スピッツ「雪風」の歌詞世界を考察。草野正宗の奥深さについて
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前回記事からの続きの内容となる。
さて、早速「雪風」の話に入っていきたい。
今回の歌詞には意図的なカタカナ表記が少ない。
草野の歌詞において、カタカナは比喩を暗示させる重要なものなのだが、今回はエイくらいしか登場しない。
とはいえ、さすがにこのエイという言葉が比喩なのはなんとなくわかるだろう。
もうひとつのポイントとして、人物の関係性。
草野正宗の歌詞は恋人と関係性を単純に歌ってるフリをしながら死のにおいをちらつかせたり、変態街道へと転がせたりする。
今回の歌のサビはやたらと問いかけが多い。
すごく懐かしいだろう?
可愛らしいだろう?
これでいいかな?
ダメって言うかな?
一体、誰に対して問いかけているというのか。
前半は恋愛のにおいを漂わせているので、僕が君に語っていると考えるのが普通であろう。
ここでいう「これ」とは、前の節で出てきた、割れた欠片と同じもののことを指しており、それについて君に問いかけていると考えて間違いないだろう。
ただし、懐かしくて可愛らしいものとはどういったものなのか、はっきりと明かされない。
一番の歌詞を読んでいくと、このふたりは仲が良さそうにみえる。
しかし、どこか別れの匂いを感じさせているし、欠片が割れているので、何かしらの亀裂が入ったことを暗示しているようにとれる。
この微妙な距離感がこの歌のポイントとなるのだが、次の歌詞をみてみよう。
現実と離れたところにいて
こんなに触れ合うこともある
もう会えないって嘆かないで
このフレーズは重要ポイントである。
現実と離れたところにいるのは誰なのか。
おそらくは僕であろう。
つまり、こう考えられるわけだ。
君は現実にいて、僕は現実にいない。
ゆえに会えないのだ、と。
嘆かないで、ということは本当は会いたいけども、会えないということだろうか。
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単語から導く考察
つまり、僕は死んでしまったのではないか。
これは正宗の特有の比喩ではないかと思うかもしれないが、ここにカタカナは一切ない。
つまり、この現実というのは文字通りの現実を指している可能性が高いわけだ。
こんなふうに触れ合ってるのはおそらく夢なのだろう。
それは次のフレーズへと引き継がれている。
お願い 夢醒めたら 少しでいいから
無敵の微笑み 見せてくれ
何の屈託もなく夢醒めたら、といってる。
そして、すこしでいいから笑ってほしいとも言っている。
これで、僕と君は未だに幸せを願う関係なのに、君は笑えない境遇にいること、会えないのに僕は君の顔をみれる位置にいることがわかる。
そう。
僕は死後から、天国から君のことを見ているのだ。
おそらく僕が死んで悲しんでいる君に対して、あのとき見せてくれた無敵の微笑みを見せてほしいと訴えているのであろう。
それを決定づけるのが次のフレーズ。
君は生きてく 壊れそうでも
愚かな言葉を誇れるように
生きてく、という道に僕はいない。
愚かな言葉が何を指すのかは明示されないが、おそらくは僕に対して言ってくれたプロポーズにも似た言葉を指すのではないかと考える。
だから、この歌の最後のフレーズはパリパリの涙や冷たい光という言葉に集約されるのだ。
冷たい光とは、もしかすると僕は死後の世界からでも君のことを見守っているという比喩かもしれない。
ここで冒頭のフレーズが頭をよぎる。
まばゆい白い世界とは天国のことではないか。
巻き戻しの海とは僕が死んでしまったことから立ち直れない君の現状のことではないか。
エイになって泳ぐとは、君が底にへばりついてなかなか上に向いて進めない様を表しているのではないか。
だから、ここはカタカナのエイになるのだ。
だから割れた欠片と同じもの、という回りくどい言い方をしなければならなかったのだ。
割れた欠片とはふたりの愛の絆だとしよう。
