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RADWIMPS が8月24日にリリースする新曲「前前前世」。

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この歌はセカイ系の元祖的作品「ほしのこえ」や「秒速五センチメートル」なんかで有名なアニメ映画監督、新海誠の映画主題歌に決定している。

新海誠の主題歌はRADよりもBUMPなんじゃないかと個人的には思ったりもしているのが、そういう文句をいうのはしっかり歌詞をみてからにしよう。

というわけで、今回はその歌詞を取り上げてみたい。

作詞:野田洋次郎
作曲:野田洋次郎

やっと眼を覚ましたかい
それなのになぜ眼を合わせはしないんだ
遅いよと怒る君
これでもやれるだけ飛ばしてきたんだよ
心が体を追い越してきたんだよ

さて、最初のフレーズは僕から君に問いかけている言葉である。

目ではなく眼という言葉を使っていることから、この「め」はまぶたにある目というより、内面の中にあるものという感じがする。

なので、君はベッドの中で寝ていたというよりも、もっと冬眠のような長い眠りから眼を覚ましたというような感覚が近いのではなかろうか。

ただし、この後に続くフレーズが「遅いよと怒る君」とあるのはどういうことだろうか。

まるで、デートに寝坊してきたような軽さである。

僕と君はどういう状況にいて、何をしているのか、5W1Hの輪郭がなかなか描けない。

こういう場合、このフレーズたちはすべて比喩であり、内面世界の描写をしているのだという補助線をひいてしまい、とりあえずは様子見をしておこう。

心が体を追い越してきた、というフレーズは想いの強さや大きさを表現するための例えなわけだが、僕が君に抱く感情が具体的にどういうものなのかまだ見えてはこないので、ひとまず保留としておく。

続きのフレーズをみてみよう。

君の髪や瞳だけで胸が痛いよ
同じ時を吸い込んで離したくないよ
遥か昔から知るその声に
生まれてはじめて何を言えばいい

胸が痛いということは、それだけ君のことが好きということだろうか。

しかし、それ以上に気になるのは「遥か昔から知るその声」というフレーズである。

まるで、僕と君はずっと違う時間軸が生きてきたかのような書き方である。

そして、違う時間軸を行き来してきた果てに、ようやく僕と君は出会うことができて、今ようやく「同じ時」を生きることができたんだ、と言わんばかりのフレーズである。

この辺のフレーズは、初期の新海誠の映画のモチーフとすごく親和している。

「ほしのこえ」や「秒速5センチメートル」の映画は僕と君の心の距離を、宇宙や踏み切りなんかをモチーフにして描いた作品なのだが、この歌では「時間軸」という比喩を用いることで、僕と君の心の距離を描いているような感じがする。

つまり、違う時間軸で生きてきたようなフレーズを並べているのは、僕と君の心の距離の近さを表現するためのひとつのレトリックというわけである。

巡り会うまでの遠さを強調することで、今の僕と君の心の近さを歌うわけだ。

はじめてが漢字ではなく、平仮名なのは、本当に君と僕が喋ったのが「初めて」ではないからだ。

けれど、ある意味では「初めて」なわけだけど、その辺のややこしさが「前前前世」というタイトルにあるわけだが、その辺の種明かしはもう少し先をみてからにしよう。

サビである。

君の前前前世から僕は君を探しはじめたよ
そのぶきっちょな笑い方を
めがけてやってきたんだよ
君が全然全部なくなって
チリヂリになったって
もう迷わない また1から探しはじめるさ
むしろ0からまた宇宙をはじめてみようか

もちろん、この歌詞たちは映画の世界と大きくリンクしているだろうから、映画をみればフレーズの全てに納得がいくのかもしれない。

けれど、真面目に考えてみれば、君の前前前世から僕が君のことを知っているはずなんてないし、タイムマシーンに乗って君に会っていたのかよ、と突っ込みたくなってしまうわけだ。

それでも、さらに真面目に考えてみて、あの時にあった君の面影をぶきっちょな笑いに見たから、転生した果てでも君のことを君だと認識できて、再び巡り会えたんだ、という奇跡と等しいくらいに、僕と君は今こうして一緒にいれるんだ、と表現しているのだとしたら、洋次郎のクサイフレーズは妙な説得力を持ち始める。

元々、洋次郎って「愛している」の表現を過剰にすることで、妙にリアルな愛の表現をさせることに成功してきた男である。

前前前世なんてスケールのデカさですら、「あり」だと思えてしまうのだから流石である。

ちなみに、君の全全全部がなくなるっていうのは死んでしまって形がなくなって魂だけになってしまうことを指しているのだろうし、0から宇宙を始めるというのは生まれ変わるということの言い換えなのだろう。

