前説
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そういえば、100日後に死ぬワニが完結になった。
本来なら最終話になって、話の余韻に浸るムードになるかと思ったら怒涛の展開ラッシュがはじまり「電通案件」であることが明るみになり、違った視点で話題になりつつある。
この記事では、そのことについての雑感を書いてみたい。
本編
一応、バンドをメインに扱う音楽ブログなので、ちょっとだけバンドに寄せて考えてみる。
「100日後に死ぬワニ」が一気にドカーンとプロモーション臭いにおいを出しまくっているわけだけど、その展開とか雰囲気に少しKing Gnuと似たものを感じてしまった。
King Gnuは、今から一年以上前には(中止なっちゃっているけど)今年の大型ツアーを行うことが決まっていたことが明かされている。
つまり、デビュー時点ではソールドするのが厳しそうなキャパのツアーを一年後には抑えられていたということだ。
で、じゃあそのキャパのツアーをソールドするにはどうしたらいいのか?を逆算していき、昨年は「売れそうな曲」を作ったり、良くも悪くも注目されるアプローチを積極的に行った、という流れがある。
たぶん「100日後に死ぬワニ」も同じで、売り上げ目標が最初から設定されていて、その目標を達成するための展開を事前に配置して(グッズ化、コンテンツ化)、で、それを達成するために「SNSでどのようにコンテンツを配信していくのか」を考えて、練って、はじめた流れがあるのかなーと思っている。
メジャーデビューから紅白までの道を駆け上がったKing Gnuと、特定の層にしか知名度がなかったコンテンツが国民的に愛される漫画を作るまでの道には、似ている部分を感じのである。
元々、作家性のある人たちが、企業の力を使いながら、広告と口コミを上手にデザインして、やがては一気に人気を勝ち取る構図に似ているものを感じるわけだ。
ワニの話でいうなら、きっとゴールから逆算した綿密なる数字の目標があって、その数字をベースに100日の中の動きを全部決めていったと思うし、最初の企画段階で相当に「バズる」算段が練られていたのではないか、と思っている。
本編に限って言えば、例えば、
・登場人物はすべて動物
・物語は主人公の死で終わる
・文字情報の少なくした四コマ漫画
・二次流用しやすい単純な絵
過去の例からみた、こういうバズりやすい要素を抜き出しつつ、それを巧みにきくちの作家性と混ぜ合わせたのはではー的な。
そうそう。
King Gnuもそうなんだけど、重要なのは数字を睨んで明確にマーケティング的にやりつつも、作品における大事な部分は作家性に委ねているところ。
この組み合わせが結局は最終的に爆発的エネルギーを生み出している。
逆に、マーケット「しかない」作品だと、どうしてもその壁を突破できないのかなーと個人的には思っている。
この作家性はきっと数字では見えないし、法則性で見つけられるものではない。
King Gnuもきくちもそこを兼ね備えているからこそ、国民的な人気を勝ち取れたのかなーと思っている。
マーケティング的な志向や広告的な側面かなりも強いんだけど、きちんと作家性も担保している。
そのバランスの絶妙さがカギなんだけど、ワニに関してはあまりにもマーケティング的な側面が見えすぎているから「騙された感」を覚えて、困惑な空気になっているのかなーなんてことも勝手に思っていたりする。
まあ、すごい雑な言葉で語るならば、作家の独自性×大人の力(資本と計算)という図式があって、
大人が仕込んだバス(広告とマーケ)×受け手側のバズ(口コミや拡散)という図式に落とし込みデザインされたからこそ、King Gnuもワニも圧倒的な支持を得たことは確かだと思うし、それぞれのプロが「巧みな仕事」したからこそなわけで、それはすごくすんごいことなんだと個人的には思うのである。
それぞれの分野に人がいて、それぞれのプロがいるわけで。
あと「口コミをデザインする」って、言い方としては簡単なんだけど、地道に数字を見つめ続ける感情と、その数字をどのように汲み取るのかという想像力と、そこにある空気とか受け手側の感情を(ある程度は)読み取る力がないと成立しないわけで、いってしまえば、そんなに簡単なことではないわけで、プロだからこそ為せる技だよなーと思ったりもする。
なにより、大前提として、クリエイターの才能がないと成立しない話だしね、こういうのって。
感覚的なアレ(右脳的なもの)と、計算的なアレ(左脳的なもの)を組み合わせながら、サバイブするのが最強なんだろうなーみたいな。
特にコンテンツが無理化するなかで、どのようにお金を稼ぐのかを考えていく上で、この思考はすごく大事なんだなーと改めて思うのである。
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King Gnuとワニの違い
ただし、両者で大きな違いがある。
King Gnuの場合、ファンの矛先はKing Gnuの作品というよりも、King Gnuそのものにあった。
だけど、ワニの場合、きくちのファンというよりも、ワニ(などのキャラクター)に目線がいったし、ファンになったというよりもワニというキャラクターへの共感性が強くなっていたところがあった。
だからこそ、「これはビジネスなんですよ」という匂いをだしたとき、King Gnuは「それもあり」という話で収まるけれど、ワニでそれをすると「騙された」感が強くなってしまい、ある種の拒絶反応が生まれたのかなーなんて思っていて。
例えるなら、恋愛禁止と謳っていたアイドルに実は恋人がいた的なノリというか。
冷静に考えたらアイドルに恋人がいないわけがないのに、「いない」という暗黙のルールを共有してその世界観に入り込む、みたいなところがある。
ワニもタイプ的にはそうだったのかなーと。
ビジネスとは全く違ったところで、ワニたちのほのぼのとした世界があると思っていたのに、この物語はあくまでも人為的なものである、という事実を唐突に突きつけられた気がして、ショックを起こしたのかなー的な。
本来、プロが行っていることなのだから、ビジネスとはまったく無縁なはずがないのに、そこをないものとして享受してしまい、そこにねじれが生まれたのかなーなんて思うのだ。
まとめ
なーんて感じで、思ったことをテキトーに書いてみました。
事実かどうかは知らないし、なんとなく自分の思っていることを書いただけなので、悪しからず。
あと、ワニがどこからビジネス的な話になっていたのかについても全部妄想であるので、悪しからず。
あと、個人的にはビジネス的な側面も踏まえても、「100日後に死ぬワニ」はめっちゃ好きですけどね。
個人的には。
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