Base Ball Bearの「光源」について書いてみたい。
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このブログではあまりアルバム一枚を語るようなマネはしなかったのだが、このアルバムは一曲一曲をピンで捉えるよりも、アルバム一枚で括ったうえで一曲一曲を捉えるべきだなーと感じたので、このような体裁をとることにした。
最初「光源」を聴いたとき、今作はオーサム・シティ・クラブみたいな、えらく多幸感な感じにするキラキラポップ臭がするなあと感じた。
で、改めて一曲一曲を聴いてみると、その感触は近からず遠からずな印象だったのではないか、と感じた。
このアルバムはバンドサウンドを屋台骨にしつつも、シンセであったりブラスであったりと、プラスアルファで別の音をくっ付けている。
そして、ポイントポイントで関根嬢の官能的なコーラスを多用しており、それが今までのベボベではない感を出しているように感じた。
結果「非リア充感が漂う根暗っぽいジメジメ感」は払拭されて「リア充感を伴わせた多幸感」が音に出てきているように感じた次第。
これって言い方を変えれば、今までの自分たちのシガラミから一歩引いた位置で、音が作られたということではないかと思う。
小出っぽい言い方をすれば「青春を相対化した」ということなのかもしれないし、スリーピースになったことで、音に対する自由度が増えたというのも重要な要素であると思う。
というのが全体の大まかな印象なのだが、それを踏まえたうえで、アルバム一曲一曲をみていきたい。(順不同・全曲には触れません)
すべては君のせいで
ベボベの事情を知っている人からすれば、タイトルだけみたら、この「君」って、突然音信不通になってバンドから脱退した湯浅のことではないか、と穿ったかもしれないが、歌詞を読めばびっくりするほど湯浅とは関係ないことがわかる。
歌詞に「教室」とか「自転車通学」使っていることからもわかるように、もう終わってしまった「青春」を回想した歌となっているのだ。
ちなみにタイトルにも出てくる「君」にはモデルはいないそうだ。
なぜなら、小出はそんなリア充な日々とはまったく無縁な日々を過ごしていたからだ。
色恋沙汰とはまったく無縁な青春。
鬱屈な思いは大きくなるばかりで、そんな思いを背負い込んでいたからこそ、学校を舞台にした「青春」をテーマにした歌を歌うことになったとも言えるわけだが、この楽曲における「青春」に対するアプローチは、すごくニュートラルなものであるように感じる。
近すぎもせず、遠すぎもせず、憧れとも憎しみとも後悔とも懐かしむ気持ちとも違うように感じるのだ。
では、どういう距離感なの?という指摘がくるとしたら、その答えは他の楽曲にあるよ、という言い方をここではしておきたい。
とりあえず、他の楽曲についての話を進めていく。
(LIKE A)TRANSFER GIRL
ベボベに「転校生」という歌があるのだが、この歌は「転校生」という楽曲に対するひとつの並行世界のような楽曲である。
TRANSFER GIRLも意味合いとして移動する女の人というわけであり、この移動が示すものは物理的な距離=転校のようなモチーフにも捉えられるし、時空的移動=大人になってもその恋が自分に影響を与え続けている、というニュアンスに捉えることもできる。
「青春」の恋を歌った歌である一方「時間」とか「並行世界」という、このアルバムのもうひとつのキーワードともかなり接近した要素を孕んだ楽曲になっている。
SHINE
タイトルの英語としての意味は「輝き」であり、ローマ字読みをすると「死ね」という意味になる。
これっておそらく小出の「青春」に対する思いに近いと思うのだ。
輝きたかったのに輝けなかった青春に対して「輝き」の未練があったからこそ、青春時代の人間に対して「死ね」の思いを抱き、それを表現することで、あるタイミングまで走ってきたのだ、彼らは。
けれど、時間が経つにつれ「青春」に対する思いは「輝き」と「死ぬ」の思いが混ざり合うようになり、いつしか「青春」というものを相対化できるようになった。
それは時間が経ったからできたこと。
すべてを解決に導いたり、すべてをぶち壊したりするという意味で、時間は神様みたいなものであると小出は語っているのだが、その神様にアクセスすることこそが自分にとっては青春なのではないかというふうにも語っている。
