Sexy Zoneと椎名林檎が共犯関係になっている 「本音と建前」の話
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アーティストが楽曲提供をする、と一口に言っても色んなケースがある。
楽曲を提供するアーティストも、楽曲を提供してもらうアーティストもそれぞれ個性というものがあるわけで、楽曲提供というコミュニケーションの中で、色んなドラマが生まれるわけだ。
なにより、楽曲提供したことで、お互いの個性がどのように揺れ動くのかは、その楽曲ごとにおおいに異なる。
例えば。
楽曲を提供する側が、意図的に楽曲を提供してもらうアーティストの個性に寄り添って楽曲を作る、というケースがある。
こういう場合、楽曲提供者の作家性は耳で見える形では現出させず、どこまでも黒子となって「そのアーティストのための良い歌」を作り上げるような構成になっている。
あとからクレジットを見て、この歌ってこのアーティストが提供していたんだ、とびっくりするケースもある。
その一方で、ぶりぶりに楽曲提供者が個性を際立たせて、そういう楽曲を提供するケースもよくある。
「誰が歌うか」なんて二の次だ。
俺は、私は、こういうときでもこだわりを忘れないぜ。
そんな温度感が見えてきそうなくらいの温度感の楽曲を提供するケースもあるわけだ。
いや、もちろん楽曲を提供した側は、発注した側のオーダーを踏まえながら楽曲を作っているのだとは思うし、どういうオーダーをしたのか、という部分については聴き手側にはわからないところである。
なので、個性が云々は聴き手側の妄想ではある。
でも、確かに完成した楽曲を聴く分には、楽曲を作った側の個性が炸裂しまくりやん、という楽曲がいくつも存在していることは確かだ。
意図的なのか、意図的ではないのか、そういう発注をされたのか、されていないのか、ということは別にして、だ。
そういう楽曲は名前を伏せてその楽曲を聴いたとしても、きっとこの人が楽曲を作ったはず・・・やっぱりね・・・!と思わされてしまうことになる。
コードの手癖がそうさせているのか、お決まりのフレーズを使っているのはケースによって異なるが、楽曲に作り手の個性が宿りまくっている提供曲はいくつもあるし、時にそういう楽曲がシーンを大いに沸かせてきた歴史がある。
で。
そういう楽曲提供側の個性、炸裂しまくりやんソングの一派に名を重ねた楽曲が、2023年にまたひとつ誕生したのだった。
それが、今回の記事で紹介しようとしている、Sexy Zoneの 「本音と建前」である。
この楽曲は椎名林檎が楽曲を手がけた楽曲だし、歌詞からアレンジから色んな要素で椎名林檎のイズムをひしひしと感じさせる楽曲になっている。
自分も今年は色んなアーティストの提供曲を聴いてきたけれど、ここまで作り手の個性が際立っている楽曲もそうそうないのではないか。
そう思わせる楽曲構成になっている。
何が椎名林檎感を生み出しているのか。
これをきちんと説明するのは難しいんだけど、でも一聴するだけで、きっと多くの人がそう感じてしまう要素が、この楽曲には散りばめられている。
逆に言えば、ほぼ全ての要素に、椎名林檎だからこその空気感が纏っていたとも言える。
冒頭のイントロのサウンドとメロディー構成の段階で、なんとなく椎名林檎感を漂わせる。
そこから紡がれる音と音の全てで、良い意味で椎名林檎的な既視感を覚えさせる作りになっているのである。
堪能的な色気を感じさせる言葉選びとか、ジャジーでシックな音の構築とか、コードの運び方とか。
挙げたらキリがないほどの椎名林檎の色合いが見え隠れするのである。
しかしながら、ここで問題がひとつ生まれる。
楽曲の構成とか仕立てに椎名林檎感が漂っているということは、「ボーカルが椎名林檎ではない」という部分に違和感が生まれる可能性が高くなるとも言えるわけだ。
これは提供楽曲に作家性が宿るからこその懸念点のひとつである。
が、どうしても、サウンドや歌詞やメロディーから作り手の「絵」が浮かぶ楽曲であると、その絵とは異なるボーカルが聞こえてくると、それがプラスに働かないケースが多くなってしまう。
そのボーカルが、安易な表現力であれば。
だからこそ、Sexy Zoneがこの歌を歌っているのを聴いたとき、びっくりしたのだった。
確かにどこまでも椎名林檎の雰囲気が宿りまくっている楽曲である。
でも、その一方で、ボーカルにまったく違和感がなかったからだ。
この楽曲の中で、収まるべく形でボーカルがハマっているのである。
もっと言えば、きちんと楽曲の作家性とボーカルの表現力が共犯者となって、この楽曲の世界観を作り上げているのである。
どちらが浮くなんてことはしない。
それぞれがそれぞれの個性を引き出しながら、色んな要素を形作っていくのである。
官能的な感じも、大人な魅力を充満させる感じも、クールな楽曲でありながらもスリリングな空気感を作り出す感じも。
椎名林檎の楽曲があって、Sexy Zoneのボーカルがあるからこそ、を成立させているのである。
特に中島健人と菊池風磨の二人のボーカルのハマり方は流石だと思う。
とにかくボーカルに艶があるしボーカルを伸ばしたときの表情が、椎名林檎の独特なフレーズを立体的に響かせる印象。
椎名林檎の歌詞って普通のポップスでは出てこない言葉を積極的に使うから、安易に違う誰かが歌うと言葉が浮いてしまう心地になるんだけど、二人はそういうフレーズを「自分の頭で生み出した言葉」のように、口についてメロディーにのせて歌にしていく。
だから、聴いていて気持ちいいし、どんどん楽曲の世界観を鮮やかにしていく。
その感じに、めっちゃ痺れたわけだ。
もちろん、二人のみならず、四人のボーカルのバランスが絶妙なので、どこを切って聴いても気持ちよいのである。
端的な言葉で言えば、要は「ボーカルに表現力がある」ということなんだと思う。
でも、そういう言葉で済ませるには憚れるほどに、Sexy Zoneのボーカルが 「本音と建前」という楽曲にハマっていた。
唯一無二で、しかるべき楽曲世界を作り上げていたのだった。
まとめに替えて
というのもあるし、近年、Sexy Zoneは他のアーティストと違った、懐かしいけれど新しいポップスをどんどん生み出していて、『Chapter II』では明確にSexy Zoneだからこその作家性を生み出していたように思う。
「本音と建前」は確かに椎名林檎の名前が出やすい楽曲ではあると思うが、そもそもSexy Zoneが『ザ・ハイライト』と『Chapter II』で流行と違う、懐かしい音像で最新のポップスを歌い、そういう楽曲を活かすような形のボーカルを磨いてきたからこそ、その延長線上に 「本音と建前」があったことは強く思うわけだ。
構造としては、『Chapter II』とやっていることは似ている。
強いジャンル性のある音像を、自分たちの色に塗り替えながら新しい音楽世界を生み出している、という意味では 「本音と建前」と近年の作品には通ずるものがあるわけだ。
Sexy Zoneは明確に自分たちの個性を磨いてきたからこそ、 「本音と建前」でこのような共犯関係が生まれたのだと、そのように思うのである。
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