赤い公園のラストライブ

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赤い公園のラストライブが2021年5月28日、中野サンプラザホールにて開催された。

このライブをもって、赤い公園は解散することになる。

その場でこのライブを観ている人が知っている、絶対的な事実。

悲しくない、といえば嘘である。

でも、それは仕方がないことだと思うし、そういう決断をするということも納得といえば納得だった・・・。

とはいえ、理屈ではわかってはいても、感情的にどういう方向に触れるのかは未知数だった。

どんな気持ちでそのライブを観て、どんな気持ちになるのかが不安だったわけだ。

というのも、赤い公園が解散に至るまでの道がどこまでも複雑だったからだ。

まあ、そういうバンドの物語は抜きにしても、楽曲が素晴らしいと思っていたバンドが終わりを迎える。

その事実が、どこまでも悲しかった。

(もしかしたら将来的にどこかでまたライブをやってくれる可能性はあるということは踏まえた上でも)これを最後に赤い公園のライブを観ることができないという事実が、どこまでも悲しかったわけだ。

それでも、ライブは始まる。

今までとは違う編成の、赤い公園のライブが始まったわけである。

『THE PARK』というアルバムとの関係性

『THE PARK』というアルバムは、個人的に2020年のバンドシーンにおいて重要な一枚だと思っている。

というよりも、色んなロックバンドが様々な魅力的なアルバムを生み出した一年だったけど、赤い公園のこのアルバムは替えのきかない魅力をはらんでいるものだったと思うわけだ。

端的に言えば、赤い公園にしか鳴らすことができないロックがそこにあった。

ゴリゴリなんだけど、キュートで。

オルタナティブな装いもあるんだけど、ポップな魅力もはらんでいて。

絶妙なバランスの楽曲が、絶妙な配置展開されていく。

それが、たまらなく自分のツボだったわけだ。

石野理子の瑞々しくも感情豊かなボーカルがあって。

藤本ひかりと歌川菜穂が生み出すスリリングなリズムアプローチがあって。

何より津野米咲が生み出す、時にソリッドで、時にチャーミングな楽曲の数々がどこまでも輝いていた。

そんなアルバムだったと思うのだ。

そんな名盤を生み出した赤い公園がラストライブを行うことになる。

それが、やはり、どこまでも悲しかったわけだ。

ライブが始まる

さて、今回のライブの公演名は、「赤い公園 THE LAST LIVE『THE PARK』」である。

『THE PARK』という名前があるということで、セットリストは『THE PARK』のアルバム曲が軸にある。

だけれど、やはりラストライブということで、きちんと赤い公園のヒット曲を余すことなく組みこんだセットリストにもなっていた。(とはいえ、きっと演奏したかった曲は他にもたくさんあって、なくなく削った曲もたくさんあったんだとは思うけれども)

この日のライブは、「ランドリー」から始まった。

この歌は、メジャー・デビューアルバムの第二弾「ランドリーで漂白を」に収録されている楽曲である。

つまり、赤い公園にとっての<スタート>に近い位置づけの楽曲のひとつと言える。

そんな楽曲を冒頭に持ってきたこの日のライブ。

改めて、この日が特別な意味を持つライブであることを実感するとともに、赤い公園の歴史を振り返るようなライブになることも感じたのだった。

とはいえ、ライブ自体に湿っぽい空気はほとんどない。

赤い公園らしいアグレッシブな楽曲で、今できる形の盛り上がりをオーディエンスとともに作り上げていく。

アンコールをのぞいでステージ的な演出における過剰な演出はほとんどなく、演奏そのものにしっかりスポットを当てた構成。

それ故、赤い公園が持つスリリングさが浮き彫りになった構成となっていた。

「ジャンキー」や「Mutant」といった『THE PARK』に収録されたエッジの効いたロックチューンが、そういうスリリングさを色濃くしていく。

また、『THE PARK』の楽曲だけではなく、「Canvas」や「絶対的な関係」といった、赤い公園の代表曲もセットリストの中に次々と盛り込んでいく。

一連の楽曲を聴いて、感じたことがある。

つくづく、今の赤い公園は石野のボーカルとロックなバンドサウンドのバランスが良いなあということ。

このバランスによって、激しさの中に宿る美しさが色濃く出るというか、楽曲が持つコントラストが鮮やかになっていくのだ。

赤い公園は、どこまでも可憐で、どこまでもかっこよかった。

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独特のテンション

この日は、ライブの空気感も印象的だった。

というのも、コロナ禍でのライブということで、観客の発声が行われることはなく、どうしても観客のレスポンスが限定的になってしまう。

それにより、不思議な空気が生まれることがたびたびあったのだ。

やはり、ラストライブということで、どうしても湿っぽい空気になる場面も生まれることもある。

解散に至った原因が原因なだけあって、どうしても<解散>だったり、<解散に至るまでのエピソード>を石野が口にすると、悲しい空気が満ちていく。

でも。

赤い公園のメンバーだからこそ為せる技なのかはわからないけれど、単純に湿っぽいままで終わるわけではない暖かさもそこにあった気がしたのだ。

赤い公園の三人は、メンバーが必ずしもめちゃくちゃ流暢にMCをするわけではない。(そういう意味では、この日、もっとも流暢だったのは、アンコールのときにMCを行ったサポートギターの小出であろう)

そのため、MCをするたびに、独特の間で展開されることがあった。

本来であれば、お客様の声がその間を埋めたりするんだけど、今回はそれがない分、妙に無音な時間が生まれていた。

でも、その<無>が不思議な心地よさを生んでいたように思うのだ。

というのも、矢継ぎ早に言葉を紡がずないことで、素の赤い公園がステージに出ている気がして、それが良い意味で朗らかな空気を生んでいた気がするのだ。

それを<らしさ>という言葉に置き換えていいのかはわからない。

けれど、そういう不思議な空気が会場に満ちることによって、ラ悲しさの中にも暖かさがあって、湿っぽさの中にも多幸感が生まれていた気がするのだ。

それが不思議な心地よさを生んでいた。

あと、単純にパフォーマンスがどこまでも良かった。

石野はステージを広く使い、身体全身で楽曲の世界を表現していくのもよかったし、メンバーも切れ味鋭い演奏で楽曲を披露していくのも良かった。(サポート含めて、見事なチームワークだった)

MCには余計な間があるんだけど、曲と曲の境目はこれしかないという間で展開していく。

だからこそ、余計な部分に集中力を奪われないのだ。

ぐーっとライブの中に入り込んでしまう。

そんな凄みが、ライブの中にずっとあったのだ。

まとめに替えて

だから、本当にライブはあっという間に終わってしまった。

最後の曲は「オレンジ」であることを告げたMCがどこまでも切なかった。

そして、思った。

この歌は、おそらく赤い公園の最後のシングルとなる。

その歌が本編ラストを飾ることで、このライブで描くべき<物語>が完結したのだということを。

もちろん、全部を表現したわけではないだろうけれど、この日語らないといけない物語はステージに形にしていく。

そんな印象を受けたのだった。

あの日誓い合った約束はもう 忘れても構わない
最後くらいかっこつけたい 滲んだオレンジ
振り返らないで
沈んだオレンジ 振り返ってよ

この歌が紡いだセンテンスがどこまでも印象的に響いた。

アンコール後、最後は笑顔でステージをあとにした赤い公園は、最後の最後までかっこいいバンドだった。

ラストライブを観て、改めてそのことを思ったのだった。

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