LINEで送る
Pocket

今となっては、邦ロックを趣味をしている人だけでなく、音楽にそこまで愛着がない人にも定着した感のある「夏フェス」。

スポンサーリンク

良くも悪くもレジャーになった感はすごくある。

で、こういう「レジャー化」に対して、わりと長いことロックの沼に漬かっている人ほど微妙な思いを抱いてたりすると思うんだけど、ワタクシ個人として、感じることは二つ。

とにかく昔に比べてチケットが取りづらくなったなーっていうのと、なんだかノリが変わってきたよなーっていうこと。

でも、これって良いことだと思う。

なぜなら、チケットがとりづらくなったのはそれだけフェスに行きたいと思う人が増えたからだろうし(実際有名なメガフェスは数字のうえで明らかに集客数を伸ばしている)、ノリが変わったと感じるのは、それだけ「新しい人」や「若い人」が参入していることを意味している。

要は、夏フェスが音楽ファンにも音楽ファン以外の人にも定着してきたからこそ、そのような変化が生まれたわけだ。

じゃあ、なんで夏フェスってそんなふうに定着したのか?

この疑問に対するひとつの答えを提示しているのが、レジーさんが執筆された「夏フェス革命 ー音楽が変わる、社会が変わるー」である。

夏フェスの変化に対して「なぜそれが起こったのか」「何がきっかけにあったのか」「それは世の中に何をもたらしたのか」。そういう客観的な分析が細かく積み上げられている。

本書は色んなトピックスを横断しながら分析を進めていくのだが、一番のキーワードとなるのは「協奏」という言葉。

この言葉は「参加者が自ら楽しみ方を見つけ、それを企業側が取り込んでいく」という意味合いのものとして使われており、フェスに置き換えると「現場にいる参加者の行動を契機として、フェスそのものもあり方を変えていくこと」という話になる。

フェスメシに力を入れるとか、トイレをやたらと整備するとか、グッズに力を入れるとか、インスタ映えのスポットを作るとか、今となっては当たり前となったフェスのそういう魅力も、フェスができた当初は想定されたものではなかったわけだ。

けれど、フェスはそういうことに力を入れるようになっていく。

なぜ、という部分は本書で細かく分析されているわけだけど、簡単に言ってしまうと、フェスができた当初には想定していなかった価値を参加者側が主体的に見出す→フェス側がそれを追随する→それによってフェスそのものが変化していく、という流れがあり、本書ではこのようなあり方を「協奏」という言葉を使って説明していくわけだ。

フェスという場所の変化や、フェスに参加する人の変化、そしてフェス以外の諸要素(人について書くとなると、その人は生きている限りフェスや音楽以外にも色々触れるわけで、そういう外側の話にまで視点を引き上げて話が展開されていく)についても、それぞれ丁寧に拾っていきながら分析を積み上げていく。

今のフェスシーンを見通すうえで重要な視座をたくさん与えてくれるし、フェスを通して他のビジネスや社会そのものを考えるうえでも大きなヒントになるような一冊。

で、今回は、今のフェスシーンを見事に交通整理したと言っても過言ではない「夏フェス革命」を執筆されたレジーさんに、ご多忙な中、ご無理を言ってインタビューさせて頂きました。

著者であるレジーさんにインタビュー開始

中の人「おそらくこのブログを読んでいる方はレジ―さんのことをご存じない方もいるかと思いますので、簡単にでけっこうですので、自己紹介をして頂いてもよろしいでしょうか?」

レジー「1981年生まれの36歳、事業戦略やマーケティングに関する仕事をしている会社員です。会社勤めの傍らで2012年の夏に「レジーのブログ」という音楽ブログを立ち上げて、それがきっかけで2013年の春頃から外部媒体にも寄稿するようになりました。今は雑誌「MUSICA」で毎月ディスクレビューを担当しており、その他「Real Sound」「M-ON! MUSIC」などで記事を書いています。自分のブログではシーン全体の分析やアーティストのインタビューなどを行っていて、最近ではUNISON SQUARE GARDENの田淵さんにインタビューをしました(http://blog.livedoor.jp/regista13/archives/1070018419.html)。一番気合を入れて応援しているアーティストはPerfumeです」