割れたのはもう僕がそこにいないからだし、欠片ではなく同じものなのは、もう僕がそこにいないから、欠片すらこの世に存在しなくなってしまったからだ。
しかし、思い出やら夢の中にいけば、似たものならある。
そういった遠い街にいけば、僕にも会えるし、似たようなものを見つけることもできるのだ。
僕の言葉は君に届かないゆえ、一方通行の問いかけとなってしまう。
だから、問いかけも多くなるのだ。
あの日ぬくもりがよみがえるのをダメっていうかな?と問いかけなければならないのは、そういうことなのだ。
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先日、いとうせいこうさんの『想像ラジオ』を読んだ後に、この曲を聴いたら様々な思いが交錯して胸が締め付けられました。
想像ラジオと雪風の世界観は驚くほどにリンクしているな、と思いました。死者である僕が、生きている女性へと贈るメッセージ…
お互いが現実にいなくとも、強く逞しく悲しみながら死者、生者の声に耳を傾けることを大切に忘却という暴力に負けぬよう努める姿勢。
エイは、想像ラジオで言うところの、糸杉の下に巻き付く蛇で、魂魄の魄を示すのかなー…
考えがまとまらずにコメントを書いてしまって申し訳ありません。是非、想像ラジオを読んで見ていただきたいですす。雪風への考察、思いが深まるかと思われます。
コメントありがとうございます。ちなみに、想像ラジオは読破済みです。確かに言われてみると通底するところがあるかもですね。面白い指摘ありがとうございます!
じゃあ死んでるから会えてるように見えても会えてないということなのですね。遠くの街に行ったら確かに会えますが…今度アルバム出すときはその子の心に全然届かないものになるってことでしょうか。確かにその子今は笑えていると思います。これもこの醒めないのツアーの中だけで終わるということでその子は同じところを一人きり(一人きりかはわからないけど)になってまたぐるぐる回っているということですよね。すごい歌詞ですね。素晴らしい人だと思います。その子の位置がわかってすっきりしました。でもその子に生きる意味はあるのでしょうか?死んでしまったほうが幸せだとおもいます。そこまで生きる意味なんてないと思います。よく考えてほしいと思います。
やっぱりこれは死んだ主人公が残された恋人へ贈る歌ですよね。
割れた欠片と〜の部分は「じゃれあってぶつかって大笑い」からの繋がりで、また語尾を見るにこれは過去(生前)の話ではないでしょうか。
僕は何らかのアレゴリーではなく単に懐かしい一場面を想像していました。
マサムネの個人的なエピソードか何か、、お気に入りのお皿を割ってしまって不機嫌になった彼女を連れて同じお皿を京都まで探しにいったとか(笑)
分からないけどそんな具体的なエピソードが元になっていたらと妄想するのもおもしろい。
歌詞に込める真意は分からないけど、すべてが考え抜かれた比喩だったとしても、考えさせるのではなく感じさせるスピッツの歌詞は素晴らしいです。
マサネムは歌詞について明言してませんからね。僕の考察についてはあくまでも個人的なものなので、正解とか間違いではないですが、色々感じてもらえたら嬉しいですね。マサネムの歌詞って実は映像的でもあったりするからすごいんですよね。
初めまして!
今更ながらスピッツにはまり、色々なところで歌詞解釈を探しているうちにこちらにたどり着きました!
今まで見た中でこちらの歌詞解釈がすごく納得がいくというか・・・これだ!となりました。
すごくわかりやすく書いて頂いて、これから歌う時に思い出しながら歌えそうです。
またお時間ある時に、ルナルナの歌詞解釈をして頂きたいなと思いコメントさせていただきました。
ありがとうございます。ぜひ、また書かせて頂きます。
記事よませていただきました。
すごい 洞察ですね。
また 違った気持ちで この曲を聞けそうです。
ありがとうございました!
稚拙な文章なので恐縮です。
スピッツは大好きなので、リクエストなど言ってもらえればまた記事も書きますので、読んで頂ければ嬉しいです。