Chevon「るてん」の新境地の考察。ボーカルと歌詞とサウンドに触れて
Chevonの楽曲レビューを久しぶりに行おうと思ったんだけど、なぜ書こうと思ったか。
一言でいうと、進化が凄まじい・・・という話で。
ポケモンでいえば、ミニリュウからハクリューになったような、元の形から姿が想像できるタイプの進化じゃなかったということ。
カイリューがメガカイリュウーに進化を果たすような、そんな想像を超えたやつがよこたわっていた。
「るてん」を聴いて、そんなことを思うのだった。
ちらつくChevonのニューモード
いやね、確かにこれまでのChevonの魅力を受け継いだうえでのアウトプットではあるように感じる。
高低を自由自在に操る谷絹茉優のボーカル、テクニカルにバンドサウンドを操るKtjmとオオノタツヤのサウンドのハーモニー。
高速ビート + ダンス・ロック的なリズミカルさ + キャッチーなメロディーライン。
これまでのChevonの代表曲を語るうえでも、必須になるような要素を今作の「るてん」でも感じられる。
でも、なんていうのか。
「るてん」って、ちょっとChevonのニューモードに突入した感を覚えるのだ。
もちろん、アーティストサイドの言葉を借りると、新境地と捉えるべきエピソードはいくつも拾うことができるんだけど、そういうものとはまたちょっと違う視点、シンプルに物語から切り離して作品として聴いたうえでも「ニューモード」の突入を覚えるのだ。
例えば、「るてん」はAメロは疾走感をもって早口でメロディーが展開される。
そして、ギターは装飾となり、ベースがぐいぐいと軸を握る構成になる。
しかし、サビでは少しメロディーに余白が生まれて、Aメロとはまったく違う様相を見せる。
この楽曲の中での身のこなしの具合だったり、サウンドの組み立て方だったりに、どことなくChevonとしての新しさを覚えたのだった。
なんか初期の楽曲だったら、もっと駆け抜けていたのではないか・・・?というところで、あえて侘び寂びをもってきている感じがするというか。
和楽器っぽいサウンドを取り入れて、なんとなく和のテイストを忍ばせているのも特徴で。
ゴリゴリな楽曲展開なのに、雅な着物も似合うような装いというか。
この歌詞に、このボーカルの強烈感
内省的でもあり、でも内に篭り続けるだけの視点の歌になっていないところが、個人的に好きで。
何れぜんぶ捲れっちまったって
君はなんも変わらずそんなんで
崩れ切った僕の肉塊を歪だって掬って
冒頭からけっこうな鋭さをもったフレーズが展開される。
「肉塊」なんていうワードチョイスもまあまあパンチがある。
でも、そういうワードチョイスをする意味性をボーカルの表現力や楽曲の展開の仕方、さらにはChevonのバンド全体の意匠で作り上げている印象を受ける。
だから、フレーズとしてはエッジが効いているのに、はみ出ているものがないのだ。
全部美しくて、影を落としながらもまばゆい輝きを解き放っている。
辛味を入れることでコクを作り上げる料理のような。
差し色を入れることで、バランスを調和させる服装のような。
ニヒルな眼差しでもあるんだけど、歌としては圧倒的なエネルギーを放っていて。
だからこそ、ここぞの「あいうぉんちゅー」が圧倒的なインパクトを残す。
サビで「触れている」や「消えてゆく」、さらには「冷えてゆく」をリフレインした先、ラストの大サビでは痛快なギターソロの先に描かれた余韻を残しながらも、感動とも興奮ともつかない不思議なドキドキをもって、この歌が終焉を迎えるあたりに、Chevonとしての表現力の凄まじさを感じるのだった。
前まではなんだかんだで、その作品の魅力を言語化できそうな雰囲気があったけれど、「るてん」は言語と言語の間の言葉にできない感情すらも巻き込みながら表現にしているような凄みがあるから、自分のような凡人では言葉にできない感情に誘ってくるのだ。
その変化こそが、Chevonのニューモードの正体のひとつなのかもしれない。
そんなことを思っている自分がいる。
まとめに替えて
Chevonの作品はリリースするたびに速攻で聴いてきて、毎回ぐっときていたけれど、「るてん」はその毎回を超えるような何かがあった。
だから改めて言葉にしたいと思って、こんな感じで記事にしてみた次第。
自分の中で、Chevonは日本を代表するバンドのひとつだと思うし、実際もうそうなっていると思う。
どんどん次の章に突き進む、Chevonの最新系にワクワクし続けている自分がいるのだった。

