Hakubiの『era』の感想を書こうと思う

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Hakubiの『era』にハマっている自分がいる。

なぜ、このアルバムにハマっているのか。

単刀直入に言えば、Hakubiの音楽が好きだから。

そこに、尽きる。

コロナ禍によって大幅に予定が変更されたうえでリリースされることになったメジャーデビューアルバム。

当初の予定よりも大きく後ろ倒しになり、その分、制作にしっかり時間をかけて作られたアルバムである、ということはインタビューなどでも語られている。

ということもあり、これほどまでのHakubiの軌跡を辿りつつも、これまでのギターロックからの殻を破るような色合いを覗かせる楽曲も複数収録されている。

ただ、改めてアルバムを通して聴くと、こんなことを思う。

良い意味で、バンドの外側から音をもってきても、Hakubiの音楽はどこまでもHakubiの音楽だなーと。

リアレンジをしているが、「辿る」や「mirror」のようなデビュー初期が収録されている一方、

「color」や「悲しいほどに毎日は」といった、メジャー・デビュー後に発表された楽曲も並行して収録されている。

アレンジだけに目を向けると、「辿る」や「mirror」はHakubiらしいエモーショナルなギターロックとして展開されている。

「悲しいほどに毎日は」では打ち込みや鍵盤のサウンドを積極的に取り入れて、バンド外の音が印象的に響くアレンジになっている。

人によっては、初期の曲とメジャー・デビュー後の曲で聴こえ方が異なるのかもしれない。

が、自分としてはどこまでも<Hakubiらしい>一貫した響きを楽曲から感じたのだ。

だからこそ、自分はこのアルバムを繰り返し聴くほどに引き込まれている。

・・・わけなんだけど、じゃあ、自分が思う<Hakubiらしさ>ってなんだろう、という話になる。

本編

言葉の強さ、迷い抜く思いの先

Hakubiの音楽が好きな理由のひとつは、歌詞にある。

ボーカル・ギターの片桐が紡ぐ言葉にどこまでも引きこれてしまうのだ。

じゃあ、なぜ引き込まれてしまうのか。

繰り返しアルバムを聴いていく中でたどり着いた答えのひとつが、片桐の歌詞って、いつも悩んでいるんだよなあ、ということ。

例えば、「在る日々」。

冒頭は、こんなフレーズだ。

階段を踏み外した
いっそこのまま死んでしまえたらって
思うと同時に人に笑われた
ああ今日も今日が始まる

このフレーズだけで、内面に宿る鬱屈した思いが手に取るようにわかるし、歌の主人公(あえてこういう書き方をする)が、どういう性格でどういう悩みをもっていて、現状に対してどういう悩みや不安を持っているのかを感じ取ることができる。

片桐が紡ぐ歌詞は、いつも主人公が現実や周りに対して、常に悩み、もがき、時に苦しみ、その道中を率直に言葉にしていく。

ここでは「死んでしまったら」というワードが出てくるわけだけど、この<死にたい>の温度感が自分的には絶妙で。

例えば、<死にたい>という言葉を単なるフックとしてではなく、ある種の本気の言葉として投げかけている印象を受ける。

んだけど、じゃあおまえ本気で死ぬのか・・・と問われたら、そういう意味で言っているんじゃなくて・・・自分の苦悩のレベルを言葉にするとしたら<死にたい>という他ないという、絶妙な苦悩が、この言葉に凝縮されている気がするのだ。

以降も、「在る日々」の主人公は、どこまでも悩み続ける。

この<悩み続ける>の姿勢が自分にとって、どこまでもリアルで、どこまでも引き込まれてしまうのである。

話は変わるが、歌詞って、書き手によっては構造の中に落とし込まれることがある。

ハリウッド映画の脚本のように、起承転結の文脈になぞらえ、最終的にポジティブな言葉を効果的に響かせるために、起承の部分はわざとネガティブモードにする・・・というような計算されたうえで構築される歌詞もあるわけだ。

でも、片桐の歌詞は、起承転結とか関係なくて、最後まで常に悩み続けていて、歌によっては悩みに対する結論を見出すこともなく、ある種のカタルシスを生むこともなく、ひたすらに、実直に、悩み続けることを選ぶことが多い印象を受ける。