中の人「この本を執筆されたことで、改めてフェスやフェス周りの見方は変わりましたか?」

レジー「うーん、どうですかね、自分の中で何かが変わったというのは特にないかもです。『夏フェス革命』の内容はブログの立ち上げ早々に書いたロックインジャパンに関する分析が原型だったりするので、自分にとっては「以前から考えていたことを改めて咀嚼した」というような感覚です。ただ、読んでいただいた方の反応、特に辛口のコメントとかを見ていると、この本で示した内容のどの辺を掘り下げるとさらに面白くなりそうかが何となくわかってきた気もしていて、今後はそのあたりの検討をさらに深めていきたいと思っています。具体的にこういうことを深堀りしたい、と言えるほどにはまだまとまっていないのですが」

中の人「レジーさんは「夏フェス革命」において、夏フェスをGoogleやAmazonなどのプラットフォームと同様のものとして捉えながら、その機能と危険性(コンテンツ側の自主性を脅かす可能性があることなど)を提示されています。大型フェスが「メガプラットフォーム化」し、コンテンツ提供側に大きな影響を与えてしまっている状況を率直にどうご覧になられていますか?」

レジー「プラットフォームがコンテンツのあり方に介入していく」「コンテンツよりもプラットフォームが強くなる」という状況は世の中のあらゆるところで起こりつつある話なので、フェスの動向もそういう社会の大きな流れのひとつなのかなと思って見ています。この問題はすごく今日的なもので、「どうなったら関わっている人たちが皆幸せになるか」という部分での答えはまだ出ていないと思いますので、良い悪いというのを評価するのは難しいです(現実としてそうなってきているんだな、と認識するしかないというか)。ただひとつ確実なのは、コンテンツが死ぬとプラットフォームは成立しなくなる(そもそもプラットフォームが扱うコンテンツがなくなってしまう)ということです。「フェスばかり儲かる→アーティストが苦しくなる、活動できなくなる→フェスに出る人がいなくなる」みたいな流れが中長期的に発生しないといいなと願うばかりです(さすがにこんなに短絡的なことにはならないと思いますが、すでにフェスとワンマンでお財布の取り合いは各所で起こっていますよね)

中の人「フェスシーンを見ていて少し気になるのは、海外アーティストをブッキングするフェスの如実なお客さんの減少です。東京はともかく、それ以外の地域(僕は大阪の人間なので、大阪のフェスによく行くのですが)だとその減少数がかなり顕著だったりします。決してそういったフェスが決して「協奏」に力を入れていないわけではないように見えますし、ブッキング自体も悪くはないと思うのですが、なぜお客さんが減っていってしまうのか、レジーさんなりにお考えがあればお伺いしたいです(純粋にチケット代が高いのと、フェスのメイン客層である大学生くらいが海外アーティストにあまり興味がないのはあると思いますが、、、)」

レジー「やはり「海外のアーティスト」もしくは「海外の音楽」を身近なものとして捉える人たちがそもそも少ないという現状がある、これにつきる気がします。フェスには「音楽にそこまで関心のない人たち」も多数集まっているという状況を『夏フェス革命』では描写しましたが、だからと言ってそういう人たちが「普通に知っているアーティストが全然いないフェス」に気軽に参加する気になるかというとそこは難しいのではないかなと(だからこそロックインジャパンはアクトの「メジャー化」を進めているんだと思います)。そう考えたときに、海外のアーティスト主体のフェスに参加するのは「ほんとにそのアーティスト、もしくは海外のシーンに興味がある人」だけになるので、今はそういう層のボリュームは決して多くないゆえ、集客が厳しいということになるかなと。これはフェスに限らず「海外のアーティストがアジアツアーで日本を飛ばす」みたいな話とセットだと思うので、フェスがどうこうというより「日本における海外の音楽の受容のされ方」という観点から考えるべきテーマかと認識しています。この辺はフェス論とはまた別にかなり奥の深い話なので、いつか機会があれば…という感じです」

中の人「フェスで勝ち上がることこそ重要」という今の日本の音楽シーンで顕在化している状況に乗っかるバンドがたくさん出てくる一方、意図的にそこから距離を置いてるバンドほど「個性」を勝ち取っている現状がある気もするのですが、これについてはどのようにお考えでしょうか?」

