や、それにしても「もう切ないと言わせない」ってタイトル。
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ライトノベルかお前は、と。
あるいは、泣き路線で名を馳せているギャルゲーかよ、と。
ただ、こんなタイトルをつけるだけあって、サウンドが雄弁にタイトルを語るような仕上がりになっていたりもする。
切ないイントロ
ゲスの場合、キーボードが持つ役割が大きいし、ベースも動きまくるので、代表曲のイントロでギターが率先して前に出てくることは少ない。
けれど、今作のイントロは、いきなりギターのアルペジオで始まる。
しかも、それがなんだか切ない。
いや、切なくさせる気満々じゃないですか。
切ない切ない詐欺で訴えてやろうかって気分になるし、このアルペジオだけでなんだな「泣き」が誘発される。
しかも、キーボードの登場もなんだか切ない。
普通、ちゃんまり(ゲスのキーボード担当)のキーボードって底抜けの明るさがあって、良い意味でやかましくて、ゲスの音楽にガチャガチャ感を与えてくれる。
なのに。
今作の登場シーンでは、あくまでも「泣き」のアルペジオのギター音に寄りかかるようにして奏でられる。
なんだよ、俺を切なくさせる気かよ。やめてくれ、と言いたくなる。そんな「泣き」のイントロ。
途中から、こっそりアコギっぽい音も入れてギターの音を重ねて、さらに切なさに拍車をかける。
おいおいおいおい。
タイトル詐欺も良いところだし、こんなに切なかったらもはやインディゴじゃないか。(インディゴとは、ゲスのフロントマンである絵音の別バンドであり、切なさをウリにした切ないメロディーと歌詞がウリのバンドである)
イントロの話に戻そう。
2つのギターのアルペジオがユニゾンした後、一泊間を置いて、ベースとドラムのリズム隊が入ってくる。
どんなにめちゃくちゃな転調も、独特なメロディーラインも、論調違いの楽譜にも筋を通してしまう休日課長の魔法のベースと、やたらとハイハットを細かく刻みたがるいこか様のドラムが交わることで、この歌の流れと勢いが大きく変わる。
この切り替わりで気づくわけだ。
あ。この曲、単に「切なさ」を歌うのではなく、「切ないとは言わせないこと」を歌うつもりなのだ、と。
絵音、信じるぞ俺は。これ以上俺を切ない気持ちにさせないでくれ。
切なくなる疑惑
Aメロはゲス楽曲らしく、ラップと朗読の中間くらいのメロディーが展開される。
キーボードが自由に動き、そのバランスを取るようにベースが絶妙なフレーズを奏で、ドラムがきっちりと土台をつくる。
その間も絵音は切なさしか予感させないようなフレーズで固めたラップを飄々と披露する。
いや大丈夫だ。ここから先はきっと切なくさせることなんてない。俺は信じてる。絵音のことを信じてる。
ドラムがドカドカドカドカと叩かれることで、AメロからBメロに移行。絵音はラップをやめて、抑揚のあるメロディーを歌うようになる。
ところで、こういうAメロ→Bメロの露骨なテンポチェンジをさらっとやりのけるところが、すごくゲスらしいし、ゲスの凄さである。
というか、あのイントロとこのBメロで、普通、あんなラップのAメロを入れようと思わないだろう。
あの構成でありながらも、ラップパートを容赦なく入れるのがゲスたる所以だなーと思うし、絵音のセンスだよなーとつくづく感じる。
Bメロ→サビの移行も、ドラムのドカドカドカドカで行われる。
サビは切なさを振り切るような疾走感を意識したビート。
俺は少し安心する。これなら切なくならなくて済みそうだぞ、と。
サウンドに目を向けるならば、ゲスにしては珍しく、かなりシンバルが積極的に慣らされていて、「もう切ないとは言わせない」の間に4回クラッシュシンバルが鳴られる。
サビの「僕ら」の「ら」がえらく巻き舌なところにも意志の強さが感じられて、好感が持てる。
