いけ好かない部分もあった。
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それまで背中に国旗を背負って、意識高いことを言ってたのに、自分のゴシップがすっぱ抜かれたら、「ライブに来るヤツってクズが圧倒的に多いわけ。心の弱い人間、自信が全然ない人間、弱いくせに虚勢張ってる人間、正解がなんだか分からない人間、みんな不完全なの。だってさ、完全な人はパンクロックなんて、ライブなんていらないのよ。俺がなんでそういう奴らの支持を集められてるかって言うと、俺が誰よりも一番クズで不完全だからなわけ。一番悩んでる。そこを赤裸々に出すから注目してくれるのかなぁとかさ。だから悩むことがなくなったら自分のことパンクロックだなんて言えないよね」なんて言い訳めいたことを言ったりして。
パンクだろうがポップスだろうが、みんな悩んでるし不完全なわけで、安易にパンクとそれを結びつけるなよ、と思ったし、自分がしたことの言い訳を音楽に擦りつけているような気がして、単純に気に入らなかった。(何もなかったなら、それを態度で示せばいいわけで)
あるいは「ハイスタ世代」なんて区分の仕方はクソ喰らえで、上の世代も下の世代もまとめきれて、いい感じにムードが作れる存在にハイスタはなりたい、って言ってたわりには、やることなすこと妙にクローズドで、広げたいのか身内に愛されたらそれでいいのかがよくわかんなくて、結局は自分たちのブランディングが大事なだけなのではないか、なんて思ってしまうこともあった。
吐いてる言葉に乗っかりたいけど、言ってる言葉に矛盾を感じて、どうにもその言葉に乗り切れない感じ。
他のバンドの方が、よっぽどか一貫した主張をしていてカッコいいと思ったわけだ。
だから、ツアーが発表されてもなんかグッと来なかったし、アルバムが発表されても「へ〜」って流してしまう自分がいた。
18年ぶりのニューアルバム。
考えたら、18年って凄い歳月である。
おっぱい飲んで寝んねしていた可愛い赤ちゃんだった女の子が、おっぱい飲んで寝んねさせる側になってしまうくらいの年月であり、膣の中を命がけで駆け抜けていたオタマジャクシが、命がけで膣を求めるお猿さんに生まれ変わるほどの年月なわけで。
たぶん18年も時間が空けば、死ぬまでにハイスタの新譜、もう一枚聞きたかったなーなんて思いながら、死んでしまった人もいると思うのだ。
その一方で、この新譜のおかげで、生きてるのに死んでるような人が、明日も頑張って生きようとするエネルギーになったこともまた間違いないわけで。
ハイスタが凄いのは、この18年で「待ってた人」だけでなく、新たに「待つ人」を作ったことだと思う。
僕の音楽友達もこぞってハイスタの新譜を買っていた。
ほんの数年前まではハイスタなんて名前も知らなかった人たちが嬉々としてハイスタの新譜を買い、「めっちゃ良い!!!」とか、「もう5周もしてもうた」とか言ってるのだ。
不思議な話である。
ただ、天邪鬼な僕は、そういう話を聞きながらも、こんなことを思った。
どうせその新譜、「ハイスタ」というラベリングをしてるから有り難く聴いてるだけで、もし仮に違うバンドの名前がラベリングされていたら、「ふ〜ん」くらいの反応しかしてなかったんだろう?って。
あるいは「若手でこんなの出たんだけど、聴いてみてよ」みたいな感じで音源を渡せば、「ああ、確かに聴くと爽快感あるけど、ちょっと古い感じするなー。中の上くらい?」みたいな反応をするんだろう?って。
ハイスタというバンドは神格化されていて誰も否定できない空気が出来上がってるし、周りはみんな彼らのことを崇めるように信奉してるから、とりあえず同調して、感化されたフリして、「ハイスタ凄い!凄い!」と言ってるだけ。そんな空気に流されてるだけなんだ。
センチメンタルを抜きにして、ハイスタ凄い!凄い!なんて言ってる奴はきっと空気に流されやすいだけの、モノを考えないバカなのだ。
そんなことを思った。
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いや、思っていた、という言い方が正しいのかもしれない。
気づいてしまったからだ。
そうやって冷静ぶって、物事を判断できる自分を演じていた僕の方が相当なバカだったということを。
白状しよう。
ハイスタの新譜、凄く良かった。
なんだしょーもない前フリしやがって。で、今回の新譜、何がどう良かったんだよ?
