Official髭男dismが「日常」で生み出した世界観についての考察

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Official髭男dismの楽曲って良い意味でひねくれているというか、トリッキーな歌が多い印象だ。

表面的には、この歌は白色だ!と思わせておいて、楽曲を聴き進めていると、突然黒色の部分が登場する・・・みたいなトリッキーさを内包していることが多い。

あるいは、既存のJ-POPなりバンドなりの楽曲の常識を覆すような楽曲構成でもって、メロディーなりアレンジなりを展開していく楽曲も多い。

なので、いつしかOfficial髭男dismというバンドは、そもそもトリッキーな楽曲を歌うバンドである、と認識している人も一定数出ている印象。

以前、ブログ上でも取り上げた「Chessboard」もまた、不思議な手触りの楽曲であった。

 

Official髭男dismの「Chessboard」を聴いた結果、小笹大輔がやらかしたことに気づいた件

 

タイアップの内容を考えると、もっと”歌”にスポットを当てたタイプの、合唱しやすい歌になるのかなーと思っていて、確かにそういう要素の楽曲ではあるんだけど、それだけでは終わらない面白さがあるのだ。

ギャンギャンにギターを弾き倒す、アグレシッブさも内包した独特の魅力を放つ楽曲になっていたのだった。

このタイアップで、こんな手触りの楽曲を生み出すとは・・・。

さすが、ヒゲダン・・・!

当時はそう思ったものだった。

こうなると、次はどんな手触りの楽曲を生み出すのか、ワクワクが半端ないことになる。

色んな意味で身構えずにはいられない状態。

そんな中で、次に発表された楽曲のタイトルが「日常」。

おいおいおいおいおい。

と思った。

そうか・・・日常というタイトルだから素朴な感じになっていて、例えるならアニメでいうところの「サザエさん」のような手触りの楽曲かなと思って聴いてみたら、数十秒後に、完全に油断させているところに、とんでもない角度からとんでもないパンチを食らわせて、そのギャップにうわあーとさせる作戦なのだとしたら、そういう度肝の抜かされ方は、今回はしないぞ。

今作は日本テレビ「news zero」テーマ曲というタイアップは付いている。

穏やかな歌になりそうというお膳立てはきっちりできている。

でも、蓋を分けてみたら、小笹大輔がメタル愛を爆発させるようなゴリゴリのギターをプレイするかもしれない、楢﨑誠のベースだけが高らかに存在感を示す、分厚サウンドソングを披露するかもしれない、松浦匡希が爆撃のようなドラムソロを披露して、終始ハイテンションな楽曲構成をお披露目するかもしれない。

これまでのOfficial髭男dismがリリースした楽曲を考えると、どれもありそうだし、そのどれとも違う構成で魅了する可能性も大いにある。

サウンドではなく、藤原の自由な高低差を展開する、ジェットコースターなメロディーラインで勝負を仕掛けるのかもしれない・・・!

そんな感じで色んな想像を頭に描きながら、「日常」という楽曲を聴いたのだった。

Official髭男dismの「日常」の話

結論から言うと、近年のOfficial髭男dismの配信された楽曲の中でも、群を抜いて素朴さが際立つ楽曲となっていた。

「日常」というタイトルにも見合っているし、タイアップとのマッチングもバッチリなテイストの楽曲になっていたのだった。

素朴に、良い歌だったのだ。

この「素朴さ」をあえて、他の言葉に置き換えるならば、他のアーティストにも歌わせる気のある歌、とでも言えばいいだろうか。

Official髭男dismの歌って、並の”歌い手”にカバーをさせる気がないような構成の楽曲をお披露目することが多い。

そんな中で、今作はそういう”落とし方”をしない楽曲になっているように感じたわけだ。

その感じが、この楽曲の持つ素朴さと繋がっている気がする。

でも、こういうテイストの楽曲だからこそ、改めて思ったのは、Official髭男dismはトリッキーであることが魅力のアーティスト、というわけではないということだった。

もちろん、藤原のソングライティングは大きな魅力である。

他のアーティストにはないセンスで、楽曲を構築するその才能は唯一無二だと思う。

でも。

そこから仮にトリッキーな部分を引き算したとしても、Official髭男dismの魅力にブレが生まれることはない。

そもそも、小笹が、楢﨑が、松浦が、時に楽曲の主役になるように存在感を魅せるアレンジをすることがあっても、それはいつもその楽曲において相応しいアレンジをした”結果”でしかなかったことを痛感するわけだ。

ドラムが際立つべき楽曲だからドラムが際立つことはあっても、最初から意表を突くためにドラムが主役になる・・・という方針でアレンジを組み立てることはない。

メンバーそれぞれの楽曲に対する解像度が高いため、楽曲ごとに必要な役割を担い、しかるべき音を楽曲に添えていく。

その感度がOfficial髭男dismはとても高い。

きっと「日常」においては、これがベストだとわかっていたからこそ、こういうアレンジになったんだろうなーとぼんやりと思う。

楽曲が持つ、素朴かつ丁寧なアレンジを聴くと、改めてそのことを実感したのである。

ただし、単に素朴と言っても、奥が深いことも感じさせるアレンジになっている。

というのも、今作は素朴な印象の楽曲でありながら、各楽器のパートは細かく変化しているからだ。

さっきまではこの楽器はこういうリズムでこういう音を鳴らしていたけど、次のフレーズではこういう表情の音を作っているぞ・・・!という細かな巧みが際立つアレンジになっているのである。

この辺りはひとつの楽器に意識を集中させながらアレンジを聴くと、強く感じる部分である。

なので、「日常」って全体の聴き触りとしては素朴ではあるんだけど、仕事と芸がとても細かい楽曲であることも実感するのだ。

あと、今作は藤原はあまりハイトーンな歌声は使わず、比較的穏やかなメロディーラインを歌っているが、それも良い。

なにより、それが結果として、この歌の持つ優しさを際立たせているようにも思う。

高音だとどうしても声を張ってメロディーを紡ぐため、迫力は出るんだけどパワーが強くなりすぎる印象がある。

でも、「日常」はその辺の力の塩梅も考えられているような印象のメロディーなので、より楽曲全体の印象が穏やかになっている気がするのだ。

そういうボーカルのあり方もぐっとくるし、こういうトーンの藤原のボーカルが好きな自分にとっては、そもそも耳心地が良すぎて、快楽にも似た感動を聴覚に取り入れることになるのである。

連続リピートの沼に入ってしまうのである。

まとめに替えて

まとめはシンプルに、Official髭男dismのこういうテイストの歌、改めて良いなあと感じた、そういう話。

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