前説

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初めに、この文を読む前にMrs.GREEN APPLEの新しいアルバム「Attitude」を聴いて欲しい。

読んでから聴くのではなく、聴いてから読んで欲しい。

それと、ただ聴くだけじゃなく、何かしらを彼らから受け取って欲しい。何でもいい。

先入観が一切ない状態でアルバムを聴いて、何か些細なことでもいいから、メッセージを受け取ってからこの文を読んで欲しい。

この文は、ある1人のファンのただの感想に過ぎない。

この人はこういうメッセージを受け取ったんだな、くらいに思ってくれればいい。

そうじゃないとダメなのだ。

理由は後述する。

とりあえず、まだ「Attitude」を聴いてないという人は今すぐ、せめて収録曲の”Attitude”だけでもいいから聴いて欲しい。

《どうにか届くように/届くようにと綴る》

彼らの作る曲は、実はとてもメッセージ性の強いものだと思っている。

ファンからしてみれば「何を今更」という感じかもしれない。

だが、敢えて書かせて欲しい。

Mrs.GREEN APPLEはキャッチーなメロディーに乗せて、人の心の内面の弱さを唄い、それに寄り添うように言葉を綴る。

今や彼らの認知度は10代を中心に著しく上昇し、今回のアルバム「Attitude」も17曲中7曲にタイアップがついている。

彼らの魅力のひとつであるキャッチーなメロディーはそれ故にきっと広まりやすい、という良さがある。

1度聞けば口ずさめてしまい、なんとなく頭に残りやすい、そんなメロディーだ。

例えば彼らのデビュー曲である”StaRt”のサビのメロディーは「ドレミファソラシド」という誰もがよく知った音階だ。

歌詞がわからなくても鼻歌を歌えてしまう。

きっとそのキャッチーさが彼らの名前を世に轟かせるのに大きな役割を果たしのだと思う。

もちろんそれだけが理由ではないだろうが。

しかし、そのキャッチーなメロディーばかりが先行してしまい、彼らが本当に伝えたいこと、即ち歌詞がおざなりになってしまってはいないだろうか。

「Mrs.GREEN APPLE?ああ、あのキラキラしてて青春!って感じのバンドでしょ!文化祭で流れてたよね、確か!」

みたいな認知のされ方で留まってしまってはいないだろうか。

大森元貴はきっとそれに気付いている。

《キャッチーなメロディーに隠れるは/そう、偶像》

この歌詞の「偶像」というのは崇拝の対象となるものを指しているのではなくて、本当のものを見えなくさせる先入観という意味を持っている。

Mrs.GREEN APPLEという名前やメロディー、印象が独り歩きして「先入観」を与えている。

そこに歌詞は、彼らが本当に伝えたいメッセージは追いつけていない。置いてきぼりにされている。

メッセージを受け取ることは難しいのだ。聴いている側が理解しようとしなければ届かない。

それに気づいたからこそ、彼らは「今」この”Attitude”を歌ったのではないだろうか。

だから私は冒頭に、まず曲を聴いてください、何かを受け取ってくださいと書いた。

「誰かが受け取ったもの」というフィルターを通してしまってはいけないと思ったからだ。

なんの先入観も持たずに、ただ彼らからのメッセージだけをなんでもいいから受け取って欲しいと思った。

というか、そうでなければならないと思ったのだ。

でなければ、彼らが”Attitude”のMVにコメントを書き込めないようにしたのも意味がなくなってしまう。

だからこの文章は決して答え合わせではない。

あくまで私が受け取ったこと、ただそれだけだ。

 

大森元貴は「愛」を歌う。

人の弱さを知っていて、そしてそれを受け入れて許せる人の強さも知っている。

人間は温め合えることを知っている。

だから、自らがお手本のように人の弱さに寄り添うように歌う。

それはデビュー当時から変わらない。

先述した”StaRt”では

《独りじゃないと否定出来るように明日も歌うんだ》

と歌い、”Attitude”では

《太陽が不意に亡くなって/独りぼっちになったなら貴方を追う》

と歌っている。

彼らの音楽を聴いている限り、独りにはならない。それがどんなに心強いことか。

孤独は寂しく辛いことだということを彼自身が知っているからこそ、そう歌うのだろう。

だからこそ、「届けたい」、「伝えたい」のだ。

彼にとって1番悲しいのは、きっと「届かないこと」「伝わらないこと」だ。

《この世は弱い人ばっか居ます。/そんなとこだけでも/何処かに響けば良いなと思っています》

そんな思想で今日も言葉を綴っているのだ。

そして彼は決して歌詞が響かないことを世間のせいにはしない。

必ず届くと信じて言葉を綴っている。

それは

《この世は腐ってなんかは居ない。》

という歌詞に現れている。

《まずメロディーに乗せる愛を探しながら/阿呆みたいに今日もね/何かを信じて心踊らす》
《益々生きにくい日々慣れれず削りながら/真面目にも今日もね/明日を信じて歯を食いしばる》

それこそが彼の「”Attitude”―姿勢―」だ。

どんなに生きにくいことだろう、と思う。

届かないのは自分の力不足だということを自らに課して、諦めずに歌を書き、歌い続ける。

それは容易なことでは無いだろう。

届くと信じて書いたものが届かないことに落胆し、それでもまだ信じ続けてまた歌を書く。

繰り返していれば心が折れそうになることもきっとあるだろう。

彼のその底なしの人間愛が何処から湧いてくるものなのか私にはわからない。

でも、”Attitude”の最後に綴られた

《書き綴られた歌は/私のそう、遺言》

という歌詞には確かな重みがあり、誰かに寄り添う歌を歌うのが、弱い人に手を差し伸べる歌を歌うのが生き甲斐である、とそう聞こえるのだ。

私は彼にありがとうと伝えたい。

貴方に救われています、と。

貴方の言葉はちゃんと届いています、と。

もちろん本人に届くわけはない。

そんなことは重々承知だ。

それでも、この”Attitude”から私は「言葉が届いて欲しい」という彼のメッセージが、切実な思いが、伝わってきたからそれを言葉にしたいと思った。

 

これから彼らはもっともっと大きくなっていくだろうと思う。

テレビなどのメディアで彼らを目にするときには、彼らの魅力は「キャッチーなメロディー」だ、とただそれだけでなく、「弱さに寄り添ってくれる歌詞」も同じように紹介されていて欲しい。

何処かから流れてきた彼らの名前を耳にするときは「Mrs.GREEN APPLEって知ってる?」という問に「あ、めっちゃ好き!しんどい時に聴くと染みるんだよね〜歌詞がいいんだよ。すごく優しくてさぁ」なんて会話が繰り広げられていて欲しい。

そう切実に思う。

筆者紹介

塩おくら(@soruto__skow)

奇人に憧れるJK。邦ロックとペンギンをこよなく愛してます。

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