前説

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気がついたらミセスは売れっ子バンドになっていたし、能動的にミセスを聴かない人でも、ミセスがどういう感じの音楽をやっているのかを知っている人は多いように思う。

キラキラした感じのポップスでしょ?

そんな風に思っている人も多いかもしれない。

たしかに眩しいくらいに多幸感を滲ませた歌を歌うこともある。

けれど、ミセスは単なるキラキラポップスを奏でるバンドではない。

そうなのだ。ミセスはひどく誤解されている。

この記事ではそのことについて書いていこうと思う。

本編

ポップなイメージがあるけれど、バンドとしてもカッコいい

ロックというよりはポップスなんでしょ?

そんな風にミセスのイメージを持っている人は多いだろうし、バンドメンバー自身も明らかに「J-POP」としてのマインドを持っている。

なので、ティーン・ポップなんでしょ?という捉え方自体は間違いではない。

けれど、ミセスは単なるポップスではないように思うのだ。

というより、ロックを標榜するバンドよりも、バンドとしてのマトマリが強いように感じるのだ。

ミセスがポップというイメージを持たれがちなのは、バンドサウンドにシンセを載っけまくったり、打ち込みを使ってみたり、いわゆるギターロックからは遠く離れた「人工的な音」を積極的に採用するからだと思う。

でも、ここって重要なポイントだよなーって思っていて。

というのも、色んな類の音を取り入れても、きちんと「ミセスの音楽」になっているのだ。

どれだけ前作から振り幅の作品を作ってきても、無理矢理に綺麗な服を着させられている感じがほとんどしないのだ。

はっきり言って、これはすごいことだ。

これは2018年にリリースされた曲で、比較的ギターの音も聞こえる、バンドとしてのミセスの音がしっかり聴こえる歌になっている。

おそらく、この歌を聴いたほとんどの人が「ミセスっぽいアップチューンだ」と感じるのではないだろうか。

では、続いてこれを聴いてみよう。

この曲は、逆に打ち込みがすごく前面に出ているサウンドになっている。

でも、不思議とミセスっぽさは出まくっているように思う。

2018年にリリースされた「ENSEMBLE」はEDM、ロック、ポップ、ヒップホップ、R&B、ジャズなどかなり幅広い音を取り入れた作品になっているだけど、不思議なことに、びっくりするほど全てが「ミセスらしい楽曲」になっているのだ。

いや、もちろん聴き手の数だけ異論があるかもしれないけれど、でも、他のバンドがここまであからさまに振り幅の大きい作品を作ってみたら、普通、数曲は「異物感」が出ちゃうと思うのだ。

でも、ミセスには、それがほとんどない。

これってどういうことかというと、大森のアレンジ発想力がエグいってことと、メンバーのアレンジ力チューニング力がエグいってことなんだと思う。

つまり、その辺のロックバンドよりも丁寧に楽器の音と向き合っているからこそ、バンドサウンドを離れた音を鳴らそうが、バンドとしてきちんとマトマリのある音を鳴らせるのだということ。

ミセスはバンドじゃなくなってきていると思っている人も多いかもしれないが、実はそれが既に誤解なのだ。

むしろ、どんどんバンドとしての完成度が高くなっているからこそ、こういう変化ができているし、バンドのアイデンティティを殺さずに「衣替え」ができるのだ。

言い換えれば、むしろ今の方が「バンド」になってきているとさえ言えるのではないだろうか?

