Suchmosの「VOLT-AGE」は本当に観客のボルテージをあげることができないのかを検証してみた!

サッカー・ロシアW杯のNHKテーマソングに抜擢されたSuchmos。

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そんな彼らが満を持してテーマソングとして世に放ったのが「VOLT-AGE」という作品だった。

のだが、おそらくほとんどの人は、SuchmosがNHKのW杯テーマソングを担当するという事実すら知らなかったのではないだろうか?

そう。

NHKで放送された日本VSコロンビア戦のハーフタイム中に、Suchmosがこの歌を披露するまでは。

その日に事件は起こる

この日放送された日本VSコロンビア戦の前半は、色々な幸運に恵まれながらも1-1の同点で折り返すことになり、不安は尽きない試合展開ながらも「もしかしたらこれ、勝ち点取れるんちゃうんか??」的な空気が漂っていたのもまた事実で、試合前は絶望一色だったサッカーファンの多くが、静かなるボルテージを上げていた瞬間だった。

そんな試合の、そんなハーフタイム。

視聴者全員の虚を突くように、唐突に、Suchmosのライブ映像は放送された。

披露した曲はNHKのサッカーテーマソングである「VOLT-AGE」。

アディダスのまわし者かよと疑ってしまうような出で立ちのSuchmosが、あまりにもクールな装いで、あまりにもクールな歌を、あまりにもクールに披露してしまうものだから、多くの人は面食らってしまう。

え……?これがW杯テーマソング???

全然盛り上がらないですけど…。

SNSには酷評の嵐。

曰く「VOLT-AGE」というタイトルなのに「全然ボルテージ上がらねえじゃねえか」なんてお言葉も出てくる始末。

言いたいことはわかる。

確かに、試合におけるテンションとSuchmosのライブの温度には乖離があったし、そのときの僕たちがサッカーのテーマソングとして望んでいたのは、お洒落でクールなバンドミュージックなんかじゃなくて、頭空っぽにして盛り上がれるパーティソングだったのに!な感。

アップテンポでもなければ、キャッチーなサビもないSuchmosの新譜は、確かに例年のサッカーテーマソングと比べると異質な質感であった。

ちなみに、歴代のNHKのサッカーテーマソングはこうである。

02 ポルノグラフィティ/Mugen
04-07 倖田來未/奇跡
08 岡本玲/地図にない場所
09 GIRL NEXT DOOR/Wait for you
10 Superfly/タマシイレボリューション
11-12 RADWIMPS/君と羊と青
13 サカナクション/Aoi
14-16 椎名林檎/NIPPON
17 ONE OK ROCK/We are
18 Suchmos

W杯のタイミングに限って言えば、ポルノグラフィティ→倖田來未→Superfly→椎名林檎という流れでタスキを繋いできたわけだが、改めて過去曲と比べると、Suchmosの異質感は凄い。

ボルテージの上がらない人が出てくるのも頷ける。

Suchmosのファンでさえ「曲はいいけど、W杯のテーマソングには合っていない」という意見が多いように感じたし、「これをテーマソングに選んだNHKが悪いんだよ」「Suchmosにテーマソングを書かせようとしたNHKが悪いんだよ」とNHKに文句を言い、責任を擦り付けてしまう始末。

まあ確かにサッカーサポーターとSuchmosという組み合わせは食い合わせが悪いのかもしれないし、同じロックバンドならWANIMAとかの方がまだ親和性は強い気がする。

僕だって、同じDJありのロックバンドのサッカーソングなら、某ミクスチャーバンドの某曲の方が好きだし。飛び跳ねろ的な某曲。

https://youtu.be/JpkUXgGCENI

だが、ここであえて問いたい。

Suchmosの楽曲、本当にテーマと全然合ってないのだろうか?

NHKは果たして選ぶテーマソングを間違えたのか?