答えを出すというよりも、悩むことそのものに焦点を当てている感じがするし、仮にそうじゃなかったとしても、<悩む>の軌跡が歌詞の中に克明に見える気がするのだ。

そこに、感受性を揺さぶられる自分がいるのである。

もっと言えば、『era』というアルバム自体が、12曲の楽曲を通した悩みの痕跡であるように感じられる。

歌のひとつひとつから、それぞれの悩みや葛藤が感じ取れて、その軌跡にぐっときてしまうのである。

・・・とはいえ、悩みの道中や軌跡が克明で実直だからこそ、悩んだ先に、見える景色が輝いて見える、というのは確かにあって。

アルバム全体でいえば、「アカツキ」はまさしく、悩んだ先に見えた景色のひとつ終着地点、といってもいいのではないだろうか。

夜がずっと続いた先にそっと見えた朝=日差しの景色に、自分なんかは途方もなくぐっときてしまったのである。

 そうなのだ。

この歌も丁寧に見ていけば、どこまでも葛藤が続いている。

一番のサビでは、

みんな同じだって言われて
無性に腹が立った

人に見せるわけではない怒りの感情を描くし、

誰よりも自分が一番自分に期待して
描いた通りにはいかなくて
死んでしまいたい夜の中

大サビでは、こんな思いまでも吐露していく。

しかし。

最終的にこの歌は「朝を迎え」、「ようやく歩き出したよ」に至るわけだ。

<様々な苦悩の先に行き着いた景色>に、自分はぐっときてしまうのである。

ここでいう<様々な苦悩>は、「アカツキ」という楽曲だけの話の中でもいえることだと思うし、『era』というアルバム全体の話としても言えることだと思っている。

色んな感情を浮き沈みさせたけれど、最終的に見えた景色が「アカツキ」であり、<朝の景色>であるからこそ、どこまでも美しくみえる。

自分なんかは、そう思ってしまうのだ。

こういう熱量をぶつけられると、「アカツキ」にはストリングスが入っていて初期の楽曲とは変わってしまった・・・みたいな角度からの受け止め方はどうでもよくなるのだ。

こういう言葉をこういう熱量で歌にするなんてHakubiにしかできないと思うし、こういう類の感動を感じられるのはHakubiの歌だからだよなあという結論に至る。

結果、アレンジがどうとかはまったく別のところにHakubiらしさがあることを実感するのである。

なにより、Hakubiの歌詞が鋭く刺さるのは、片桐のボーカルにどこまでも生命力があるからだと思っていて。

片桐が紡いだ言葉を、片桐が歌うからこそのリアリティーがそこにある、とでも言えばいいだろうか。

だからこそ、Hakubiはどんな変化を遂げても、Hakubiにしか魅力にあふれているように自分なんかは思うわけである。

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サウンドの話

Hakubiの歌は歌詞が良くて、片桐のボーカルが良い。

先ほどの項目ではそんな話をしたけれど、歌詞が立体的に響くに辺り、Hakubiのバンドサウンドが素晴らしいことを実感する。

というのも、バンドアプローチが躍動的で、それが言葉により命を吹き込む効果を与えているように思うわけだ。

例えば、「color」は、かなり細かいリズムアプローチが行われていて、ベースもゴリゴリに響いていることがわかる。

ソリッドなサウンドと、細かくて激しいリズムアプローチの融合。

それが歌詞をより生々しく響かせる効果を与えている。

「栞」のように、ゆっくりと音を積み上げていき、少しずつバンドの音の幅が広がっていく感じも言葉に魂を吹き込むうえで、重要な印象づけをしている。

言ってしまえば、片桐の言葉が言葉以上の切れ味で響いているのは、Hakubiの三人が積み上げた音の上に言葉が乗っかっているからこそ、なわけだ。

なので、同じような苦悩を言葉にしていたとしても、楽曲によってまったく聴こえ方が変わってくるわけだ。

アルバムを通して聴く上で、そんなことを思ったりもするのである。

まとめ

あと。

片桐のボーカルは「僕」という一人称が似合うのが良いんだよなあと思う。

「僕」という一人称を通して歌を世界を作り上げていくから、少年的な眼差しになって歌を聴ける自分がいて。

こういう卒直な苦悩の言葉が、よりすっと入っている自分に気づくのだ。

現実に躓きまくっていたあの頃の自分の感情にスーッと入ってくる心地がするというか。(まあ、社会人になっても、常に現実に躓き、内側に鬱憤をためまくったり、心の中で中指を立ててしまう自分がいるんだけどね)

だから。

自分はHakubiの『era』にハマっている。

そんな冒頭の話に戻る、という、そういう話。

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