これは、ここで言葉として述べたものを読むよりも、実際にライブに足を運んでもらった方がいいと思う。

バンドとしてのミセスの表現力の高さに脱帽することになるし、間違いなくミセスは、バンドとしての魅力が前面に出ているライブを披露してくれることだと思う。

爽やかなイメージもあるけれど、内向的なフレーズの歌詞も多い

なんかミセスって爽やかなバンドよね?グリーンアップルって名前がもう爽やかだし。

そう思っている人も多いかもしれない。

けれど、ミセスほど、というか大森というミセスのフロントマンほど、内向的のものと向き合い、それを歌詞に落とし込んでいる人間も珍しいと思う。

例えば、『TWELVE』というアルバムに収録されている「パブリック」という曲の歌詞を読んでみてほしい。
*ここには載せられないので検索してみてほしい

あるいは、『Progressive』に収録されている「CONFLICT」もなかなかに痛烈なメッセージを言葉にしている。

初期の名曲「我逢人」だって、改めて歌詞を聴くと、このバンドが単なるキラキラバンドでないことはよくわかる。

内向的で哲学的なメッセージを普通に歌詞に落とし込んでくるのだ。

いや、これは初期だからでしょ?今は変わってしまったでしょ?という指摘があるかもしれない。

たしかに大森は、早熟が故に中学を不登校になり、哲学書を読んだり音楽作りに没頭していた時期があって、それ故、初期は内向的な歌が多かった。

が、キャリアを重ねるなかで、売れ線志向の単なるキラキラバンドになってしまったのではないか?いう指摘はあり得るのかもしれない。

でも、根っこの部分では未だにそういうものを宿しているように感じるし、むしろそういうマインドがあるからこそ、ポップであることにこだわっているように感じる。

そして、今年リリースされた「僕のこと」だって、作詞された言葉に向き合うと、なかなかに考えさせられる言葉が積み上がっている。

僕と君とでは何が違う?
おんなじ生き物さ 分かってる
でもね、僕は何かに怯えている
みんなもそうならいいな

こんなセンテンスから書き始める??売れっ子バンドのボーカルが書く、こんなセリフ???

そう思うわけだ。

ましてや、10代にもファンが多い、ティーン・ポップであるはずのバンドが、こんな言葉を歌ってみせるなんてという、驚きと面白さがあるのだ。

とりあえず、これだけは言いたいのだ。

軽いバンドだと誤解されているのだとしたら、そんなことはないんだぞ、と。

少なくとも、魂を削りながらライブをするぞ!と標榜するバンドよりも、よっぽどがタマシイを感じる言葉を歌っているように僕は感じるのだ。

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変わったと言われているけれど、変わった面ばかりではない

初期はバンドサウンドを鳴らしていた。

でも、いつしか打ち込みを多用するようになった。

だから、変わってしまった。そう言われがちだ。

けれど、ミセスが根底に根ざしているものはそんなに変わっていないんじゃないかなーなんて、そんなことを思うのだ。

だって、昔からそうだった。

音の感じはなんだか明るいんだけど、歌詞を読むとそっと暗いものを滲ませていて、色んな音を取り入れてカラフルに仕立てあげるんだけど、根っこにあるバンドの音はきちんとカッコよくて。

ただ一点あるとすれば、彼らは変わってしまったというよりも、バンドの成長速度が半端ないんだよなーとは思うわけだ。

特に「ENSEMBLE」という作品を作り上げることで、バンドの技術力は格段に上がったように思うのだ。

大森という圧倒的な存在の人間がいるからこそ、バンドは猛烈な速度で成長していったように思うし、ボーカルが力を持っているはずなのに、きちんとバンドとしてのチームワークがあって、共同的にバンドが進んでいくという凄さがある。

というか、そういうバンド仲みたいなものは一貫していて変わっていない感じがするのが、すごいよなーと思う。

変わらないボーカルの凄さ

大森のボーカルはマジですごい。

「鯨の歌」とか、よくあんなん歌えるなーって聞くたびに思う。

ファルセットの使い方が絶妙すぎるし。

どんな歌もさらっと歌いきってみせて、ライブでも衰え知らずなところがあって、佇まいも圧倒的で。

いやーほんと、今でも俺は大森が年齢詐称していると信じて疑わない。

それくらいに大森は凄いよなーと思う。

まとめ

というわけで、ミセスから離れてしまった人、ミセスをなんとなく食わず嫌いしていた人はこのタイミングでミセスの沼にハマってほしい。

なんというか、カッコイイんですよ、ミセスって。

本当は。

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