こう問われると言葉に窮する。
ただ、この作品は単なる過去の焼き直しでもなければ、センチメンタルを狙っただけの贋作でもないということだけは間違いない。
間違いなく「音」に更新があって、50歳くらいのおっさんだから書ける歌詞があって、もう若作りをしなくてもいいというある種の開き直りが透けて見えるから、ちゃんと新しい境地の達したハイスタの像が見えるのだ。
例えば、昔ならもっと速弾きで引いてしまっていた部分をミドルテンポに抑えることで、メロディーをしっかりと聴かせる構成にしている(本人はこれが今の自分たちの噛み合うギリギリのテンポだから、という話をしていたが)
平気でストリングス入ってきても綺麗にハマってるし、ギターのアイデアがとにかく豊富だし、難波さんと健さんの声がぴったりの呼吸で絡み合ってるし。
最近のメロコアってなんだんかんだでサビ史上主義で、サビ以外はサビを盛り上げるための布石になりがちな音楽が多いが、今作のハイスタにそれがない。
音が鳴り始めてから、それが止まるまで、全てが全力投球なのである。
だから、音が鳴り始めた最初からワクワクするのだ。
どこの部分も手を抜いていないから、どこを切り取ってもグッとくるわけだ。
とまあ、いちいち色々と書いてみたが、この書き方がもはやハイスタにセンチメンタルになってる奴のただの妄言じゃねえかって言われそうである。
けど、そう思うんだから仕方がない。
ところで、話は変わるが、最近はCDが全然売れないなんて悲鳴が聞こえる。
オリコンチャートの2位に入ってても、売れてる枚数は1万枚くらい的な。
でも、考えたら1日でたくさんの枚数を売らなきゃ、という考えがそもそもオカシイのかもしれない。
思えば、ハイスタはセールスのあり方も他のバンドと違っていた。
1stフルアルバム『GROWING UP』と2ndフルアルバム『ANGRY FIST』はトイズファクトリーからリリースしているが、この作品はお金をかけて宣伝した作品ではない。
今作こそ、立て看板や駅のポスターやらを使ってお金をかけた「広告」をしたわけだが、初期の作品はそういう「広告」をほとんどしてこなかった(ハイスタメンバー自身が断っていた部分も大きい)
だから、CDが1日でどかんと爆発的に売れることはなかった。
けれど、毎日確実に何百枚かCDが売れるのだ。
それが一年以上も続いたというのだから、驚きである。
チリも積もって、それは何十万枚という数字に膨らむわけだが、何が言いたいのかと言えば、ハイスタは爆発的に売れたのではなく、潜るようにそのセールスを伸ばしてきたということだ。
なぜ、そんなふうにセールスが伸びたかといえば、おそらくはライブハウスで彼らをみた人たちが、そのライブに衝撃を受けて、その足でCD屋さんに足を運んでCDを買ったりしたわけだ。
だから、毎日少しずつCDが売れたのだ。
当時はネットがないから情報を取るためにはリアル店舗とかライブハウスにいくか、友達の口コミを聞くしかなかったわけで、人づてに少しずつハイスタの「凄さ」が伝わっていった。(これってまさしくハイスタがサプライズでニューシングルをリリースして、少しずつその情報が拡散されていったことと構図としてはまったく同じである)
今でも「口コミ」で人気を集めるバンドは多い。
そして、そのことを「バズった」なんていい方をする。
けれど、この「バズる」というものの現象を具に見ていけば、結局のところ、イロモノを提示したり、炎上したりして、強引に大衆の注目を集めて話題を呼んでいるだけのことが多い。
だから、その時はバズっても、次は続かないことが多いわけだ。
でも、ハイスタはそういう「飛び道具」で口コミを広げ、バズったわけではない。
単純に音で、ライブで人を魅了して、たくさんのロックファンを虜にしたわけだ。
今人気のバンドが10年間休んで、その後もファンが付いてきてくれるバンドがどれほどあるだろうか?
ハイスタの音楽は「速い・煩い・短い=ファスト・ラウド・ショート」であり、そこが人気の秘訣だったわけだけど、彼らの魅力の伝わり方や需要のされ方はその真逆だった。
ジワジワと広がり、人の心の深くまで静かにゆっくりと突き刺していったわけだ。
だから、ハイスタの18年ぶりの新譜は、ここまで「伝説」扱いをされるわけだ。
そして、ハイスタは新譜ではあえて「速い・煩い・短い=ファスト・ラウド・ショート」であることをやめ、もっとパンクの本質的なモノに迫るような音楽を響かせた。
だから、僕はハイスタの新譜はパンクロックのひとつの名盤であると感じた。
たぶんパンクを標榜するバンドで、こんなにミディアムでメロディーを聴かせ、しかも飽きがこないアルバム、今後なかなか出てこないと思うし。
そして、なにより、この作品は次の作品に繋がる、今後のハイスタが更に期待できる、文句のないマスターピースになったんじゃないかと僕は思う。
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