前説
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Mrs. GREEN APPLE(以下、ミセス)がニューアルバム『Attitude』をリリースした。
この記事では、そのアルバムの簡単な感想について書いてみたい。
本編
アルバムの本編に収録されている楽曲は17曲。
しかも、収録されている楽曲の半数はタイアップ付き。
アルバム全体の感想を端的に申すならば、はっきり言ってすごく濃い。
ラーメンでいえば、間違いなくとんこつ。
JKが嗜むものでいえば、間違いなくタピオカ。
スタバでいえば、おそらくはキャラメルマキアート。
そんな感じのアルバムだ。
シングル曲が多く、シングル以外の楽曲もキャッチーな歌が多く、聞き応えがかなりある。
で、元々、一曲一曲がどっしりした仕上がりなのに、それが17曲も続くわけだ。(まあ、一曲目はインストだけど)
安いパンなら、中の具がちょびっとしか入っていないことがあるけれど、ミセスのアルバムはそんなパンと真反対のような存在。
トッポのチョコレートもびっくりの、ぎっしり具合なのである。
しかも。
これがバンドしては4年ぶりとなる待望の新作!!!とかなら、まだこの濃さも納得なんだよ。
けれど、ミセスはメジャデビューして以来、毎年コンスタントにアルバムを出している。
つい最近メジャーデビューしたと思ったら、もう4枚目なんですよ、今作で。
ハイペースでリリースしているのに、こんなにも濃いアルバムをリリースできるなんて、どんな感性を持ち合わせているんだよ、と思ってしまうのだ。
しかも、ボーカルの大森はこれでまだ23歳っていうんだから、冗談は顔だけにしておけよと言いたくなる。
そんな力作なのだ、このアルバムは。
『Attitude』について
先ほど、このアルバムは音楽のとんこつラーメンだ!タピオカみたいな濃さのアルバムなんだ!みたいな話をした。
けれど、このとんこつラーメン、不思議なことにがぶ飲みができるのである。
濃いんだけど、別に胸焼けはしないというか。
人によるのかもしれないけれど、僕はこのアルバムを通しで聴いてみても、すぐにもう一週できちゃうみたいなところがある。
普通、シングル曲が多くて楽曲の収録数が多いアルバムだと、一回聴くだけで「もうしばらくはいいや・・・」って気分になることが多い。
仮にそのアルバムを聴くとしても、好きな歌だけをリピートして、アルバム作品としては聴かなくなることも多い。
けれど。
ミセスのこのアルバムは不思議と何度も聞けちゃうのだ。
なぜだろうか?
この理由として大きいのは、楽曲の幅広さだと思う。
例えば、「インフェルノ」。
この歌は、激しいエレキギターやドラムの生感が印象的である。
ロックバンドとしてのミセスの魅力がふんだんに詰め込まれている楽曲なのだ。
一方で、「CHEERS」のように、エレキギターの音は後ろに下がり、ドラムも打ち込みっぽい音になっている歌もある。
ポップミュージックにも、ロックバンドにも舵を切ることができるところが、ミセスの特徴だ。
この二曲だけでも、バンドとしてのサウンドの幅広さが伺えるわけだ。
なにより、ミセスのサウンドメイクって、単なるルーツ・ミュージックというわけでもないし、海外からの輸入品という感じでもない。
ありそうなサウンドにも聞こえるけれど、よくよく聴いてみると、同じようなサウンドのバンドはまったくいないのだ。
しかも、バンドが鳴らしていない音も、バンド側が(というか、大森が)コントロールしているところに凄さがある。
例えば、髭男なんかだと、アレンジがやたらとポップになっていると、それはアレンジャー(例えば、蔦谷好位置)の仕業だったりする。
んだけど、ミセスの場合、そうじゃない。
外部ではなく、自分たちだけでそういう舵を切ることができるし、バンドの外側の音すらも自分たちでコントロールできる。
アレンジャーが仕事をする余地のないアレンジをするのがミセスの凄さだし、細かなアレンジまで自分たちの手で行うからこそ、他のバンドにはない幅広いサウンドやアイデアを生み出すことができるのだと思う。
いや、マジで、アレンジャーが一切不要な若手ロックバンドなんて、ミセスくらいなのではないかと思う。
今回のアルバムの流れでいうと「インフェルノ」「CHEERS」が続いた後に展開されるのは、怪しげな弦楽器のイントロが特徴の「Viking」である。
いや、この歌、なんですか?
