My Hair is Bad「告白」の歌詞の意味は?解釈と考察

10月のFM802のヘビーローテーションになっているMy Hair is Badの「告白」。

新潟が生んだ、今もっともきてるバンドのひとつである彼ら。その赤裸々だと言われる椎木の歌詞について考えてみたい。

*歌詞については他サイトから確認してくださいな。

安っぽい希望を歌うわけではなく、若者の悩みや葛藤、どうしようもなさをこれほどまでに歌詞に映しつつも、けれど、なんだかほんの少しだけ前向きな気持ちにさせて、ほんの少しの勇気をもらって、「よし、やってやるか」という気分にさせる歌。

おれも、どうしようもなく路頭に迷っていた10代にこんな歌聴いてたら絶対に希望をもらっていたわ、って思う。

さて、歌詞をみていくと、最初のフレーズ(サビ)では、どうせ未来なんて大したことないんだから、大失恋になっちゃうくらいの恋でもするくらいの大胆さで生きていきたいと思う主人公像が描かれる。

とりあえず今がよければそれでよくて、思いっきり飛び込んで自由にやっていきたいと願うわけだ。

けれど、それをいちいち告白するということは、この主人公はそんな生き急ぐような生き方なんてできず、大失恋どころか、恋愛すらろくにできていないのではないかと思わせる感じがある。

実際のところはわからないけれども。

ちなみに、サビに出てくる「銘々」とは、ひとりひとり、という意味である。

つまり、ひとりひとり、それぞれが映画の主人公であり、それぞれが名映画のようなストーリーを描くべく今を生きることを渇望しているんだ、とこの歌は言うわけである。

けれど、今の日本は世間の空気的に、ひとつの失敗をすると、匿名性のある誰かからすぐに揚げ足をとられてしまうため、多くの若者は冒険せず、安全な道に進むことを選びがちなのである。

石橋を叩いて渡るようにして生きざるを得ないからこそ、若者は未来に期待なんてできなくなってしまうわけだ。

今がよければいいんだと思う自分と、でもやっぱり安全に今を生きて未来も安パイな生活しなきゃ、という葛藤があるからこそ、若者はずっと悩むわけである。

Aメロの歌詞では、「誰かに合わすのはやめたんだ」と宣言し、これが最終回の気持ちで今を生きていくことまでも宣言する。

ずっと十代でいることができないことがわかっているからこそ、わざわざそういう宣言をするわけだ。

自分すらも裏切って心の声を信じれ、と発破をかける。

そして、Aメロ後のサビでは、頭で余計なことを考えるんじゃなくて、「簡単な方に行け」「単純な方がいいさ」と発破をかけるわけである。

こうしたフレーズを書いてしまうところに、単純には割り切れない葛藤がにじんでいるようにも読める。

だからこそ、頭ではわかっていても素直に生ききれない気分を、こういうフレーズに託しているように感じられる。

そうした屈折も含めて読むと、この曲の言葉はいっそう生々しく響く。

さて、サビのフレーズをよくみてみると、「今を生きる」ことのひとつの例えとして「恋」というキーワードが出てくる。

そして、今を生きるような「恋」とは「不純に愛する」というふうに表現しちゃうのが彼らしいところである。

これはどういうことかというと、好きな相手に恋人がいたとしたら、それを奪ってでも自分のものにしちゃえ、という意味であり、自分に恋人がいて、かつ別に好きな人できたとしたら、別の好きな人とも仲良くなって、そっちの方が好きになったんなら今の恋人は捨てちゃえばいいやん、みたいな意味を指していると思われる。

サビに出てくる「簡単な方」とは、そういう衝動に従って動け、ってことなんだと解釈している。

とはいえ、現実はなかなかそんなふうに行動できるものでもなく、空回りしたり、考えを行動に移せず立ち止まってしまったりして、まるで死んでしまったダンサーのように「動けなかったり」しちゃうわけである。

結果、ほとんどの若者は悩んでしまうというわけだ。

「北北西~」のフレーズでも、不安がきてしまう若者の心理、とそんな不安を「心配なんて必要ないさ」となだめているサマが描かれる。

これこそ、まさしく葛藤しているサマなわけで、多くの若者はこんなふうにして「悩む」わけである。

ちなみにサビに出てくる「ぜったい」という言葉が平仮名なのは、絶対という漢字表記にするほど確実なことではないと思っているからである。

どういうことかというと、頭では終わりがくることはわかっているんだけど、その「終わり」というものを本気で実感もしていないし、具体的には想像もしていないというわけである。

あなただって自分がいつか死ぬことをリアルなイメージとして想像していないのではなかろうか。

「最上階~」のフレーズは、書き手自身の姿まで重ねてしまいたくなるフレーズである。

四拍子の音楽を鳴らして、とあるが、この音楽も四拍子であり、マイヘアの音楽は大体そうなのである。

そして、マイヘアの曲の多くは自分のことを歌っているようにも響き、そんな歌を緊張や不安も抱えたままステージで鳴らしているように見える。

ライブ後まで含めた熱に思いを巡らせたくなるほど、この曲には切実さがある。

そんな感じで、彼らはいくつもの夜を超えていったのだろう。

最後のサビのフレーズであるが、ブローニーとは、簡単にいえばフィルムのことである。

昔は写真をとるときはフィルムに焼き付けていたのであり、その写真を撮るときに使っていたフィルムのことである。

2000年の歴史(これは日本の歴史のことであろう)が経ち、色んな写真が撮られてきたけども、どの写真に写っている若者も心の奥底では悩んでいるように見える。

成功している若者も、失敗している若者も何故か悩んでいるように見える。

若者とは悩む生き物であり、そういうものといえばそういうものなのかもしれない。

不安になりつつも、心配ないさ、と心に言い聞かせる日々なわけだ。

終わりはくるんだ、の終わりとは青春のことであろうし、人生のことも指しているのであろう。

だから、サビの最後は「いつか死んでしまうんだ」というフレーズで締めくくる。

でも、これだけ啖呵を切っても、その通りに行動するなんてほとんどできない。

それが、椎木の本当の意味での「告白」であり、大多数の若者の「本音」なのではなかろうか。

だから、この歌のタイトルは「頑張ろう」とか「明日を生きよう」とかではなく、「告白」なのである。