きな人って、バンドサウンド、鳴ってる楽器の音と、ボーカルの声とその声が紡ぐメロディーを楽しみがちだから、サウンドもスカスカでメロディーがないラップってどう楽しんだらいいのかわからない、という人も多いと思うのだ。
けれど、KOHHの音楽って「音楽はこういう風に楽しむんだよ」という常識そのものをぶち壊すヤバさがある。
そして、そういうヤバさが爆発しているのが、彼のライブなのである。
だから、この記事では口酸っぱくして言いたい。
エアジャムに行くなら、KOHHだけは絶対見ておけ、と。
自分の音楽的常識が間違いなく破壊されるよ、と。
そこだけは、改めて強く推しておきたい。
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khooを聴きながら感じる魅力をとても的確に伝えている記事だと思いました。
Khooはラッパーという肩書で呼ばれるけど、そこには収まらないと思います。
HipHopじゃないってたたく人がいるけど、HipHpをやってるんじゃない、音楽やってるんだよって思います。
いろいろ変わっても、それが今Khooが表現したいアートだと思える。
今までのKhooも今のKhooも好きで、これからも楽しみ。
kohhの綴り間違ってますよ