マジでマジで。
何度聴いても、このアレンジを自分たちの手でやってしまうなんてヤバさしかないし、バンドという枠組みに良い意味でこだわっていないからこそできる、挑戦的なアレンジだよなーと思う。
バンドってこういう音を鳴らすチームでしょ?みたいな常識をことごとく壊してくるのだ。
続く「ProPose」も、変わったアレンジの歌である。
キーボードと打ち込みサウンドがベースにあるわけだけど、楽器のサウンドそのものよりも、楽器が奏でるリズム自体がフックアップされている、実に変わった楽曲である。
この辺りだけの楽曲を紹介しただけでも、ミセスの音楽の幅広さを痛感させられる。
そうなのだ。
アルバム全体を聴いてみたらわかるんだけど、本当の本当に、普遍的なギターロックのフォーマットを踏襲している楽曲が少ないのだ。
かといって、コアな方向に向かうわけでもないし、芸術的なものに走るわけでもない。
この楽曲を表現するためには、この音にしようぜみたいなノリというか、脳内イメージの具現化率が異様に高いからこそ達成できる、華麗なる離れ業なのである。
結論。
本来ならタピオカ濃度のアルバムなのに、食してもタピオカ濃度感を感じないのは、ミセスの楽曲アレンジがバンドの枠を変えた幅広さだから。
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ポップだけど、深い歌詞
で、ミセスの極めつけって、全体の装いとしてはなんとなく明るくてポップな感じなんだけど、よくよく聴くと、暗いというか、内面の深いところまで向き合った歌詞であることが多いところ。
今作は『Attitude』というタイトルにもある通り、「みんな」に届けるというよりも、自分たちの表現したいことに向き合ったアルバムとなっている(だからこそ、とにかく幅広いアレンジを惜しげもなく披露しているのだと思う)。
歌詞を読むと、ヒリヒリした内面と対峙していたり、ポップスなら避けるような言葉遣いを平気で取り入れていたりする。
例えば、「僕のこと」の歌詞もすごい。
<奇跡は死んでいる>という、ポップスに似合わない、力の強いネガティブなフレーズに忍び込ませている。
けれど、そういう要素もしたためることによって、ネガティブなものすらも肯定して、包み込んでしまうような“深さ”が表現されている。
アルバムに収録されている「クダリ」という歌の歌詞も、全体としては暗いというか、諦念の先にあるものと向き合っているように見える。
妙にフレーズひとつひとつの思考レベルが高く、故に歌の最後に終着するメッセージは単なるネガティブのそれではなくて、「それを踏まえたうえでの微かな希望」であったりもする。
視界が広いからこそ、色々と考えた果てに、逆に「ポップ」なメッセージにたどり着く凄さがある。
また、アルバム本編の最後を飾る「Foiktale」のサビの歌詞も印象的だ。
涙が枯れたというなら愛を込めて今
無愛想なキミなら意味ならわかるでしょう?
このフレーズは、今のミセスのモードを反芻しながら、聴き手である自分たちに向けて言葉を述べているようにも感じる。
この歌のフレーズにある、変わりたいけど変わりたくないという言葉も、ある種、大森の本音なのではないかと感じたりもするし、ミセス自身のことや、自身の内面に向き合って言葉を紡いだアルバムだからこそ、出てくるフレーズなのかなーと思ったりする。
タイアップ作品であることを踏まえても、そんなことを感じるのである。
まとめ
というわけで、ミセスの『Attitude』についてざくっと感想を書いてみました。
このアルバムは作品を通してひとつのメッセージなり物語を語るというよりは、ミセスってこんなにも幅広いことをやっているのに、ミセスのひとつの作品としてパッケージしても違和感を感じない、幅広すぎる凄さを感じる作品だと思っている。
なんというか、これだけ多用なアプローチをすると、バンドとしてのブレを感じることも多いはずなんだけど、不思議と今のミセスだと、それをまったく感じない。
不思議と、どの曲にもどこかしらにミセスらしさが宿っているのだ。
きっとそれは、ミセスのバンドらしさってサウンドに依拠しているわけではないからだと思う。
だから、アレンジが変わったとしても、ミセスらしさが残るのかなーと思う。
まあ、音域の高低差が富士山よりもえぐくて、表現力も鬼である大森のボーカルが真ん中にあるから、どんなアレンジでもミセスらしくなるということはあるのかもしれないけれども。
ただ、逆に言えば、ここまでボーカルが超人的でありながらも、不思議とワンマンバンドっぽく感じないのは、ミセスというバンドの結束力やチームワークが強固だからなのかなーとも思ったりする。
大森だけではミセスはミセスじゃなかったということだ。
この五人だからこそ「らしさ」が作り出せているということだ。
まあ、何が言いたいのかわかんなくなってきたけれど、なんにせよ、ここにきてミセスは最高の名盤をリリースしたように感じる。
ミセスってティーン向けのバンドなんでしょ?って舐めている音楽リスナー、特に自称音楽通な人ほど、ぜひこのアルバムを聴いてみてほしいと思う。
その音楽性の凄さに、面食らってほしいなーと思う。
マジで。
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