夢は死なへん

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Dizzy Sunfistのフロントマンであるあやぺたが常々口にする「夢は死なへん!」は、ある種族の人たちには「うおおおお!!!!」と鼓舞させ、ある種族の人たちには「いやキッツいわ」と敬遠させる。

自分は強いて言うなら後者の方だが、好き嫌いよりもまず「どうしてこういう事を言うようになったんだろう」という気持ちが先に来る。

今日はそんな話。


あやぺた:昔キッズの頃、HATANOさんの「職業無職、趣味バンド」っていう言葉が好きすぎて、それを画像にしたものを待ち受けにしてました(笑)。
HATANO:ははは(笑)。でも今でもそう思ってる。バンドが趣味じゃなくなったら、それは辞めどきだろうなと思うもん。

まずはこれがあやぺたという人物を理解する一つの手がかりになる。

私も同じあやぺたと同じ堺出身の同世代(彼女の方が一つ上)なので、彼女の青春時代を私の近くの友人たちに重ねることができる。

ああ、そういう感じの人ね、と理解する。大阪って(に限らないかもしれないが)、ああいう感じのバンドマン、よくいた。

Misaki:ギターはいくつから?
あやぺた:中学3年生かな。部活を辞めて暇になって。そこからギターをやり始めたんですけど、最初は全然弾かれへんし。
-ちなみになぜギターだったんですか? 誰かギター・ヒーロー的な人がいたから?
あやぺた:Avril Lavigne(以下:Avril)ですね。Avrilに憧れてギターを始めて、とりあえず日本のAvrilになろうと思って(笑)。そこからは、Hi-STANDARD(以下:ハイスタ)とか他のバンド・サウンドにも興味が出てきました。

アヴリルに憧れるのはこの世代ならわかる。

やっぱりかっこよかったし、そこは同じだなあと彼女に深く共感する。

彼女が「夢は死なへん」と叫び続けるのは、そのころと気持ちは変わっていないからだろう。

そしてその精神を貫いてきてそれが正しいことを証明してきた。

話は変わるが、2020年の東京オリンピックの招致スローガンが「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」だったことを知っている人は少ない。

この名付けの背景を抜粋する。

大会が実現すれば、それは、震災からの復興を目指す私たち日本国民にとって、明確な目標と団結をもたらします。そして、支援を寄せてくれた国際社会に対して、感謝の気持ちを示せると共に、スポーツの力が、今困難に直面している人々を励まし、勇気を与えられるということを証明することができます。
また、現代日本の成熟した社会では、震災以前から漠然とした閉塞感を抱え、国全体の大きな成長を体験する機会が少なくなっていました。
特に若い世代が自信や誇り、希望を持つことが少なくなってきています。今こそ、国際舞台で再び日本が存在を強め、若い世代を中心に国民全体が、日本人としての誇り、希望を持つことのできるきっかけが必要ではないでしょうか。
「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」
スポーツの力で、オリンピック・パラリンピックの力で、ニッポン復活を。この信念を軸に、新しいスローガンには、私たちがひとつの大きな夢をもって、新しい日本、そして明るい未来をつくりだしたい、という強い願いが込められています。

ようするに、震災から立ち直るのにはこの夢が必要なんだと訴える。

この夢とはオリンピックのことだが、まるで1960年の東京オリンピックと同じステップで、同じメンタルで挑ませようとしているのが今の政府の目論見である。

そして、この夢を叶えることが「今困難に直面している人々を励まし、勇気を与えられるということを証明する」ことができるのだと力説している。

それは、あやぺたが常々言っている「夢は死なへんことを証明する」とリンクする。

みんなの夢が夢で終わらないように、夢は死なへんことをうちらが証明してやる

では彼らの「夢は死なへん」の夢とはなんだろう。

仕事をしている時に口すっぱく言われるのが「それっぽい言葉を使うな」である。

仕事柄、人を励ましたり鼓舞したりする機会が多いのだが、その度に「なんとなく安心できる言葉」に頼るリスクにはいつも敏感でいなさいと言われる。

例えば「安心」とか「充実」とか「可能性」とか。それがいけないわけではないが、何にも語っていないに等しい時があるからだ。

そして私のようなレベルの人間なら結果的に何も話していないのと同等になる。

これが宗教家とかメンタリズムの人なら効果的なんだろうが。

こうやって、源氏ノ舞台に立つという夢は終わったけど、まだまだうちらの<京都大作戦>は終わらないし終わらせたくないし、まだ夢は続いていくし、まだ夢にしがみついていく。みんなもちょっとくらい……てか、たくさん弱音を吐いてもいいからさ、諦めるようなことだけは言わんと生きていって。

