群青ランナウェイの作家性について
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作家性の強いアーティストが楽曲提供をしたとき、提供した楽曲からそのアーティストの作家性が色濃くかおるかどうかはケースバイケースであるように思う。
いや、もちろん、そのアーティストが楽曲提供をした、という事前知識のもとにその楽曲を聴けば、おのずとそのアーティストの絵が見えてくるケースは多い。
けれど、名前をまったくふせられた状態で「この楽曲は、このアーティストに提供されている気がする。なぜなら、そのアーティストの作家性が強いから」と判断できるケースはそこまで多くない気がする。
まあ、当然といえば、当然の話で。
楽曲提供する過程で、そのアーティストの作家性をマイルドにすることが常だからだ。
別に良いとか悪いとかではなく、違うアーティストに楽曲を提供するというのはそういうものだと思う。
だからこそ、その歌をセルフカバーで表情が変わるときに面白さがあったりするもので。
・・・なわけなんだけど、Hey! Say! JUMPの「群青ランナウェイ」は良い意味で、楽曲を提供したアーティストの作家性がびんびんに伝わってくるのだ。
そう。
この歌、NEEのくぅが作詞作曲を手掛けた歌なわけなんだけど、くぅの作家性がビンビンとつたわってくるのだ。
この歌、編曲にもくぅが参加していることもあり、NEEらしい疾走感と中毒性が楽曲全体にほとばしっているのである。
「群青ランナウェイ」の話
特に楽曲開始から25秒経って、シンセサイザーが炸裂するところ。
この感じが、完全にNEEのそれなのである。
印象的なフレーズを奏でるこのイントロが、NEEの楽曲にも感じる中毒性と親和していく。
それにパートとパートをブリッジさせる際に効果的に使われる音をループさせるアレンジだったり、サビに至る前のメロとサビの間のキメとかも、NEEで感じる高揚感と重なるものがあるのだ。
ボカロ的文脈と高速ロックチューンを巧みに織り交ぜながら、独特のリズムアプローチが、Hey! Say! JUMPに提供した楽曲でも果敢に発揮されているわけである。
特にBメロが圧巻で。
緩急つかせたラップパートで導入したかと思えば、その後にふいにリズムアプローチを変えていき歌メロへと移行。
そこから、アッパーなサビへとダイナミックに展開していく流れが、とにかく秀逸なのである。
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Hey! Say! JUMPの話
思えば、Hey! Say! JUMPの歌は、アーティストが作家性を際立たせた曲が多い印象を受ける。
例えば、 「狼青年」。
この歌は、女王蜂のアヴちゃんがプロヂュースを手掛けた楽曲であり、女王蜂の作家性が際立った楽曲となっている。
ただ、ここでポイントなのは、じゃあこの歌は<女王蜂の歌>になってしまっているのかといえば、そんなことはないということ。
確かに女王蜂らしい要素はたくさんあるんだけど、歌はきちんとHey! Say! JUMPだからこそに着地している。
アヴちゃんの作家性をHey! Say! JUMPが解釈して再構築したアウトプットを放つため、作品が持つ本来のクリエイティブとはまた違うフェーズにいっている印象を受けるのだ。
これは「群青ランナウェイ」でも強く感じること。
確かにNEEっぽいテイストの楽曲ではあると思う。
NEEがこの歌を歌う様子も良い意味でイメージがしやすい。
でも、「群青ランナウェイ」は、そういうくぅの作家性をHey! Say! JUMPが再構築しているからこその魅力を放っている。
特に印象的なもののひとつとして、ボーカルが生み出すドライブ性。
Hey! Say! JUMPの場合、8人でメンバーが構成されているからこそ、それぞれのパートで歌割りが行われる。
それにより、目まぐるしく展開される楽曲のメロディーラインに、また違う色合いが帯びていくわけだ。
一人だと息切れして歌えないメロディーの流れもそれぞれでパート割をするからこそ、息継ぎなく展開することができて、楽曲が持つドライブ性がとんでもないことになっているし。
サビのメロディーラインにおいても、8人で歌うからこそのアプローチになっている。
この歌のサビでは、二つのパートが同時に進行するような構成となっている。
メインの歌を歌っているパートがある一方で、メインの歌詞とは違うパートを歌っているパートが存在していて、絶妙な濃度でこの二つのパートが混じり合う構成になっている。
もちろん、一人のボーカルでも今の技術であれば、収音できる魅せ方ではあるけれど、多人数で構成されたHey! Say! JUMPだからこそ、この歌割りが効果的に響く。
しかも、情報過多になりそうな歌をメンバーそれぞれが丁寧に歌うことで、<怒涛>ではあるんだけど、<混沌>としていない色合いを帯びることになって、不思議なほどにスルッと聴けてしまう心地よさがある。
要は、くぅが持つ作家性を丁寧に汲み取りながら、Hey! Say! JUMPらしい魅せ方に落とし込んでいるという一連の流れが、美しいということなのだ。
くぅの楽曲をHey! Say! JUMPが歌うからこそ、の魅力がどこまでも駆け巡っているのである。
まとめ
こうやって聴くと、「群青ランナウェイ」はHey! Say! JUMPが歌うからこその歌だよなーと思う。
他の人が歌ったら(それはNEEも含めて)、きっとまったく違う色合いになってしまったんだろうなあと思うから。
Hey! Say! JUMPだったからこそ、こういう色合いの歌になったのだろうし、こういう色合いの歌になったからこそ圧倒的な中毒性を発揮することになった。
そんなふうに思うのである。
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