レジー「大きい権威」があるからこそその逆側に個性的なものが登場する、というのは世の常なのかなと思います。いわゆるヒットチャートが機能しづらくなっている今、フェスがそういう「権威」としての役割を果たしている部分があるのかなと。それぞれのアーティストがそれぞれのやり方で面白いものを提示してくれれば、単純にリスナーとして嬉しいです」

中の人「レジーさんはフェスの内側・外側という言葉を使われることがあるかと思いますが、フェスの内側のマジョリティーバンド、フェスの外側のマジョリティーバンドを1組あげるとすれば、どのバンドになりますか?」

レジー「うーん、改めてそう聞かれると難しいですね。バンドですよね?内側→ヘッドライナー級まで上り詰めた[Alexandros]とかでしょうか。あと最近だとWANIMAとかブルエンとか?外側→これは僕の中ではback numberですかね。CDJはここまで取り込んでいてすごいなと思っています」

中の人「大小問わずたくさんのフェスが乱立している今のシーンにおいて、生き残り続けるフェスは「物語」がちゃんと機能しているかどうかが重要なのかなーという気が個人的にはしています。京都大作戦やヨンフェスのようなアーティスト主催のフェスが台頭しているのもそれが大きな理由のひとつのように思うのですが、フェスの「物語化」についてはどのようにお考えでしょうか?」

レジー「アーティスト主催のフェスに関しては個々のアーティストが体現する「物語」との関連性以外に、「自分たちでプラットフォームを持つ(メガフェスとは違う形でシーンに影響力を行使する)」というような意思表示なのかなと解釈しています。物語云々の話で言えば、「アーティストの活動を物語として捉える」という構造は別に新しいものではないですし(それこそJAPAN誌は延々とこれをやっているわけですし、感情移入したくなる物語というのはエンタメの基本かと)、その中に主催フェスというイベントが取り込まれただけという言い方もできると思いますので取り立ててコメントすることもないのですが・・・こちらのブログを読んでいるであろう「邦ロックファン」の方々に向けてあえて言うならば、「アーティスト個別の物語に目を向けるのもいいけど、鳴っている音の時代性とかにも同じくらい注目したほうがいいのでは?」という感じでしょうか。裸一貫で始めたバンドがいまや主催フェスを盛大に行うようになった!というような話は確かに感動的かもしれませんが、その音が「音楽の世界地図をざーっと見たときに、2018年の音として果たして適切か?」みたいなことをちょろっとでも考えてみては・・・というようなことはたまに思います。ちなみに、長く続いていて支持を得ているフェスにはすべて何かしらの「物語」がありますし、ひたちなかの最初数年はまさにそういうものだったのですが(初回中止でライブをできなかった中村一義が翌年に再度大トリで出演、とか)、最近だとそういうのは見えづらいですね」

中の人「「夏フェス革命」の終章では、フェスが自宅で楽しめるようになるかもしれないという考察が書かれていますが、個人的には、ある種のフェスの「現場」がTwitterなどのSNSに移行しているなーという印象を受けます。実際、フェスの祭りは「現場」とは違うところで起こりがちで、例えば、Twitterで○○のライブが炎上した!とか、○○のライブは凄かった!なんて情報が瞬時に拡散されるのは、その一つの例だと感じます。フェスに参加している人は逐一Twitterで状況報告をしがちですし、参加していない人もTwitterでタイムラインをみることで、まるでそこに参加している気分になっていることもあります。音楽ではなくコミュニケーションだけを楽しむならば、既にその現場は「フェス」ではなく「SNS」に移行してしまっている現状について、レジーさんはどのようにお考えでしょうか?また、フェスでステージをカメラ撮影することの是非について、個人的にはどうお考えですか?」

レジー「SNSによって大半のエンタメは各人のコミュニケーションに奉仕する存在になった」という時代認識なので(本の3章にたくさん書いた話ですね)、「まあそりゃそうなるよね」という感想です。ただ、SNSなんてものが存在しない時代にフェスに行き始めた自分からするともちろん違和感もあります。フェスに行かなくてもTLを見ているとそこで何が盛り上がっているのかわかる今の状況は面白くもありますが、「わかった!もう報告しなくていい!こっちのことは気にせずその場を思いっきり楽しんでくれ!」という気持ちになるときはあります(自分がフェスに参加する際には、しっかり見たいアクトの最中にはツイートしないというマイルールを設けています。フェスに求めているのは「普段の生活から切り離されること」なので)。カメラも同じですね。撮りたい気持ちはわかりますが、せっかくなんだから肉眼で見たほうが良くない?っていう」

