ヒトリエってどれくらい認知されてるんだろう?
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気になったので、アンケートをとってみた。で、結果がこちら。
システム上、複数投票はできないし、あくまでも自分のフォロワーの一部とその周辺しか投票はしていないので、大したデータではないんだけど、それでも答えとして如実に出てきたもの。
知らない人多いのか……ヒトリエ……。
同じボカロ出身でも、米津はあんなに人気があるというのに。(まあ、米津玄師がボカロ出身という事実に対する認知度がどれくらいなのかは定かではないけども)
ヒトリエのフロントマンであるwowakaと言えば、ボカロ界隈に、そして、ボカロ世代の同期である米津にも、大きな影響を与えたアーティストである。
それを差し抜きにしても、ヒトリエを凡庸なる一バンドとして終わらせてしまうのは勿体ないので、この記事では改めてヒトリエのことを書いてみたい。
ヒトリエってどんなバンド
某サイトなんかだと「ボーカロイドバンド」なんて揶揄していたりする。
曰く、息継ぎを無視のボーカル、容赦ないカッティング、人力を超えたテンポで放つドラムが「ボカロ音楽」であり、それを人間が再現できるレベルに落とし込んだのがヒトリエというバンドなんだ、みたいな論調。
寝言は寝てから言ってほしいし、寝れないなら寝れないで目をつぶって口を噤んで大人しくしておいてほしい。
いや、いいんですよ。ヒトリエをボカロっぽいと思うのは。
ただ、これだけは言いたい。
もしヒトリエを聴いて「ボカロっぽい」と感じるのであれば、それはあくまでもヒトリエのフロントマンであるwowakaが作ったイメージのうえに成り立っている、といるんだぞ、ということを。
wowakaはボカロで大きな功績をあげた。
故に、wowakaに影響を受けたボカロPがたくさん出てきたし、再生数を稼ぐボカロ曲を作るにはwowakaっぽい歌を作ればいいのだ、そんな風潮まで生まれてしまった。
一時期のボカロはwowakaの模造品のような作品ばかりが生まれた。ボカロに前述のようなイメージができたのはそれ故である。
wowaka的なソングラインディングセンスに触れるだけでボカロっぽいと感じてしまうのは、それだけ一時期のボカロPが節操なくwowakaのエッセンスをパクっていたという話。
もちろん、米津(ハチ)がwowakaに影響を受けたと公言しているのと同様に、おそらくwowakaだって同じくらいに人気者だったボカロPから影響を受けていた部分はあるはずで、wowaka一人でボカロの色を染めた、という言い方自体は正しくはないんだけどね。
それよりもこれを見てほしい。
見てもらったら分かる通り、米津玄師もこのようにwowakaのことを評しており、ある程度の期間、ボカロも邦ロックも聴いてきた人は、ほぼ間違いなく、こういう評に行き着くと思うのだ。
前提として覚えておいてほしいのは、ふたつ。
ヒトリエは「ボーカロイドバンド」という評は間違いであるということ。
もうひとつは、あの米津玄師ですら一目をおき、ボカロに多大な影響を与えたwowakaという人間がフロントマンを務めているのがヒトリエというバンドなのだということ。
楽曲高速化の話
とはいえ、ヒトリエの音楽において「楽曲の高速化」という要素は重要だと思う。
まあ、2010年代後半になれば「速い音楽」が当たり前になったので、今の若い子がヒトリエを聴いてもそんなに速さを感じないのかもしれないけど。
ところで、楽曲の高速化の流れは2010年くらいから進んだ印象なんだけど、邦ロックよりも先にボカロやアニソンでその現象が現れていたように感じる。
アニソンで言えば、例えば『らき☆すた』の「もってけ!セーラー服」くらいのタイミングでアニソンの高速化が意識的に行われたように感じるし、2010年の「けいおん!」の各主題歌がそのトドメを刺した感がある。
ボカロは前述したようにwowakaが「楽曲高速化」を仕掛けた部分が大きい。
そして、それに追随するかのように邦ロックやアイドルソングも「楽曲の高速化」を露骨に推し進めるようになった。
邦ロックにおいては、そこからサークル史上主義が生まれたり、アイドル界隈なら命を賭けたオタゲーやってやんよ勢が生まれたりと、早いビートに身を投じてスポーツ感覚で音楽を楽しむ、という風潮が生まれがちだったりもして。
まあ、この見通し自体が雑だとしても、色んなジャンルが、同じくらいのタイミングでメロディーの高速化の動きが進んだことは間違いない。