もちろん曲の感想や感じ方は個々によって違うので「曲が微妙」という感想自体にどうこう言うつもりはない。

そう思うなら、そうなのだろうとしか思わない。

けれど、この歌が本当に「テーマソングとしてふさわしくない曲」であるかどうかは、もう少し踏み込んで考えてみるべきではないかと思う。

少なくとも、SuchmosもNHKもサッカーテーマソングというテーマに真摯に向き合ったということはここで示しておきたいわけだ。

まず、Sucmosほどサッカー愛のあるバンドもいない。

Suchmosにこういうタイアップをオファーすること自体がそもそも間違っているという話をよく聞くが、今回の曲の善し悪しはともかく、オファーするという流れ自体は間違いではないように思う。

というのも、YONCEは無類のサッカー好きであり、リヴァプールFCの熱烈なサポーターでもあり、私服やライブ時でもリヴァプールのユニフォームやジャージを着用しているほどである。

メンバーには元サッカー日本代表の息子がいるし(ギターのTAIKINGは元ヴェルディだった戸塚哲也の息子なのである)、メンバーは(全員かどうは知らないが)川崎フロンターレの大ファンということだし、サッカーへの愛と造形はどこまでも深いバンドなのだ。

少なくとも、タイアップがくるまでスポーツのこと、サッカーのことなんてまったく知らなかった、なんてことはない。

むしろ、それなりにサッカー観戦してきているから、テーマソングにどんな可能性があるのか、どんな影響を与えるのかも十分に承知していたように思う。

そういうバンドをNHKは選んだ。

これだけでみたら、むしろその選択は正解だったように思うわけだ。

Suchmosだってそういう諸々を加味したうえでこのタイアップを受けたと思うし、真摯にサッカーテーマソングという命題と向き合ったうえで、この作品を作り上げたように思うのだ。

実際に曲を聴いて、なお、僕はそう感じた。

少なくとも自分たちのオナニーをするために「VOLT-AGE」という曲を作ったわけではない。そのように感じた。

もう少し、それについて具体的に考えていきたい。

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Suchmosはどういうテーマソングを作ろうとしたのか?

もし、Suchmosのイメージって「イケてる」とか「お洒落」ってイメージを持っているのだとしたら、それは大きな誤りだ。

Suchmosほど「ダサくて」「ヤンキー」なバンドはいない。全身アディダスだし。(そういえば、先ほど動画を載せた某ミクスチャーバンドもMVでアディダスを着用していた)

別に、これは、ふざけて言っているのではない。

多くの若者ウケを狙うロックバンドは、デビュー当時はダサい格好をしていても、売れていくのと比例してお洒落な格好をしてポップな音を鳴らすようになるものである。

まさしく「シティ」に染まり、「シティ・ポップ」な音を鳴らすロックバンドになってしまうわけだ。

けれど、Suchmosって、売れたからといって安易なオシャレ路線に走ることはなく、ダサいと思われても構わないから見てくれを大きく変えることはなく、転調とか倍速テンポでお茶を濁さず、自分の指針に沿った音をひたすら鳴らし続けるバンドだった。

Suchmosほどお洒落とは対局の位置で、お洒落とは対局の音を鳴らしてるバンドはいないと思うのだ。

そして、そういうブレなさこそがSuchmosのかっこよさだと思っている。

それはさておき、今回の歌が盛り上がらない理由は、ズバリふたつだと思う。

テンポがゆったりめなのと、キャッチーなサビがないこと。このふたつの要素が大きい。

サッカーのテーマソングは、サビがキャッチーで疾走感が必要だと思われがちだし、前述したテーマソング群もそういう要素が詰め込まれていた。

けれど、世界のサッカーテーマソングを聴いてみると、実はそういう価値観の方が異例だったりする。

邦楽と洋楽の違いを一言で示すとすれば「テンポとメロディーの意識の違い」だと思うが、Suchmosの今作はかなり洋楽的音楽センスに寄せてきている。

ちなみに、FIFA公認の2018年W杯ロシア大会のオフィシャルソングはこちら。

少なくともキャッチーなサビを効かせるような歌でもなければ、疾走感のあるアップテンポな曲ではないように思う。

この曲以外にも、世界のW杯テーマソングをパラパラと聞いてみたけれど、テンポという話だけで言えば、サチモスは遅くも速くもないという印象だった。

Suchmosってもっとも日本のロックシーンにおいても、わりとゆったりめのビート感で、横揺れを促すテンポの歌を歌うことが多いけれど、逆に今作のサチモスの楽曲は、いつもよりもテンポに対する意識が強いように感じた。