が。
よ〜く歌詞に耳を澄ませると「切ないとは言わせない」と言いながら、君と一緒になると約束するのは「そのうち」の話であることを告げているし、どう考えても二人の未来が「切なくなること」しか予感させないまま、サビが終わってしまう。
疾走感で切なさを振り切ろうとしている感はあるし、勢いでそれを誤魔化そうとしているフシもあるが、ダメだろ、これ。
逆に切なさを誘う構造になってるじゃん。
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切なさは止められない
2番Aメロは完全に異端な位置付けで、ここだけ明らかに別曲ってくらい脈絡のないメロディーとリズムパターンになっている。
歌詞の構造で言えば、ここだけ「あの日」の話をしている。こんなフレーズである。
あの日あの恋をしたからさ
好きなんだと枯らした
あの日あの恋をしたんだよ
ここの歌詞だけ過去の話をしているため、わざとここだけメロディラインもリズムパターンもバンドアレンジも異端な扱いにしたのかなーと。
漫画に喩えるなら、コマの外側をベタ塗りで黒くして「回想」を表現する感じ。
ここだけは楽曲全体の別のゾーンですよ、みたいなことを示している感じ。
ところで、ゲスがすごいのは、サビ入り前に一泊あけるだけで、何事もなく一番と同じ形のサビに戻ってしまうことである。
複雑なことをしているのに、複雑な印象を与えず、ポップ性を損なわせない凄さ。
まあ、だから困るのだ。
余計なことが何一つ気にならないから、歌詞の世界にどっぷりハマるし、俺の「切ない気持ち」が止まらないのである。
2番の歌詞も案の定、切なさのオンパレードでそのままサビが終わると、長い間奏に入る。
最初はキーボードが主旋のメロディーを奏でる間奏だが、ジャズっぽいテイストが舞い込んで、どこに着地するのかわからない危うさを奏でることで、より切なさに拍車がかかる。
思うのだ。
歌詞に出てくる二人は本当に「もう切ないと言わないような未来」に向かうことができるのか、と。
どこに着地するのかわからない危うい間奏は、そんな二人の不安を描いているのではないか、と
けれど、そんな不安を断ち切るかのように、ラストのサビは過去最大の疾走感を持って「切なさ」を振り切ろうとする。
ドラムが裏打ちのシンバルを奏でることで、より「疾走感」が強調されている。
ちなみに、ラストのサビだけドラムパターンを変えて「大サビ」感を作るのはゲス音楽の常套手段のひとつであり、真骨頂でもある。
が、サビの歌詞も結局、切なさを振り切ることはできない。
そして、この二人に予想される微妙な結末を予期するかのように、アウトロも微妙な形で終わる。
アウトロは一旦、絵音のギターと課長のベースが抜けて女性担当楽器だけが音が鳴らされるんだけど、あるタイミングで、女性楽器隊は演奏をやめて、ギターとベースという野郎共楽器だけで最後のアウトロが引き継がれる。
結局、最後は男女全員で音を慣らすことはなく、男は男、女は女だけで音を鳴らして終わってしまうのだ。
まるで、違う性別である僕らは、未来の同じレールを走ることができないのだ、と言わんばかりばかりに。
二人が一緒なる未来はどこまでいっても「そのうち」でしかなかったことを告発するかのように。
いや、ほんと聞いてほしい。
こんな歌、切なさ切なさ詐欺である。
まとめ
そんなことを考えたら、なおのこと切なくなってしまった。
本当どうしてくれるんだ、と絵音に言いたい。
あんな歌詞をあんな切ない声で歌われたら、切なくなるに決まってるじゃないか。
もう切ないとは言わせない、なんて嘘は止めてほしい。せめて、タイトル詐欺だけは止めてほしい。
そんな気持ちにさせる、そんな名曲。
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