なぜ優里の「ドライフラワー」がこんなに聴かれるのかを考察してみた
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サブスクでよく再生される歌は何ですか?
そういう問いかけでよく名前が出てくるのが優里の「ドライフラワー」である。
そう、この歌、とにかくたくさんの人に聴かれている。
そこで、この記事ではなぜこの歌がたくさんの人に支持されているのか、ということについて考えてみたい。
本編
基本的に国民的なレベルのヒットソングの場合、世代を越えたその楽曲が普及していることが多い。
そして、なぜ世代を越えて普及したのかを考えていくと、楽曲を取り上げるメディアを横断するから、ということが挙げられると思う。
瑛人の「香水」なんかは、お笑い芸人らがこぞってカバーしたことで、テレビが楽曲を聴くケースが増えて、それが結果的にこの楽曲を国民的知名度にして、ヒットソングになったという背景があるように思う。
あるいは、米津玄師の「Lemon」やOfficial髭男dismの「Pretender」はドラマの主題歌になったことがリスナーの間口を広げた結果になった気がする。
しかし、そう考えたとき、「ドライフラワー」はそういうわかりやすく世代を越えた楽曲を広げる土壌があった印象は薄い。
少なくとも、タイアップありきで広まったのではなく、素直に楽曲を「良い」と思う人がたくさんいて、それが結果的に楽曲の知名度を上げていったような印象を受けるわけだ。
もちろん、ヒットソングは楽曲が良いからこそヒットソングになるわけだが、優里の「ドライフラワー」はヒットになる流れは前述した楽曲とは少し違うよなーと思うし、楽曲における「良さ」も少し異なっているような印象を受ける。
色んな音楽を聴いた人間からすると、「ドライフラワー」はどこまでも率直なバラードであるように思う。
泣きメロ、ドラマチックなバラードとしてはどこまでも王道感がある。
そして、その素直さが、この楽曲における最大の魅力かなーと思うわけだ。
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王道的な感動
日本のポップスはどんどん洗練されており、ある種、歌謡曲的なものとどれくらい距離を置いたうえでキャッチーを成立させるか、みたいなところがポイントになるパターンが多い。
ただ、優里のこの楽曲は良い意味で、そういう<流行り>とは距離を置いている印象を受けるのだ。
泣きバラードであることにどこまでも真っ直ぐな仕立てであること。
弾き語りでも成立しそうな、耳馴染みの良いわかりやすいメロディーラインであること。
共感性の高い切ない恋物語であること。
人によってはとっくにやり尽くされたと思われるような要素と真正面から向き合い、それをきっちりと向き合ったからこその聴き心地がこの歌には、ある。
メロディーやリズムアプローチにおいて、どんな人でも<とりあえずは>カラオケで歌うことができそうな穏やかさがこの歌にはある。
この感じがこの歌の最大の魅力となり、たくさんの人に刺さる歌になったのだと思う。
なにより、こういうアプローチが優里の魅力を最大限にしたのだろうなーと思う。
少しビターみのある歌声が、このメロディーと途方もなくマッチしたのだと思うわけだ。
この、ある意味で避けがちな<王道感>で勝負したからこそ、「ドライフラワー」は圧倒的な話題を勝ち取る楽曲になったのだと思う。
まとめ
「ドライフラワー」のメロディーの耳馴染みの良さは圧倒的だと思うし、こういう<メロディーそのものの耳馴染み>を優先した楽曲が減ってきているからこそ、「ドライフラワー」の魅力はシーンにおいて尖鋭的に輝いたのかなーというのが、この記事のだいたいの結論。
あと、優里がこういう恋愛ソングを歌うからこそ良いんだろうなーということもある。
この両輪が見事だからこそ、圧倒的なヒットソングになったのかなーと、そんなことを思うわけである。
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