そして、誰よりも早くwowakaがボカロでそういう仕掛けをしていたし、もしかしたらwowakaがボカロにそういう影響を与えたからこそ、他ジャンルにそういう波がきた、と考えることができるかもしれないということ。
だから、ヒトリエって「楽曲高速化」の源流であるとも言えるのだ。
ただし、wowakaの「高速化」は単にお客をワチャワチャさせるための方法論なんかではなくて、自分の楽曲の良さを引き出すためのアプローチのひとつとして行なっていたということは主張しておきたい。(ヒトリエの魅力の本質はキャッチーでポップなメロディーと、ダサカッコイイギターのリフにあると思うから)
このことを上手に言語化しているのは、ユニゾンの田淵だと思うので、ここで彼がヒトリエを評した言葉を引用してみたい。
4年前くらいにYouTube動画で偶然聴いたのが「モンタージュガール」でした。
その時期はバンドが次から次へとトレンドとして世に送り出される風潮が特に強かった記憶があるのですが、そんな中で「唯一無視されてた領域をカバーするバンドが出てきた」と戦慄したのを覚えています。
その「領域」というのを無理やり説明すると、楽曲構成とそれを実現する演奏技術、二つにおける偏差値の高さです。
出典:音楽ナタリー(最終閲覧日:2018年5月10日)https://www.google.co.jp/amp/s/amp.natalie.mu/music/news/259986
そういうことだ。
だから、ヒトリエは凄いのだ。
いや、ほんと彼らの音源を聴いてほしい。
田淵の言いたいことがわかるにせよ、わからないにせよ、なんとなくピーンとくるものはあると思うのだ。
どうですか?どう感じましたか?
ここで、言いたいのは、そういうことです。
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ヒトリエの勿体なさ
ひとつだけヒトリエが勿体ないなーと感じるのは「ボカロPであるwowakaがバンドを始めた」という看板を背負ったうえでバンドをやらざるを得なかったこと。
要はwowakaってこういう人であり、こういう曲を作る人であるという自己紹介が終わり、彼に求められている個性が明らかになってしまったうえで、バンドをせざるを得なかったこと。
これが勿体なかったし、だからこそ、ヒトリエはバンドであることに拘りすぎていたフシがあった。
もっと他の音を使えばいいのにあえて使わなかったり、ライブの再現性を意識した音作りをしてしまっていたり。
ヒトリエの音楽に幅の広さを感じない人がいるとすれば、wowaka自身が常に「ボカロPであった頃の自分との差別化」を意識して、ヒトリエというバンドを動かしていたことが関係していたように思う。
今ならボカロ出身のバンドといえば、PENGUIN RESEARCHとかサイダーガールとか色々いるんだけど、ヒトリエが出てきた当初、その路線はまだ異端だったし、明らかにヒトリエはボカロありきの評価が強かった。(メンバーの多くがニコニコ動画などで音源を発表していたことも関係していると思う)
米津の場合は、米津とハチはかなり乖離していたし、ふたつのファンは明確に分断されていたから(何より本人はそこまで意識していなかったから)どこまでも音楽に対して自由にやれたんじゃないかなーと思うのだ。(まあ、だから米津は好きなのにボカロは嫌いなんてファンも当時はけっこういたりしたのだが)
あと、ボカロという話に寄せて言えば、ヒトリエっていわゆるロック好きのファンよりもオタクっぽいファンの人が多い印象がある(怒られる)。
もし、この言い方がまずいとすれば、一般的な若手ロックバンドのファンとは違う身だしなみをしているファンが多かった。少なくとも初期の頃は。僕の観測範囲では。
だから、ボカロのwowakaは好きだし、ヒトリエの作る楽曲も好きなんだけど、やっぱりボカロの方がいいな、せめてボーカルが女声だったらなあ。。。みたいな人も多かったわけだ。
実際、この記事を含めて、ヒトリエにまつわる記事の多くは、ボカロを含めての切り口である場合がほとんどで、それがヒトリエというバンドの辛さであり、勿体なさだったんだろうなーと。
でも、だからこそ、ぐっとくる出来事もあった。
2017年、wowakaが6年ぶりに初音ミクのために書き下ろした楽曲(あえてこういう書き方をします)「 アンノウン・マザーグース」を聴いて、純粋にうわあーこれはすげえーなって感じたのだ。
この歌、初音ミクverもヒトリエが演奏して録ってるんですよ。
ボカロ曲だけど、生音に拘ったのだ。
