アーティストが”炎上”したときに思うこと

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どんな人だって好きなアーティストもいれば、嫌いなアーティストもいるとは思う。

その理由が音楽性という理由ということもあれば、単純に顔が好きじゃないということもあるだろうし、それまで好き寄りだったけど、この時のこの発言が無理すぎて嫌いになったということもあれば、元カレ元カノが好きだったから嫌いということもあれば、具体的に「何が」というわけではないんだけど、なんとなく嫌い、というケースもあると思う。

その理由が理にかなっているかどうかは、別にいい。

人なんだから、嫌いな人もいるだろうし、嫌いになるフェーズだってある。

それを完全に封殺するなんて、それはそれで無理な話だ。

でも、仮に嫌いなアーティストがいるとして、その触れ方には然るべき対応があるよなーと思うし、嫌いならともかく普段はそのアーティストに完全に無関心なクセに、そのアーティストが炎上したとき、叩くことができる理由が生まれたときだけ群がって、悪意のボールを投げつけるサマをみるのが嫌だなーと思う。

ポジティブな話ばかりをしている人をみて、揶揄する人って一定数いるように思う。

でも、その何倍も何十倍も、ネガティブな話題の方が人を集めるし、人を惹きつけるし、大きな渦を生み出しやすい。

その「叩く理由」がかなっているかどうかは、別にいい。

それまでがどこまでも無関心側だった人間が、叩けるときだけ、興味のあるフリして、そのアーティストのことをいっちょがみするのは、単純に嫌だなーと思ってしまうのだ。

ポジティブなニュースに対しても、ネガティブなニュースに対しても、同じ温度感で接するならばいいけれど、どう考えてもネガティブなニュースのときにだけ顔をだして、挙句「○⚪︎って誰?知らない」と言いながら、悪意をばらまくのはどうなんだろうと、炎上のニュースをみるたびに思うのだ。

某アーティストのように、事実無根の叩かれた方をして、それが少なくとも事実と乖離のある叩かれ方だと判明してもなお、悪意の渦ってなかなかに消えないわけで、悪意がもたらすエネルギーについては、もっと自覚的になる必要があるよなーと思う。

何度も言うけど、嫌いという感情をもったり、ある種の正義感が沸き立つ瞬間が来ること自体は「普通」だと思う。

別に、そういう感情そのものを否定するわけではないし、色んな視点をもってアーティストのことを接するのは良いことだと思う。

でも、明確にネガティブなニュースのときにだけ、よく知らないアーティストに触れて、悪意をぶちまけるのは違うと思う。

個々にとっては、軽い気持ちかもしれなくても、いつしかそれは悪意の渦に巻き込まれることもあるからこそ、そういう視点については自覚的であることが重要だと思うのだ。

改めて、そういうことを強く感じた、そんな夜。

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