堂本剛のTHE FIRST TAKEの「街」、今聴くとより刺さる説

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堂本剛の「街」は、今から20年前にリリースされた、堂本剛のソロデビュー曲である。

アラサーの自分にとっては、「街」のリリースした当時は、音楽を聴き始めたばかりということもあって、音楽的な面白みの入り口の入り口しか知らなかった。

歌詞の意味もほとんど理解できていなかった。

加えて、当時の自分はテレビでみるジャニーズはただただ輝いてみえたし、いわゆる”アイドル”は悩みとか悲しみとか、そういった感情と対極にいる人たちなんだろうな、なんてことを勝手に思っていた。

あれから20年の月日が経つ。

自分は歳を重ねて、色んなことを知って、色んなことを考えるようになる。

特に自分は、音楽ブログを書いていることもあって、音楽を作る側の人の苦労みたいなものを、なんとなく想像できるようになることも増えてきた。

表面的には楽しそうに見えるけれど、実はすごく苦労しているんだろうなーみたいな想像をすることもあるし、実際にキラキラしている裏側で途方もない努力をしている人だって、たくさんみてきた。

そういう経験や知識を得ることが、より楽曲ひとつひとつの聞こえ方を変えていくのだった。

「街」もまた、歳を重ねて聴くからこそ、言葉の意味性にぐっときてしまう。

そんな一曲なのである。

本編

「街」の歌詞について

多くの楽曲は、一人称が出てくる。

僕とか私とか歌によって一人称は変わる。

ただ、この一人称に何を代入して聴くかで歌の聞こえ方って変わると思う。

多くの歌は、この一人称に自分を投じることが多く、書き手もリスナーが代入できるような言葉選びで歌詞をつづっていることが多い。

でも、「街」は、そういうタイプの歌ではないように思う。

いや、もちろん、そういう聞き方もできるだろうけれど、作り手的には代入させるための歌、感があまりない気がする。

この歌は堂本剛が堂本剛に対して、堂本剛のために言葉を綴っている、そんな構成に感じるからだ。

というのも、この歌は独特の構成をとっていて、1番と2番で違う景色を描いていることがわかる。

具体的に言えば、1番の「僕」は上京してジャニーズとして活躍する前の、奈良にいる頃の自分に対して。

2番の僕は、状況して東京で活動している自分に対して、言葉を紡いでいる。

なので、1番で出てくる「少年」は上京前の自分の影を指しているのだろうし、2番に出てくる「君」は東京で悩みを背負いながら日々を暮らしている自分が投影されているように感じる。

もちろん、僕とか君に何を代入してもいいけれど、そこに堂本剛の物語性を投影させながら色んな想いをめぐらせてみると、「街」の聞こえ方がぐっと変わることに気づくわけだ。

しかも、そこに自分の人生で感じたことまで踏まえながら想像をめぐらせてみると、言葉のひとつひとつの想いの切実さにぐっときてしまうのである。

当時人気が絶頂だった堂本剛が何を感じ、何を思って、最終的に何を導くのか。

その言葉の重さみたいなものに、ぐっときてしまうのである。

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悲しみの歌ではない

堂本剛の赤裸々な心情が、「街」という歌には描かれていることを実感する。

でも、この歌は<愚痴>的なものに昇華されているのかというと、そんなことはない。

サビの歌詞が象徴的である。

愛を見失ってしまう時代だ
街も求めているんだ
自分を守り生きていく時代だ
だからこそタマシイが
愛を刻もう傷ついたりもするんだけど
痛みだけは忘れたくないんだ

特にラストの「愛を刻もう傷ついたりもするんだけど 痛みだけは忘れたくないんだ」というフレーズ。

この歌は明確に痛みを歌にしているし、当時の自分が現在進行形で傷ついていることを言葉にしているわけだけど、その果てに行き着くのが「愛を刻もう」であり、「痛みだけは忘れたなくない」というフレーズなのが印象的だ。

そう。

痛いから辛いという話に転じるわけでもなけれど、痛みを忘れるようにポジティブに生きようみたいな話をするでもない。

他者を通じて生まれたはずの痛みを肯定し、愛を持つことで他者との関係性に違う可能性を投じていくわけだ。

今のENDRECHERIもまた、そういう歌が多いけれど、堂本剛は20年前から、すでにこの境地に辿り着きながら表現を行なっていた。

その凄まじさを感じてしまうのである。

というよりも、「街」の段階で<愛>を大切さを確信していたからこそ、ENDRECHERIの楽曲においても<愛>を重要なメッセージとして表現に落とし込んでいるのだと気づく。

つまりは、20年間、堂本剛の根本が変わることなく、自分が大切にしていた価値観を表現に落とし込みながら、楽曲を紡いでいた。

そのことを実感するわけだ。

世の中に素晴らしいアーティストはいくつもいるけれど、ここまでメッセージの核がぶれないアーティストはそういないんじゃないかと、自分は思ってしまう。

その核を作り出せたのは「痛みを感じられたから」。

だから、痛みを肯定し、「街」という楽曲においては「痛みだけは忘れたくない」というフレーズで締めくくっているのだと実感したとき、「街」の途方もなさと、そこに宿る色んな感情を想像して、ぐっとしてしまうのである。

まとめに替えて

堂本剛の音楽的な素晴らしさは色んな観点から語ることができる。

ボーカリストとしてもそうだし、サウンドアプローチの潤沢さでも語ることができる。

ただ、この記事では堂本剛のメッセージ性と、そのブレなさに照準を当てて、言葉にしてみた。

アーティストとしてブレないからこそ素晴らしいアウトプットを生み出せるのだろうし、アーティストとしてブレないからこそ、言葉を紡いだときの刺さり方が途方もないのだと実感する。

20年経った今、改めて「街」を聴くからこそ、そのことを実感したという、そういう話。

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