しかしどちらにせよ「夢」は危うい。

いや、危ういから「夢」なのだ。夢を持てと言われたらなんとなく強くなった気がするし、明日への希望が見いだされるような気がする。

しかし、夢は死にはしないが向こうから近づいてくれることはない。

常に自分から歩む必要がある。

計画を立て、具体的な行動に出なければならない。夢は死なへんというより、夢は動きすらしない、が近い。

夢は死なないことは彼ら自身実感しているのだろう。

だからこそその経験を伝えようと必死になっている。

でもそれは彼らが計画し、行動し、一つ一つ叶えてきたから届いた夢なのだ。決して夢が近づいてきたわけではない。

だがあやぺたから放たれた言葉は彼女の意思に従わず、ふわふわと浮いていく。

シャボン玉のようなきれいで儚い言葉を見た我々は思わずそれを手に取ってみたくなる。

でも彼らのように地道でひたすら努力もできない凡人にはそのシャボン玉の掴み方が分からない。

「きれい」で終わってしまう泡ぶくでしかないのだ。

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明日の映画も夢

あやぺたは夢はたくさんあると語っている。

あやぺた:はい。あ、構想はないと言いましたけど、このアルバムでもっと夢を叶えてやろうっていう思いはずっとあって。
──どういう夢を?
あやぺた:うちが常にいろんな夢を叶えたい人なんです。例えば「明日あの映画観たい」とかそういうのも夢で、それを1日1つずつ叶えていきたいんですよ。そんなうちの生き方をそのまま詰め込んだ1枚です。いろんな夢を叶えられました。

つまり、明日の予定すら「夢」にカウントしているのだ。

うっかりステージ上での発言に飲み込まれそうなとき、何度もこのセリフを思い出したい。

「夢は死なへん」のは達成可能に限りなく近い些細なものも紛れ込んでいるからだ。

そしてクリアしていき、夢を絶やさないようにしている。

客席にいるファンたちにはその夢へのすり合わせはできているのだろうか。

もっと壮大で、自分であきらめているようなこと、達成不可能に限りなく近いようなことだけを夢と捉えて舞い上がっているのをみると、彼らのあまりに華麗な夢へのスキンシップに温度差を感じてしまう。

私は、夢がなくなってしまった瞬間に生きる意味がなくなってしまうんじゃないかって思うんです。だから、夢を持ち続けるために歌うし、夢を持つことの大事さが歌のテーマになる。

もちろん彼らが壮大な夢も持っているのは知っているし、それこそ、そんなあり得ないくらいの夢を一つずつ叶えてきているのは、彼らの努力と才能以外の何物でもない。

ただ彼らの夢には明日の映画も含まれているのは心にとどめたい。

まとめ

政府がオリンピックを夢とすり替え、その夢への期待感をあらわにしている一方で、国民は税金の使い道ばかりが気になるのは、夢へのすり合わせが足りないからだ。

もしくは夢のすり替え事体に失敗しているからだ。慌てて政府は「もうきまったんだからしょうがないじゃん」「今更くさすようなこと言うなよ」と批判を抑圧するのは、なによりの証左なのではないか。

夢を持つことは怖いことじゃない、夢を持つともっと楽しくなる。共に幸せになろうぜ!

私たちの次の夢はあっちのステージ(SATAN STAGE)へ行くこと。うちらの次の夢を絶対に死なせへんから!

Dizzy Sunfistは一つ一つ夢を叶えてきた。

だから「どんな夢も死なない」という経験からくるメッセージを常に掲げ、自らを鼓舞する。

しかし内情は、明日の映画も夢にカウントし、ひとつ夢ができればまた一つ夢を創り上げ、実のところすごく賢明なスモールステップを踏んでいることが分かる。

決して一晩で有名になってやろうなんて大きな夢を最短ゴールに掲げたりしない。

そこは私たちも理解しておくべきだろう。

私たちはあやぺたじゃない。

夢は死なへんのは夢がなにもしてくれないからであり、夢はいくらでも創出できるからだ。

関連記事:絶望的にシンプルなDizzy Sunfist評

筆者紹介

ノベル(‪‪@otakatohe)

J-POPも洋楽も聴くただの音楽沼の人。「ノベルにはアイデンティティしかない」というブログで、さまざまなアーティストをチクチク小言で刺している。実は平和主義。

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