Suchmosの話

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バンドによって、ここが要、というポイントは大きく変わると思う。

ボーカルが生み出す楽曲の世界感が要というバンドもいれば、バンドが生み出す熱量が要というバンドもいるだろう。

そう考えたとき、自分にとってのSuchmosの要は、グルーヴにあると思っている。

グルーヴ、というと少しざっくりした物言いかもしれないが、これについては少しずつ言葉にできればと思う。

Suchmosとシティ・ポップ

日本のバンドシーンにおいて<シティ・ポップ>という言葉が流行った。

何をもって<シティ・ポップ>と表現するかは別の問題としてあるし、リスナー全員がその言葉に対して、同じイメージを共有しているというものではないだろう。

けれど、確かに<シティ・ポップ>という言葉が流行り、その言葉を中心にしてバンドシーンの雰囲気が大きく変わったことは確かである。

少なくとも、マス的なロックフェスにおける空気は大きく変わった。

そして、そうやってシーンが変化する中で、Suchmosが果たした影響も大きかったように思うわけだ。

それほどまでに、「STAY TUNE」はシーンに影響を与えた作品だったように思う。

もちろん、Suchmosの音楽史で語れば、「STAY TUNE」や「STAY TUNE」的な音楽センスは、必ずしも大きなものではない。

なんせ、Suchmosの音楽性は多岐にわたるからだ。

少なくとも、シティ・ポップなエッセンスは、Suchmosを語るうえで部分的なものにしかならない。

しかし、この音楽が与えたインパクトは計り知れないものだったし、「STAY TUNE」のヒットがバンドシーンと<シティ・ポップ>を近い距離にさせた要素はある。

そう。

「STAY TUNE」は、りスナーのみならず、シーン全体にも影響を与えるようなものだったわけだ。

そんな「STAY TUNE」のキモは、やっぱりバンドサウンドが生み出すグルーヴにある。

イントロが鳴るだけで圧倒的な高揚感が生まれるのは、楽器が刻むビートがどこまでも心地よいからだ。

Suchmosにおける、グルーヴの心地よさが全面に出ている楽曲なわけだ。

あの各楽器が生み出すリズムの酔いしれてしまう感じが、たまらない。

鳴り響くリズムと共鳴して、リズムの中に身を委ねたくなる感じがたまらないのだ。

ギター、ベース、ドラムのみならず、キーボードやDJと豊富な布陣で構成されているSuchmosなわけだけど、どの楽器もリズムの心地よさと切れ味が素晴らしいのである。

ひとつの楽器が明確な主役になる、というよりは、個々の楽器がそれぞれの波を生み出し、その波が掛け算することでとんでもないウェーブを生み出す・・・そんな印象を受けるサウンド。

「STAY TUNE」は、Suchmosの楽曲の中で比較的<いつものテイスト>とは違うタイプの歌ではあるけれど、Suchmosが持っている魅力が炸裂しているという意味では、数字の部分を抜きにしても紛れもない代表作であるように思う。

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進化していったSuchmos

シーンにおいて大きな影響を与えることになったSuchmos。

しかし、その影響が鮮明になればなるほど、バンドとして求められるものは限定的なものになる。

誰かから名言こそされないものの、<こういうテイストが良い>という要請はきっとSuchmosにだって、あったはずなのだ。

でも、結果としてSuchmosは過去作の焼き直しのような作品を作ることはない。

毎回、大きな作品性を変える。

進化が明確すぎるから、それまでSuchmosの音楽が好きだった人がハマるかどうか、という意味では微妙なこともあったかもしれない。

でも、そういう次元を越えて音楽として面白いもの、美しいものをSuchmosは作り続けてきたわけだ。

その変化が素晴らしく、その音楽への飽くなき情熱が素晴らしかったのだ。

特に「THE ANYMAL」の進化は痛快ですらあった。

こういう音楽性を提示するのか、という面白さがあったし、過去作品における魅力とはまったく違う美学を提示していたいことは確かだった。

単一のジャンルでくくることができないサウンドの自由さがあった。

しかし、その先の先にあるのは、Suchmosだからこそのグルーヴにあったように思うわけだ。

鳴らすフレーズや刻むビートが変わっただけで、それぞれの楽器が波を巻き起こし、その波が重なることで大きな波紋を生み出す。

そういう方式は、いつの作品でも変わることはなかった。

Suchmosにしかできないアンサンブルが、そこにはあったわけだ。

振り返ってみた先

こうやってSuchmosの音楽を振り返ってみると、Suchmosの音楽はこのメンバーだからこそであることを強く実感することになる。

システムチックな音楽ではないからこそ、各々の美学が各楽器のサウンドに乗っているからこそ、そのことを強く思うわけである。

Suchmosの魅力はグルーヴにある、というのもそういう楽器ごとの素晴らしさに大きくあるからこその言葉なわけだ。

これまでの作品を作ってきたメンバーで、音を鳴らすということは、もうない。

バンドは生き物であるし、不変なものなんてなにひとつない。

当たり前のことだし、わかってはいるけれど、やはりその事実はあまりにも鋭い言葉として響いてしまう。

もっと凄い音を鳴らせるバンドになるんだろうなーと思っているバンドほど、そういうタイミングは唐突にやってくる。

それが、辛く、悲しいよなーと思う。

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