久しぶりにコラムっぽい記事を書こうと思う。
最近、King Gnuのまわりでわりとざわざわしているじゃないですか?
ライブが撮影ありになって、その動画とあわせてその人の「感想」を投稿することで、良くも悪くも話題になっている感じ。
アーティスト自身もライブ中のMCなんかで、「ライブに対するスタンス」について「言及」している動画も投稿されたことで、より話が大きく広がっている印象。
ここで各自のコメントの顛末は書かないので、追いたい人だけ追ってもらうとして、ざっと目を通して思うのは「それぞれの言いたいことはわかる」という感想だった。
たしかに、ライブの楽しみ方って制限されるものではないと思う一方で、本当の意味で全員が「自由」を享受しようとすると、誰かが何かを我慢しないといけない。
わりとそういう構造はあると思う。
そして、人気になったアーティストになればなるほど、色んな楽しみ方をしたい人が同じ場所に訪れる。
だからこそ、誰かが何かを我慢する場面は確かに生まれる。そういう状況で「自分はこんな我慢をしているが、自分はこういう自由を享受したいんだけど、ダメなのかな?」と問うとすると、まあなんというか絶妙なことになるよなーとは思う。仮にSNSで投げかけるとすると、同調する人もいれば批判する人も出てきて、話がこじれるのはこじれるよなーとは思う。
自分軸の話をするなら、確かにアーティストによって「このアーティストはこういう楽しみ方がしたい」っていうのがあるし、ライブってこういう楽しみ方が良いよねとは一切言えない入り組み方をしているので、ついつい自分なんかだと「その意見も、まあわかる」みたいな中途半端な意見しか言えなかったりする。
海外のライブだったらこうだとか、このジャンルのライブだったらこうだとか、色んなケースを出して「ライブってこういうもんだぜ」って話はできる。色んな角度から。でも、逆に言うと、色んな楽しみ方をすればするほど、「これが正しい」とか「こうあるべき」は安易に言えなくて、「まあ、その意見もわかる」みたいな考えがより強くなってしまう次第。
そのうえで、ひとつ思うことがあるとすれば。
たしかに「自分が嫌だなと思う楽しみ方」があったとして、その「嫌だなと思う楽しみ方」が、そのアーティストにとっての「正解」なのだと公言されてしまったとして、個人レベルの話だときついよなーとは思う。
それを我慢してまでそのライブを行く選択は小さいだろうから、そのアーティストのライブに行くことはめっちゃ減るだろうなーという気はするし、その人の音楽体験としてあまりポジティブなことではないよなーとは思ってしまうし。
どうせなら、どんな人にとってもライブがポジティブなものであれば良いよなー思う自分としては、個々の想いともっと広い区分で考える「ライブとは何か?」みたいな話はまた違っていて、この点における落とし所を作るのは難しいなーとは思ってしまうのだ。
強いて言えば、そういうトピックがあったときのSNSの火のつけかたはちょっと気になるところではあるけども、
フェスなんかのざわざわなんかもそうだけど、今って多様性が大事みたいな空気を出しながら、自分の正義だけが絶対マンばかりの声が目立つから、インターネットがカオスになりがちで、多様性とは真逆の空気になることが多いよなーって思うから。
その意見って、誰のための何の話なんだろうなーみたいな飛び火の仕方をすることってわりとあるから。・・・にしても、やっぱりこういう話における絶対的な着地って、まあむずいよなーって思う。
こういう話であえて着地をつけるなら、ライブごとに事前にコンセプトを強いて、今回はコンサート仕様のライブにしますとか、今回はライブ仕様のライブにしますとか、そういうレールをアーティスト側が敷くくらいが落とし所になっちゃうんだけど、それもまたライブの楽しみ方を考えるうえで、本当に本質的なのかなーという話もある。
まあどっちにしろ、色んな立場や考え方の人の声がインターネットで可視化されるっていうことは、こういうことなんだよなーと思うし、そういうものも含めて「ライブとはどうあるべきか?」という折り合いの中で、それぞれのアーティストが信じる文化を育み、観客はその賛同の中で参加するしかないんだろうなーと思う自分。
文化が持続的に展開するうえで間口は広がるべきだと思う一方で、間口が広がりすぎると「こんなはずじゃなかった」という体験をする人が一定数出ちゃう中での、アーティストのライブごとに存在する何かしらの折り合い。
まあ、あんまり書き進めると、「ライブなんて行きたいやつだけ行けばいいんだ」という身も蓋もない回答に着地するんだけどね。でも、そのうえで、じゃあライブってどうあるのがよりピースフルなんだろうなーみたいなことを、自分の中でもぼんやりと考えたいなーと感じた、そんな昼。