緩急をつける、ということに関しては相当に意識されているし、ドラムテンポ感を細かく変えることで、なるべく疾走感は出すように腐心しているように感じた。

「Heartbeat〜」のくだりをサビと仮定するならば、1番のメロディー中に大きくテンポ感が変わっているし、2番に入ってからも幾度となくテンポ変更を繰り返す。

そのテンポ変更により、静かなる闘志を沸々と燃やしていくような、ゆっくりと魂を沸騰させていくような、そういう「鈍い熱意」を想起させるビート感を作る。

サッカーって走る時は走るし、少し足を止めて様子を伺うときもあるみたいな、独特のリズムがあると思うんだけど、Suchmosのこのビートはサッカーのそういうテンポ感を意識したのかなーと感じた。

歌詞をみてもそうなんだけど、この歌はテレビを見ているサポーター側というよりも、ピッチにいる人たちに寄せて作っている感じがするし。

まあ、日本の音楽的盛り上がりを考慮するなら、メロ→サビへの移行のタイミングでこそテンポを速めて、かつ、サビ入りで一瞬間を作ったりして「ここからがサビですよ」と優しくアシストするべきなんだろうけど、この歌はそういうことはしない。

メロはあくまでサビを気持ちよくするためのお膳立てで、メロは目立つべきではない、っていうのが王道邦楽の鉄則だし、良いメロディほど後ろに持ってきて、サビ→大サビという流れにして、最後に行けば行くほど盛り上がるという流れを作るのが定石だけれど、この歌はそういうことはしない。

そもそも、この歌にはサビという発想はないように思う。

単に2タイプのメロディーラインがあり、それを二つ繋げただけ、というような感覚。

まあ、この辺りは「STAY TUNE」なんかでもまったく同じ発想だったりするんだけど。(まあ、あの歌はメロディーパターン3つだけど)

だから、テンポの変化やメロディーのあり方を既存の邦楽と同じ感覚で触れていくと、ただただ「微妙」と感じちゃうわけだ。

そもそも、Suchmosはこの歌をつくるうえで参照にしたのは、日本のサッカーテーマソングではなく、海外のサッカーテーマソングだったように思うし。

だから、このような歌が生まれたんだろうなーなんて。

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歌詞の秀逸さ

「なにがハートビートだよ」「盛り上げられないならステージに立たずにGood nightしとけよ」と憤っている人もいたかもしれないが、少なくとも、歌詞は本当に練られて書かれているように感じる。

この歌は海外の歌を参照したと述べたが、その中でも特に影響を与えているのは、歌詞のフレーズにも出てくる「You’ll Never Walk
Alone」だろう。

この「You’ll Never Walk Alone」というのは、スタジアムでサポーターが合唱する有名なアンセムである。

この曲は全世界のスタジアムで歌われており、JリーグではFC東京のサポーターが使っている。

YONCEが愛してるリバブールFCもこの歌を使っている。

この歌にまつわる歴史をダラダラと書いちゃうと長くなるので割愛するが、「You’ll Never Walk Alone」は、国やクラブチームの枠を越え、サッカーを愛する者同士が連帯するアンセムとして歌い継がれ、数多くの感動的な場面を生み出してきた歌だ。

こんな感じである。

おそらく、YONCEはサポーター高揚感を上げるようなものを作るつもりはなく、自分の国の愛を叫び、他国を敵として対比させたうえで勝利を歌うような歌にするつもりもなく、夢を叶える自分はステキ!みたいな自己実現の歌に終始するつもりもなく、「You’ll Never Walk Alone」にあるような「祈り」と「希望」そして、サッカーを愛する者同士がお互いをリスペクトしあえるような、そんなアンセムを作り出そうとしたのではないかと感じた。

