UNISON SQUARE GARDEN「パンデミックサドンデス」の歌詞の意味は?解釈と考察!
UNISON SQUARE GARDENがニューアルバム『Dr.Izzy』を7月6日にリリースする。
そのアルバムの核となる曲のひとつである「パンデミックサドンデス」について今回は取り上げたい。
作詞:田淵智也
作曲:田淵智也
1番の歌詞について
「間に合わないよ〜大惨事のおよそ1分前」の部分。
alertは警告するって意味の単語である。
寸法は、目論見という意味でとっておけばいいだろう。
さて、ここで気になるのは君とは誰なのかであり、謀り事とは何のことなのか?ということである。
大惨事とは何を指しているのかもまだわからないし、何が始まったのかもわからない。
ただ、君の思惑通りに物事は進まず、警告に値するような何かが始まってしまうことだけは予想できる。
そういう情景をイメージしながら続きの歌詞をみていこう。
「今通奏低音がもう〜黒々した雲が顔を出す」の部分。
通奏低音とはバロック音楽における伴奏のひとつの種類になるわけだが、考えの通底(基盤みたいな感じ)として使う場合もある。
ロックなら大人しくみるのではなく、多少は暴れてみるのが通底だ、みたいな感じの使い方。
そういう通底の考え方が転覆するということは、常識的となっている価値が変わろうとしているサマが想像できる。
一挙手一投足とは、行動のひとつひとつ、みたいな意味合いであるが、こんな状態に鼻のつく行動とは一体なんだろうか。
ただ、ここで悪いのは君というより僕の方であることがなんとなく予感できる。
同情されることすらイラッとしている僕は、なにやらご機嫌ナナメであり、黒々とした顔が出てくるというのだから相当な不機嫌具合である。
僕と君の間柄もこの状態ではピンとこないので、次の歌詞をみていこう。
サビである。
「ああ全部全部意味わかんない〜サドンデスの結末は?」の部分。
シュレッドとは裁断するとかそんな意味であろう。
サドンデスは延長戦という意味である。
alartと英語だったのに、ここでは英語が全てカタカナになっているのが気になるところ。
ただ、君は善人であり、僕は悪人的な配置の上で言葉が積み上げられていることがわかる。
人の不幸がデザートだという僕が、君の哲学・道徳がわけわからないというのだから、そういうことなのだろう。
冷淡たる時計とは、時の流れが無情さを表現した言葉であろうし、正直さが犠牲になるとは、大人になって純粋な気持ちが失われ、どんどん悪に飲まれていくサマを描くわけである。
そもそも、大人になって社会人になってしまうことをサドンデスとここでは表現しているような気がする。
2番の歌詞について
まずは最初のフレーズ群。
「少し静かにしてもらえますか〜main soul は宇宙」の部分。
君と僕との関係が微妙に変容してくるのが2番の最初のフレーズ。
main soulなんてややこしい書き方をしているが、自分の核となる考えとか信条と捉えておけばよいだろう。
君と僕がコミュニケーションをとると、色々と黒い感情が僕の中に湧きおこるけど、ここで暴れても仕方がないので、飲み込んでしまおうといってるわけである。
そして、サビである。
「ああ全部全部意味わかんない君の〜してしまいたくなる」の部分。
おそらく、インクランクとは、クランクインという映画の撮影開始を指す言葉なのだと思われる。
悲劇はとうに始まっているという意味になるのだろう。
でも、やりかけのこだわりはトランクの中に仕舞い込んでしまっている(要は誰にもバレないように奥底に隠しているわけだ)
結局、色んなことを知って色んな価値観を身につけるほど、正しいこともやりたいこともこだわりもわからなくなってしまうと嘆いているわけだ。
ということを踏まえてみると、君っていうのはもしかすると人ではないんじゃないかという想像が頭をよぎり始める。
内面の何か、あるいは概念みたいなものを指して「君」という代名詞を使っているのではないかという想像である。
Cメロから最後のサビについて
「ああ1分1秒が〜その前提で賽を振れ」の部分。
知識ばかりが氾濫する世の中(特にネットはそうだよね)だから、そこは割り切ってしまって賽(=サイコロ)を触れといってるわけだ。
まあ、進学も就職も情報収集はほどほどにして道を決めろよという話である。
「ああハートハートほら〜独りになる覚悟はある?」の部分。
常に情報しまくっていたら頭がパンクして爆発しちゃうよね。
だから、あえて決まりきった価値に載っからず、ひとつひとつを自分の感性を信じて物事決めていくのもいいんじゃない?
ただし、それは孤独な作業だけどね、と言ってるわけだ。
そして、サビである。
「ああ全部全部意味わかんない君のその〜サドンデスのリミットは?」の部分。
ちなみにパンデミックとは、感染症などの大流行のことを指している。
そして、おそらくサドンデスとは残りの人生という意味合いである。
つまり、既存の価値に囚われてばかりで人生を生きるということがまるで「サドンデス化」してしまっている人がたくさんいて、そういう状態人ばかりになってしまっている現実を「パンデミックサドンデス」と名付けたというわけである。