ロックフェスにおける「ロック」的な振る舞い。その解釈の違いで揉めることって、わりとよくある。
例えば、モッシュやダイブが禁止されているフェスで、出演者があえてそれを煽ったとき。その行為を「ロックだ」と捉える人もいれば、「それは違うでしょ」と感じる人もいる。
もちろん、その是非を考えるなら、主催者の考えや、禁止に至った背景は切り離せない。「ロックだから」という言葉だけでは片づけられない話だと思う。
自分も、モッシュやダイブが明確に禁止されているフェスでは、それを誘発するような煽り方は良くないと思っている。意見を求められたら、そう答える。
ただ、この記事で考えたいのは、その行為が良いか悪いかという部分とは異なる点で。
というのも、ロックフェスにおける「ロック」って、何なのだろう?って考えちゃうわけだ。よく議論されるテーマながら、とてつもなくややこしいこの問いについて、改めて考えてみたい。
そもそも「ロックかどうか」という話は、フェスの出演者が発表されるときに起こりがちである。
ロックバンドにたくさん出てほしいのに、ポップス寄りのアーティストやアイドルの出演が増えたりすると、「もっとロックバンドが観たいのに」という声が上がったりする、アレ。
言いたいことはわかる。ロックフェスって銘打っているのにポップスの人の数が多いと、んんんん???ってなる気持ちは。「ロック」が好きで、自分がロックと思うバンドをたくさん観たいと思っているなら、余計に。
これって、平たく言えば、自分の好きなアーティストがたくさん出てくれたら嬉しいわけで、その延長線上にある話だと思うし、ロックフェスにおけるロックを考えるうえでの一つの切り口にはなり得ると思う。
でも、今回はそういう顔ぶれの話をいったん脇に置きたい。
どんな音楽を演奏するかではなく、どんな振る舞いや姿勢を「ロック」と呼ぶのか。考えたいのは、そちらの話である。
例えば。
決められたルールを破ることこそロックだ、という考え方がある。
ロックという言葉に、権威への反発や、既存の価値観に対する抵抗を重ねるなら、その感覚はわかる。決められたことにただ従うのではなく、「それって本当に正しいのか?」と問いかける姿勢に、ロックを感じることって多い。
ただ、そこから「だから、どんなルールも破っていい」となると、話は変わってくる。
それでは、自分のわがままを通すために「ロック」という言葉を使っているだけになってしまうからだ。
モッシュやダイブをめぐる議論でも、ぶつかりやすいのはこの部分だと思う。
そのルールは、何のために、どんな背景で決められたのか。そこまで考えると、「ルールを決める側」と「それに抵抗する側」という構図だけでは捉えきれない話が出てくる。
ルールを破ったという事実だけで、その振る舞いがロックかどうかを決めるのが難しいのは、文脈を踏まえないと結論が出せないケースがあまりにも多いからだ。
では、「ルールは破っても、マナーは守る」という考え方はどうだろう。
その場にいる人たちが、何を大切にして、どこから先をやってはいけないと考えるのか。そういう感覚を共有できている空間なら、うまく成り立つのかもしれない。細かなルールに頼らず、互いへの配慮で成り立つ場所は、素敵だと思う。
ただ、いろんな価値観を持つ人が集まる場所では、その「マナー」の捉え方も一つにはならない。
たくさんの人が集うフェスで、同じ感覚を共有していることを前提にするのは、やっぱり難しい。
そう考えると、そもそも「それに抵抗する側」は、何のために抵抗するのか、というところに立ち返りたくなる。思うんだけど、自分がロックに感じる「抵抗の精神」って、その根底に、何かを護りたいという思いがある気がするのだ。
自分の居場所だったり、大切な人だったり、自分らしく生きることだったり。簡単には譲れないものがあって、それを奪われたり、否定されたりすることに抗う。自分が惹かれるのは、どちらかというと、そういう姿勢。その手段として生まれる「反発」に惹かれる。つまりは、「反発」とか「抵抗」の中で、その人が大切にしているものが見える瞬間にぐっとくるわけだ。
だから、「何を壊したか」という部分が大切というよりは、「何を護ろうとしたか」の部分に自分は注目したくなるわけだ。
じゃあ、モッシュやダイブを禁止にしたフェスで、そのルールを破るときって、一体何を護っているのだろう。
そこに立ち返ると、その行動の意味を深掘りできそうだ。護りたいものがあるとして、それが、禁止に至った背景を踏まえてもなお、そのルールに抗うだけの理由になるのかどうか。そこによって、自分の中での答えも変わる気がする。
そこまで考えたときに、何を護ろうとしているのかが見えなかったり、ルールに抗う理由として説得力が弱かったりすると、うーむってなる。禁止に至った理由が重ければ重いほど、それでも抗うことに納得できるだけの理由が必要になるのかな、と思ってしまう次第。
そんなことを考えると、
自分がロックを感じるのは、何かに抗う姿の向こうに、その人が譲れないものや、大切にしているものが見えたときなのだというのが、ひとつの結論。
だから、ロックフェスにおける「ロック」って、その人が何に抗い、何を護ろうとしているのか、というところに集約されるんじゃないかと思う。
ルールを破るかどうかとかじゃない。
何を護ろうとしているのか、そこがポイント。
そんなことをふと思った、そんな話。