血を流さぬように
歌おうぜメロディ 自由のメロディ
手にとるのはギター 最新型のセオリー

と前置きした上で「We never take any arms」というセンテンスを入れ込んでることからも明らかだし、テンポが遅めなのは、ピッチで大合唱される光景をイメージひて作られているからだと思うし。

恒常的なサッカーファンのYONCEだからこそ、安易なる「愛国」に傾倒することもなく、どっかのサッカー選手ばりの自己実現のフレーズになびくこともなく、安易なる「勝利」のニュアンスに傾倒することもなく、静かにサッカーへの愛と賛辞を述べる歌詞に仕立て、お茶の間のためのテーマソングというよりは、ピッチにどんな音を鳴らすべきなのか?というアイデアを起点にして、この歌を作ったのではないかと想像する。

他局のテーマソングをみると、フジテレビはRADWIMPS「カタルシスト」、日本テレビはNEWS「WORLD QUEST」、TBSはEXILE「Awakening」となっている。(テレ朝はよくわかんないけれど、おそらくhideの「ROCKET DIVE」がサッカーテーマソングになっている模様)

上記の楽曲は程度の差こそあれ、歌っているのは「自己実現」と「勝利」の2点である。(そしてそういう流れのなかで『愛国』のフレーズをそっと入れ込む)

サッカーはよくわからんけど、要はスポーツってそういうことでしょ?そういうテーマのことを歌っておけば正解なんでしょ、っていう良くも悪くも聞き手にコミットした感のある歌詞が目立つ。

けれど、Suchmosは一切そういう要素を入れなかった。

それはテーマを放棄したのではなく、むしろテーマと真摯に向き合ったからこそ、というところが大きなポイントなのである。

この曲は対戦相手を「敵」と呼ばず、サッカーを通じての相互理解や平和を歌うわけだ。(ただし、ちゃんと日本の応援歌を意識させるように「Sunrise blue」というフレーズを入れ込んでいる辺りもポイント)

W杯というキーワードが与えられて、こういうフレーズやニュアンスが出てくるのは、逆に相当な期間サッカー文化に触れて、長いW杯の歴史を捉えていないと出てこないと思うのだ。

サポーター同士、あるいは選手たちが血を流したサッカーの負の歴史、ワールドカップを国と国の代理戦争のように位置付けてしまうナショナリズムが確かにあることを踏まえたうえで、W杯という世界大会と、そこに参加する全てのサッカーチームにリスペクトを込めて、この歌詞を書いたのではないかと思うわけだ。

そんな諸々も踏まえたら、この歌がサッカーテーマソングとして合っていない、というのはちょっと乱暴な言い草ではないか?と思ったりしたわけである。

まとめ

なーんて御託を並べたところで、「いや、テーマソングなんてサビがキャッチーでアップテンポならそれでいいんだよ。それができないサチモスはダメ」って批判がくることはわかるし、相手のことを無視して自分の感性を優先した作品を作ることそのものがオナニーなんだ、という指摘もよくわかる。

サッカーのミーハーと音楽のミーハーを満足させる必要があるのがNHK W杯のサッカーテーマソングなんだから、当然の指摘だとは思う。(そういえば、アテネの五輪のNHK主題歌だった、ゆずの「栄光の架け橋」はロックギターのインスタアレンジバージョンがあり、VTRベースで栄光の架け橋を流す場合はそちらを使うことが多かったなーとふと思った)

ただ、Suchmosはどこまでもサッカーのテーマソングを書くということに対して本気だったからこんな歌を作ったということは理解されてもいいんじゃないかと思ったし、そういう諸々を踏まえたうえで、僕は純粋ひこの曲は好きだし、何回も聞けばけっこうまじで「ハートビート」になるからオススメですよ、っていうそういう話。

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