つまり、今の人生でどちらかが死んでまた離れ離れになっても来世でまた君のこと見つけて巡り会うよ、それくらい君のこと本気だよ、と言っているわけである。

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2番である。

どっから話すかな
君が眠っていた間のストーリー
何億 何光年分の物語を語りに来たんだよ
けどいざその姿その眼に映すと

君が眠っていた間の、とは君が転生するまでの間ということだろう。

君が一度死んでから次に生まれ変わるまでには、何億何光年分になってしまう距離ができるくらいに僕と君に時間的な「差」ができたのだろう。

それでも、僕は君のことを待ち、君に巡り会い、君との想い出を語ってあげるよ、というわけである。

君も知らぬ君とジャレて 戯れたいよ
君の消えぬ痛みまで愛してみたいよ
銀河何個分かの 果てに出会えた
その手を壊さずに どう握ったならいい

今の君の姿をみると、あの時の最初に愛したときの姿の君とジャレたいといっているのだろう。

そして、転生してもなお引きずっているその痛みからこそ、君であることを見出すから、その痛みさえも愛したいよと言っているわけだ。

転生すれば、変わるところは変わるけれど、同じ部分もあるから、それを見つけて、僕は君のことを認識するよ、というわけである。

さらに、君と出会えた奇跡を、時間レベルの話だけではなく、宇宙レベルの話にしている。

他の銀河系に移動してしまったらまず会えなくなるわけで、同じ銀河系の、この惑星に来れたからこそお互いは出会えたんだよ、それくらい君と巡り会えたことって凄いんだよ、と言っているわけだ。

そんな奇跡を前にしても、君にとっては僕は「知らない人」であり、そこにある人間関係は真っさらなものだ。

手の握り方ひとつで、関係が脆く崩れ去ってしまう(要は嫌われてしまう)危険性だっておおいにあるわけだ。

だから、どつ握ったなら大丈夫なの?ともうそこにはいない前世の君に問うているわけである。

君の前前前世から 僕は君を探しはじめたよ
その騒がしい声と涙をめがけ やってきたんだよ
そんな革命前夜の僕らを誰が止めるというんだろう
もう迷わない 君のハートに旗を立てるよ
君は僕から諦め方を 奪い取ったの

個人的にこの辺りのフレーズがBUMPの藤くんっぽく感じるわけだ。

涙がやってくるのは「涙のふるさと」とか「Butterfly」に通じるモチーフだし、旗を立てるのだって藤くんがもっともよく使うメタファーのひとつである。

まあ、それは置いといて、転生して姿が変わっても、君の騒がしい声と涙があれば、すぐに僕は君だとわかるよ、と言っているわけだ。

そんな奇跡はもはや革命前夜と呼ぶに等しいものであり、他の誰も介入できない、セカイ系的な、僕と君だけのセカイがここに出来上がるわけである。

君に旗を立てるとは、君の心を僕のものにするという例えだろうし、君が相手だから僕はずっとずっと君を愛し続けれるんだと愛の告白をここで行うわけである。

最後のサビである

前前前世から僕は 君を探しはじめたよ
そのぶきっちょな笑い方をめがけ やってきたんだよ
君が全然全部なくなってチリヂリになったって
もう迷わない また1から探しはじめるさ
何光年でも この歌を口ずさみながら

ここに出てくる「全然」とは全部に対してかかっている強調語であり、完全に、とか、まったくとかそんな言葉に置き換えられるのだろう。

ところで、ここで疑問に思うのは、僕とは何者だということである。

君の前前前世から君のことを知っていて、君が転生している間もずっと君のことを待ち、君が転生したら前の時の話も含めて君に全部話し、別の銀河系に君の魂が移動しても君のぶきっちょな笑い方や、騒がしい声や、涙で君のことを見分けて追いかけ続けるような奴であることはわかるが、果たしてそれって何者なの?という話である。

君は何回も死んでいる間、僕は生き続けるなんておかしな話である。

もちろんそれは、それくらい君のことを愛しているよ、という比喩なのてまあると受け止めることもできるし、映画を見れば辻褄があうような書き方をしているだけだと納得することもできるけれど、せっかく歌詞としてこのフレーズたちを解釈するならば、ひとつくらいここに仮説をたてておきたい。

僕の仮説をここで述べる。

もしかしたら、僕とは、概念そのものではないだろうか。

どういうことかというと、イメージするとしたら、「まどか☆マギカ」というアニメで、まどかが概念になった、あの状態という感じである(わからない人はすみません)。

僕は概念だから、ずっと君のことを追うことができるし、いつでも君のことを知覚できるというわけだ。

そして、いま、概念だった僕はやっと君と「お話ができる」人間になれたのかもしれないわけだ。

君のたくさんの転生を見届け、僕もやっと君と同じ「人間」になれたのだ。(何が理由でかはわからないが)

冒頭のフレーズでやっと眼を覚ましたのは、転生しまくって前前前世から君を追いかけ続けていた僕が、やっと君が直接出会えたことを示唆する表現であり、僕にとっては途方もない時間の流れの中で君に出会えたんだけど、君にとっては「遅いよ」で済むような、ほんのちょっとした時間だったのだろう(だって、君には前世の記憶さえないのだから)。

初めて君に何かを言う、というフレーズがあったということは、君が僕に出会ったのは、もしかしたらこれが初めてなのかもしれない。

なので、この歌は概念だった僕が初めて人間になった歌であり、僕と君の「初めて話す」までにかかった時間は全然違うけど、ここから僕と君が歩む時間は一緒なんだよという、結局は洋次郎なりの純愛の歌なのだろう。

雑にまとめてしまえば、愛をこんな形で表現しちゃう洋次郎は本当に凄いという話である。

ちなみに映画「君の名は。」について書いた記事はこちらです。

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