ややこしい物言いに感じるが、結局のところ、過去の時間に対するアプローチの仕方が変わったという話であり、よりフラットな目で「青春」という時間を捉えることができるようになった、ということなのだと思う。
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Darling
この歌は「青春に生きていた自分」ではなく「今を生きる自分」の視点で歌っているように感じる。
それにしても、この歌は本当に音の情報量が凄い。
コードはチャゲアスっぽくて、間奏は反町隆史のファースト辺りを借用してて、サビは本田美奈子の「Oneway Generation」のツービートが元ネタで、関根嬢の呟きはモー娘。が元ネタで。
いや、広すぎでしょ。
しかもエンドのギターのリフは、ストーンズとかあの辺の洋楽が元ネタっぽいし、とにかく借用している音楽の幅が広い。
まあ、小出は元々そういう人なわけだが、ここまで露骨に「幅広く音楽を借用していること」を音に出してきたのは、スリーピースになったことが大きいことは明らかである。
逆・バタフライ・エフェクト
バタフライ・エフェクトとは、ちょっとした変化でその後の未来が大きく変わる、みたいなニュアンスの言葉である。
個人的には、この曲がこのアルバムの骨格であり、8曲全てのメッセージを詰めこんだ、まとめの楽曲ように感じる。
というのも、アルバム全体としてあるのは「青春」という時間を単に邂逅するのではなくて「あのとき、まだ何かあったんじゃないか?」という思いを引き連れながら、未解決事件に思いを馳せるようなアプローチをしているということである。
けれど「あのとき、まだ何かあったんじゃないか?」という可能性は疑ぐりつつも、それは結局のところ、すべてパラレルワールド=並行世界の話であり、本当の自分が選べる未来はひとつしかないわけで「逆バタフライ・エフェクト」の歌詞に出てくる「自分こそ運命だよな」が結論となる。
ただし、この歌のポイントは、選択しなかった他の並行世界の自分「も」今の時間と繋がっていることを示唆しているところだと思う。(わざわざ最後のサビで、もを「」に入れて強調しているのは、そこを強く主張したかったからだと思われる)
音でいうと、この歌はギターのリフは入れずにコード弾きに徹しているわけだが、当然ながら今までのベボベの歌でギターのリフがまったく出てない歌なんてほぼ皆無だった。(この歌はベースがリフ的な部分を担っている)
これは、今までは二人いたギターの一人がいなくなってしまったからこそ、生まれた音の形なわけだ。
つまり、スリーピースという現実があったからこそ、こういう音・作品が生まれたわけである。
この作品はベボベの二度目のデビュー作である、みたいな言い方をされるが、当然ながら本当のデビュー作であり、最初からスリーピースバンドであれば、こういう音の形(発想)はあり得なかったはずだ。
つまり、4人いる状態で「光源」という作品を生み出した並行世界があるからこそ、このアルバムは誕生したというわけだ。
選ばれなかったifの未来があるからこそ、このアルバムは生まれたというわけだ。
つまり、4人いたという過去があったからこそ、今の音があるという話。
「青春」というのがひとつのキーワードではあるのだが、それを広げて時間そのものに思いを馳せたのが、このアルバムなのではないかと思うのだ。
過去があり、あり得たかもしれない別の未来もあるからこそ、今の自分たちがいるのだ的な。
この歌は「青春」をテーマにしたアルバムというよりも、もっと広いレベルで「時間」について歌われたアルバムなのだと個人的には思うのだ。
そして、7曲は色んな地平から切り取られた時間を眺め、「逆・バタフライ・エフェクト」がその時間を回収して消化しているように感じた次第。
最後に
今年は小沢健二「流動体について」だったり、映画「ラ・ラ・ランド」だったり、アニメ「けものフレンズ」だったり、タラレバを語る物語=並行世界を語る物語に傑作が多いように感じる。
邦ロックにおいても、そういうテーマの作品に名作が生まれたのは何かの因果のように感じてしまう。
名作を作る想像力というのは、得てして重なってしまうものなのかもしれない。
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