前説

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新体制でどんな作品を作るのか。

ワクワクがありつつも、不安もあった。

だって、想像がつかなかった。

どんな作品を作るのか、まったく想像がつかなかったから。

ヒトリエって、わりと強みがわかりやすいバンドだった、とは思う。

しかし、その強みってwowakaがいたからこその部分が強いと正直思っていた。

少なくとも、ヒトリエからwowakaを引き算したときの音楽は、それまでのものと大きく変わるものになる予感はあった。

それが、どのような形になるのか。

それが、何とも言えなかったのだ。

だから、ヒトリエがもし新作を作るとして、その作品がどんなものになるのか、不安な部分も正直あったのだ。

そんな中、ついに新生ヒトリエが新曲を発表することになった。

シノダが作詞作曲を手掛けた「curved edge」という歌が世に放たれたのだ。

本編

ヒトリエの新たな魅力

こういう言い方をしちゃうと、怒られるかもしれないけれど、期待を裏切るような作品になったと思う。

もちろん、それは良い意味で。

だって、この作品、想像以上にかっこいいと思ったから。

もともと演奏力には定評があるバンドだったヒトリエ。

確かにヒトリエがゴリゴリなロックを演奏したらかっこよくなる。

今思えば、当たり前の話だ。

でも、そのかっこよさがどういうふうに着地するのかは、正直わからなかった。

昔の焼き直しのような作品を作るのか、それともヒトリエの個性が消えた楽曲を生み出してしまうのか。

そこは、新曲を聞くまでわからなかったのだ。

で。

「curved edge」は、ヒトリエならではの演奏の濃い部分が詰まった曲となっている。

しかも「curved edge」の凄いところは、昔のヒトリエの焼き直しでも、ヒトリエの個性が消えてしまった曲でもないということなのだ。

どういうことか。

当然ながらシノダがボーカルをとることで、今までのヒトリエとは違う楽曲になっている。

これは当たり前の話である。

でも、それ以上に大きな変化が出ている、というわけではない。

なんというか、ちゃんと楽曲全体の雰囲気は、今までのヒトリエを踏まえたような感じになっているのだ。

この歌を聴いて、直感した。

今まで、ヒトリエの個性はwowakaがいたからこそだと思っていたけれど、それは違っていたのだ。

ヒトリエの個性は、ヒトリエのメンバー全員が作っていたものだったのだ、と。

だからこそ、一人分だけヒトリエらしさに変化が生まれた。

「curved edge」における変化って、そういうことなのだと思うのだ。

今までのヒトリエと違う分だけ、新しいヒトリエの曲になっているのだ。

今までのヒトリエらしさもあるし、今のヒトリエだからこその個性も際立っている。

個人的に新しさを感じたのは、楽曲全体のリズムアプローチ。

ヒトリエの歌って、高速的なビート感で突き進むことが多かったと思うんだけど、この歌は疾走感よりもある種のドロドロさ(という表現が正しいかはわからないけど)が際立った歌だと思う。

ゆったりとしたリズムにすることで、リズムに対して自由になり、枠組から自由になった楽器隊が自分たちのやり方で凄さを見せ付けている感じがするのだ。

そういうアプローチに、ヒトリエの新しさを感じるのである。

特にイントロとAメロのリズムアプローチには新しさを覚える。

特にドラムはそういう叩き方をするんだという部分をたくさん見て取ることができる。

きっと、曲を聴いてもらったら、ここで言いたいことがわかってもらえると思う。

とはいえ。

リズムの遊ばせ方という点においても、単に新しいだけではなく、今までのヒトリエらしさが宿っているなーと感じる部分もある。

そこでそういうリズムを連続させるのか、みたいなユーモアはヒトリエのメンバーならではのものを覚えるのだ。

例えば「またプリング・ハンマリング繰り返して」の部分なんて、その真骨頂だと思う。

この部分はワードチョイス、リズムに対するユーモア含めて、ヒトリエらしさが炸裂していて、とても好きな部分である。

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歌詞について

あと、歌詞のセンテンスにも、どこかしらヒトリエらしさを覚える。

うまく言葉にするのが難しいけれど、全体的にヒトリエの世界観にふさわしい言葉が使われている気がするのだ。

「味の無いドロップ」とか「猟奇的なこの痛み」とか。

ヒトリエの世界観だからこそハマる言葉で歌詞を彩るから、「curved edge」はヒトリエの世界観らしくなっている気がするのだ。

ちなみに、個人的にぐっときたフレーズはこれ。

君ならどうすんの、駄作と解っても
消え去りたくない、壊されたくない

なんとなく今のヒトリエだからこそ、このフレーズを歌うことにぐっときてしまうのである。

「君」という言葉の意味深さや、「駄作」という言葉の差し込み方に、不思議とぐっとくるものを覚えるのである。

どうしても今のヒトリエだからこそ、この言葉に言葉以上の意味を覚えるのだ(書いた本人がどういう意図なのかは置いといて)

そもそも、曲全体をみたときに、「curved edge」の歌詞って、新生ヒトリエのある種の決意表明みたいなものを感じる。

だからこそ、この歌は、

こんなクソみたいな現実見させられてもまだ尚、
僕ら不健全な瞬間に飢えて飢えて仕方無いのさ

というフレーズをサビで歌い、

やめられやしないね、もう戻れやしないね
ほら面倒臭いフレーズ
聴神経に突き刺され

という言葉で締めくくるのかなーと思うのだ。

このフレーズに、今のヒトリエの、そしてこれからのヒトリエの決意が表明されている。

そんな気が、どうしてもしてしまうのである。

面倒臭いと言いながら、聴神経に突き刺されと歌うその言葉に、僕はぐっときてしまうし、少なくとも自分の聴神経に「curved edge」の音楽が突き刺さった。

そのことに間違いないのだ。

まとめ

これからのヒトリエも、きっとかっこいい音楽を作っていく。

そのことを確信できたのは「curved edge」という楽曲を聴いたから。

今のヒトリエだからこそ作れる、ヒトリエらしい歌を、これからもこのバンドは作るはず。

改めて、そう思ったのだった。

だって、今のヒトリエの音楽が、間違いなくかっこいいのだから。

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