その結果、wowakaって、ヒトリエって、こんな地平までやってきたんだぜ、っていうのがすごく見える曲になってたと思うのだ。(ヒトリエのセルフカバーを聴くと、なおそれがよく見えてくる)
この歌は、この記事の頭で述べたwowakaっぽさ、ボカロっぽさが積極的に取り込まれた歌ではないんだけど(もちろんそういう要素もあるが)、だからこそどこまでもwowakaの拘りが詰まっている。
初音ミクへの愛とか、俺ってこんな音楽が好きなんだぜって清々しさとか、そんな色々なエッセンスが詰まっているように感じるのだ。
冒頭のような上っ面の要素なんかじゃなくて、徹底的に「wowakaが好きなフレーズをぶち込み、初音ミクに愛を述べた歌」。
そんな気がして、僕はこの歌がとっても好きなのだ。
このセルフカバーも収録した2017年にリリースされたミニアルバム「ai/SOlate」に収録されている6曲の楽曲は、どこまでも新生ヒトリエ感がほんとに凄くて、ヒトリエってこんなこともできるんだという目から鱗感がすごい。
おそらく、このタイミングでボカロというジャンルにヒトリエとして対峙したからこそ、ようやく「バンドである自分たち」から、ある種、自由になれたヒトリエが生まれたんじゃないかなーと思った次第で。
ヒトリエがボカロに囚われた束縛を断ち切って、バンドであることの自由を手に入れた、そんな雰囲気が新譜からひしひしと伝わるのだ。
ヒトリエが新たにブレイクするために
そんなこんなで、ボカロを知っている人からすれば圧倒的だったヒトリエだが、2015年以降に邦ロックの沼に浸かった人に限れば、一気にヒトリエの認知度は下がるイメージがある。
冒頭のアンケートでもそういう数字が出ていたし。
なぜヒトリエを知らない人が増えたのだろうか?
僕なりに考えてみた。
2010年代前半と、後半にかけてで大きく変わったもの。それはやっぱり「スマホの普及率」だと思う。
そして、スマホがでてきて大きく変わったのは、SNSの扱いだと思う。
Twitterであれインスタであれ、それが自分の生活で占める割合が大きくなると、そこで交わされる情報が世界の中心となりがちで。
だから、好きなバンドの情報はどんどん入るけど、好きじゃないバンドの情報からはどんどん遠ざかっていく。
そんな邦ロック民が「新しいバンド」に遭遇するきっかけがあるとすれば、フェスの存在は大きい。
テレビや雑誌よりも、フェスの方がメディアとしての価値があるように思う。
逆に言えば、そこに名前があがりにくいバンドはなお「いないもの」として扱われがちになる。
ヒトリエはフェスからは距離を置きつつあるバンドであり、少なくとも、メガフェスで積極的に名前があがるバンドではなかった。
これにより、認知度が下がってしまったのだと思う。
別記事で「CHAIのことを知らない人がいる」みたいな記事を書いたが、これも同じ理屈だ。
TwitterのTLで話題にならず、自分のフェスに名前が上がらないバンドは「いないもの」として扱う勢がそれなりにいて、それが明らかになったという話。
ヒトリエもまた、そういう状態に(良くも悪くも)いるバンドなのかなーという印象。
印象が薄くなると困るのは、そこから新たなアーティストの物語は生まれづらいということ。
アーティストの物語はすごく大事だ。
ビバラなんかでも話題になるのは、ライブそのものの話よりも、ウーバーとやまたくの煽りと茶番の話とか、キュウソとホルモンに関する客入りと動線の話とか、そんな話ばかりである。
それが意味するのは、ファンはアーティストの音楽そのものよりも、そこに宿る物語性を楽しんでいるという事実。
いや、別に音楽をないがしろにしているわけではないとは思う。
音楽ももちろん大事だし、それが根本ではあるんだけど、アーティストの物語がたくさんの人に共有されることが(売れるうえでは)大事なんだよなーと思っていて、ヒトリエにはそれが圧倒的に足りない。
それこそ、米津なんかと比べると、なおのこと。
けれど、そんな理由で、ヒトリエというバンドが埋没するのは勿体無い。
だから、この記事ではあまり語られなくなっていた、ヒトリエというバンドの物語のひとつを、ここで紡げたらなんて思って、記事を書いた次第だったりして。
まとめ
だから、知っている人が増えたらヒトリエはさらに飛躍すると思う。
なぜなら、作っている音楽は間違いないから。
いや、マジでこの記事にあげてる音源からでいいから聴いて欲しい。
ほんと普通にかっこいいから!っていうそういうオチ。
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