中の人「メディア化したフェスとそこに依存するロックシーン」という共犯関係ができつつあるなかで、そんな構図に風穴をあけるひとつのアプローチとして、個人ブログという存在もあるのかなーなんて勝手に思っていたりするのですが、レジーさんが考える個人ブログの可能性と、個人ブログがこんなふうに音楽シーンに関われば面白いのになーみたいなお考えがあれば、お聞かせください」

レジー「僕がブログを始めたのが2012年夏で、ブログでインタビューを初めてやったのが2013年の春(メジャーデビューして間もないパスピエ)でした。アーティストの状況によっては、個人ブログからのアプローチも意外と受けてくれるのではないかと思います。また、リスナー視点での音楽の楽しみ方が発信されるのは意味のあることだと思いますし、既存メディアとは異なる立場で音楽について語ろうとする人たちが増えるのは面白いことなのではないでしょうか。ただ、気を悪くされたら申し訳ないのですが、「邦ロック好きによる、邦ロック好きのための個人ブログ」みたいなものは、「特定コミュニティ内で良いとわかっているものを改めて良いと言うことで、お互いの絆を確かめ合う」というような構造になりがちなので、そこから何か新しい価値観が生まれたりするようにはあまり思えません。もちろん特定ジャンルのファン同士が交流を深めるメディアにも素晴らしさはありますが、「ブログ起点で何かを動かしたい(質問文の言葉を借りると「風穴をあけたい」)」のだとすると、「邦ロック」ファン以外にも届くブログのあり方ってなんだろう?という問いがまずは必要になってくると思います(そういう問いかけなしに狭いジャンル内で完結するものであれば、それはJAPANやMUSICAの縮小再生産でしかないのかなと)。今の時代は、有史以来一番「世界中の音楽に触れることが簡単な時代」ですよね。個人的には、邦ロックリスナーが「ムラ」の外に広がっているそういう場所に漕ぎ出していく瞬間だったり、もしくはそういう時代にあえて邦ロックというものにこだわる理由を徹底して考えたり、そんなテーマにヒントがあるような気がしているのですが・・・」

そしてインタビューは終わり…

そういや、このブログも最初は「美味しい牛丼」の作り方とかも記事として書いていたのに、そういう記事は反応が乏しく誰も読んでくれなかったから、少しでも読み手の反応があるものを書こう、少しでもたくさんの人が読んでくれるものを書こうと考え、SNSで話題になっていることを拾ったりしていくなかで、いつの間にやら邦ロックのことばかり書いてしまうブログに変容していたんだよなーなんて、インタビューを通じてふと思い返してみたりして。どうでもいい話だけども。

ちなみに、本書をビジネス本として捉えると、本書の要点は「消費者やファンの動きが事業に大きな影響を与えるんだよねーっていう話」になる。

そのケーススタディとして「フェス」が扱われているというふうにも読める。

どんなビジネスであれ、SNSによって参加者の動きが可視化された今、お客さんに単に売り込んでそこで終わりにしてしまうのではなく、一緒にビジネスを生み出していくことが重要になる。お客様のニーズに応えましょうとか、ファンを作って囲い込みましょうとかそんなお題目ではなく、本書ではフェスというケースを通じて、しっかりそこの部分を例示している感じ。

フェスという娯楽は、何よりもそういう動きをダイナミックに行ってきたからこそ、この20年で大きく変容してきたし、ビジネス的に数字を伸ばすことができたし、夏の風物詩にもなったし、若い人たちが次々にフェスに魅力を見つることができて次から次へと参加者を増やしていくことにはなったわけで。(もしフェスが音楽のみに拘っていたとしたら、ここまで大きくならなかったと思うし)

まあ、これ以上僕が本書「夏フェス革命」について語るのは蛇足なのでこの辺にしておきます。最後になりましたが、お忙しいなか、ご対応頂きましたレジーさん、本当にありがとうござました!

スポンサーリンク

LINEで送る
Pocket