Mrs. GREEN APPLEの「Magic」、全然「いいよ」じゃなくて超人的すぎる件
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Mrs. GREEN APPLEの「Magic」って「いいよ」という歌詞が何度も出てくる。
この「いいよ」の響きにぐっとくる。
というのも、「いいよ」というフレーズが登場するたびに、この歌が持つ多幸感とか肯定力が鮮やかに際立つからだ。
「いいよ」という言葉が胸に広がり、不思議と優しい気持ちになる・・・そんな一曲のように感じるわけだ。
その一方で、この歌って包容力がめちゃくちゃあるように見せかけて、別ベクトルで超人的な技法で突き放す、人間離れ感が備わっているようにもっ感じる。
その感じるたびに、どこが「いいよ」やねん、と思ってしまう自分もいるわけだ。
どういうことか?
この記事を通して説明してみたいと思う。
並の人間に歌わせる気がないハイトーンボイスが超人的すぎる
Mrs. GREEN APPLEは2023年、結成10周年を迎えたバンドである。
キャリアとしては油がよりのってくるタイミングであるが、ことボーカルという視点でみると、そろそろ落ち着きが見えてくるタイミングでもある。
というのも、10年くらい活動を続けると、ハイトーン一辺倒で攻めていたボーカルに、別軸で魅了してくるフェーズになりがちなのだ。
良いように言えば、大人でビターな一面を見せてくるタイミングだったりする。
特に初期の曲がハイトーンで攻める楽曲ばかり歌っているとすれば、余計にそうなることが多い。
というのも、中堅にさしかかるタイミングでバンド側も色んなことを考えるからだ。
だって、生で披露するライブのことを考えたらハイトーンな歌ばかりだと色んな意味で大変なことになる。
だから、歌の中で強弱がつけてみせたり、低音をフューチャーする歌を歌ってみたり・・・。ライブの後半でも<ちゃんと>歌えるタイプのメロディーラインの楽曲を節々で生み出しだりと、今後のキャリアを踏まえた楽曲を生み出すケースが出てくるわけだ。
だって、どんな人でも、歳を重ねるごとに声が低くなるわけで。
若いときと同じスタイルのまんま、というわけにはいかず、少しずつメロディーの高さ的には守りに入るアーティストも出てくるわけだ。
なのに。
Mrs. GREEN APPLEは・・・そうはならない。
というか、大森元貴は一向に手を緩める気がない・・・という言い方が正しいのかもしれない。
楽曲がハイトーンであるということに関して、これから先も一切妥協がないことを痛感せずにはいられないメロディーライン。
そのハイトーン具合は、マジで容赦なさすぎて卒倒してしまうレベルだ。
もし大森が騎手なのだとしたら、己に凄い速度で鞭を打ち、スピードを加速している感じでもある。
それくらいに「Magic」のハイトーン具合は容赦ない。
Aメロこそ少し肩の力を抜いてメロディーを紡ぎ留めていくが、サビの直前のフレーズとなる「世界をどうか 私をどうか」を歌う辺りで雲域が怪しくなっていく。
そして・・・サビに入ると、何かを開放するかのようにハイトーンで攻め立てる。
Hey!
この歌声ふとつで、メロディーの秩序は完全にぶち壊れることになる。
並の男性ボーカルであれば絶対に出さないような高さのメロディー。
ジェンガでもそんな高さにはしないぞというレベルで、ゲーマーのマインクラフトよろしく、とんでもない高さを歌の世界の中に作り上げ、それを迫力満点のボーカルでもって突破していく。
しかも、その後も高いメロディーは連続していくし、安易にファルセットに逃げることもしない。
ベース地声で、美しいハイトーンを描いて見せるのである。
マジで、日本の今のバンドシーンでみても、「Magic」を地声のまま原曲キーで歌える男性ボーカルって、本当に数えるほどしかいないと思う。
「これは俺の歌だぜ」と言わんばかりの溌剌とした温度感で、大森はこの歌は歌い切ってみせるわけだ。
「いいよ」という肯定感のあるフレーズを歌う最中も、他の人には一切歌わせる気がないメロディーラインは超人的な輝きを解き放つことになる。
人懐っこさがある一方で、人懐っこさが一切ないメロディーを歌うという、不思議な構図がここで生まれる。
楽しい雰囲気もあるけれど、どこか物悲しさも覚える温度感が超人的すぎる
Mrs. GREEN APPLEって、ぱっと聴きのサウンドは明るくて朗らかなものが多い。
大森の歌声も伸びやかなハイトーンであるからか、歌のテンションとして明るい部分に目が行きがちである。
でも、Mrs. GREEN APPLEの歌って、単に素っ頓狂でノーテンキな明るさに満ちた歌なのかというと、そんなことはない。
「Magic」はそれでもポジティブな装いのフレーズで構築された歌であるけれど、単に明るさ一辺倒の歌かといえば、そんなことはない。
「優しい人で居たいと痛いが止まんない」とか「苦しい意味 忘れた Busyな君だけど」みたいな何気ないフレーズを歌の中心部に据えている。
それによって、ふいに歌の中に”影”の色合いを忍ばせるし、歌の感情を立体的に描いて見せる。
そうなのだ。
大森の歌詞の眼差しって、明るい人のそれというよりは、むしろ内向的な人物だったり、ナイーブな人であるケースが多い。
少なくとも、色んな感情を抱えた人物が歌の主人公になっていることがほとんどで、だからこそ、歌の響き方が独特なのである。
だから、「いいよ」と「もっと」を繰り返すこの歌が、単なるポジティブソングではない、絶妙な感動の響きを与えてくれる歌になっているのだ。
まとめに替えて
結論、Mrs. GREEN APPLEの「Magic」、全然「いいよ」じゃなくて超人的すぎる件、という話。
包容力のある歌だけど、みんなを置いていかない眼差しの歌ではあるけれど、誰にも真似できない芸当でメロディーは紡がれるし、みんな置いていく地平で歌の構造は出来上がっている。
そう考えたら、Mrs. GREEN APPLEって面白いバンドである。
「Magic」という楽曲を聴いて、改めてそんなことを感じた次第。
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