前説
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Official髭男dismの「Traveler」の感想を書いてみたい。
本編
とはいえ、すでに各楽曲については書いていたりする。
Official髭男dism「ビンテージ」はもはや謝罪案件である説
Official髭男dismの「イエスタデイ」をディスるから悪者は僕だけにしてほしい
綺麗なのはお前のメロディーだよと思うOfficial髭男dismの新曲の感想
しかも、各楽曲の音楽的な側面での感想は他のメディアで、様々なライターが語っているだろうから、今更それを書いても微妙だったりする。
なので、ここでは、そういう部分には、あえてあまり触れないようにしたい。
この記事では、自分の主観的な考えを言葉にしたいと思う。
髭男のアルバムについて
このアルバムを全体で見渡したとき、僕は「ラストソング」こそがフィナーレソングであるように感じた。
なんせタイトルはラストソングだし、歌詞の内容を見てもライブ本編のラストにぴったりの曲だからだ。(ちなみに、ツアーのセトリがどういうものなのかは存じておりません)。
曲の雰囲気的にも、この歌を締めにして問題ないように思う。
アウトロがフェードアウトしていく構成も良いと思うし、これほどにアルバムのラストを飾るにふさわしい曲はないと思うのだ。
でも、このアルバムは「ラストソング」で終わらない。
アルバムのラストを飾るのは、「Travelers」という歌である。
そして、この歌は逆にアルバムのラストっぽくない。
メロディー的にもサウンド的にも、アルバムのブリッジ的な雰囲気がにじむ歌なのである
歌詞をみてみると、「再会の信念が自分を大きく変えた」と歌い、「これはその人生の繰り返しの記録だ」と歌う。
この歌を聴いて、僕が感じたことは、ひとつだ。
もしかして、この歌は何かを完結させるための歌ではなく、むしろ何かを繋げるためにある歌なのではないか?と。
そもそも、このアルバムこそが、もしかしたら「人生の繰り返しの記録」なのではないか、と。
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繰り返すというモチーフについて
例えば、だ。
「Pretender」という歌は、<もっと違う世界線>を望む歌となっている。
理由は、君と結ばれない運命を歩むことになったからだ。
しかも、<グッバイ 君は運命のヒトじゃない>と歌いながらも、そんな君のことを「とても綺麗だ」と歌っている。
本当は一緒にいたいんだろうなーと思ってしまう。
とても悲しい歌である。
なぜ僕と君が結ばれないのかについては色んな可能性を想像することができる。
わけだけど、いずれにしても、僕と君は恋仲になれない事実だけが、そこにある。
そして、続く「ラストソング」は、そんな二人の最後の日を歌うような歌に感じてしまうのだ。
つまり、「Pretender」と「ラストソング」の登場人物は、同じなのではないか?という仮説である。
もっと言えば、以降の曲もそうなのではないか?と思っている。
終わりを歌った「ラストソング」を受けて、「Travelers」があるのではないか?ということだ。
だからこそ、「Travelers」の最初のフレーズは、終わりのことについて記しているのではないか?と思うのである。
やがて、君と離れてしまった僕は、再会の信念を持つことで、宿命を変えようとするのではないか?
そう仮定したとき、もしループでアルバムを聴いているとしたら、「Travelers」の次にやってくるのは「イエスタデイ」だ。
時計の音で、この歌は始まっている。
まるで、時を超越して、運命を変えるために、もう一度、「繰り返し」を選んだかのように。
次こそは、君と結ばれるための世界線に挑むかのように。
それを象徴するのが、「イエスタデイ」の冒頭のフレーズだ。
<何度失ったって 取り返してみせるよ>。
ここでいう「失った」とは、「Pretender」〜「ラストソング」の一連の流れを指しているのではないか?
そんなことを思うのである。
もし、「Pretender」〜「イエスタデイ」の歌に出てくる僕が同じなのだとしたら、なぜ「イエスタデイ」の主人公が世界を敵にまわして君を選ぶと言っているのかが、なんとなく想像できる気がするのだ。
そして、そのまま全ての歌が同じ登場人物だと仮定すれば、フレーズで見えてくる景色が変わっていくように感じる。
「宿命」だって、<宿命ってやつをかざして 立ち向かうだけなんだ>というフレーズの意味合いも、違って見えてくるように僕は感じるのだ。
「Amazing」では、まさしくそんなチャレンジをしている自分を肯定している歌のようにきこえるし、「最後の恋煩い」はこのルートこそを最後にしようと誓っている歌のように捉えることもできる。
そして、「ビンテージ」のフェーズになって、改めて僕は君にプロポーズをするのだ。
君とはぐれるというルートを知ったからこそ、そういう“過去”すらも「ビンテージ」と言ってみせて、全て肯定し、君に全力の愛を捧げるのである。
今度こそ、一生君といる世界線を確固たるものにするためにも。
でも。
そこまでして誓った恋も、最終的にたどり着く世界線は、やっぱり「Pretender」なのかもしれない。
「052519」のインストが挟まれるのは、そういうルートは“妄想”なんだよという現実を、痛烈に突きつけているのかもしれない。
だからこそ、「Pretender」の前に、わざわざ「052519」という、無数の世界線を旅するアニメであるシュタインズゲートを意識させるタイトルのインストを挟んだのかもしれない。
・・・・なんて感じで、人の人生を旅しているような感覚を味わうことができるからこそ、このアルバムは「Traveler」が名付けられたのではないか?
というのが、この記事の結論であり、全ての楽曲の登場人物を同じと仮定して、旅をしているように感じられるところが、このアルバムの最大の仕掛けなのではないか?と僕は思っているのである。
ピュアでラブラブなはずの恋愛曲が多いのに、このアルバムがどこか物悲しさを感じるのは、アルバム全体にそういう仕掛けを施しているからではないか?なんてことを思ったりするのである。
まとめ
この記事で言いたいのは、これが正解の解釈なんだ!ということではない。
こういう解釈ができるくらいに、奥深いアルバムをリリースした髭男ってとんでもなくすげえぞ!ということが言いたいのである。
良いアルバムは、色んな聴き方ができる。
だから、楽しいのだ。
髭男はそういう楽しさを与えてくれるからこそ、すごいバンドなんだよなあ、と僕は改めて思うのである。
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