SUPER BEAVERの「片想い」の破壊力を言語化してみた

振り返ると、気づく。

 

最近本気で笑ったことは何だったろうか?と。最近、心が震えたことは何だったろうか?と。どれだけ頭を巡らせても答えが出ない。ちっとも思い出すことができない。年を重ねて、感情を騙すことばかり覚えてしまった僕ら。ただ、寝て起きて仕事いってメシ食ってまた寝るだけのサイクル。自転車のライトのように、輪の中でただ灯るだけのような日常。

 

だから。

 

昨日食べた晩ごはんのことももう思い出せない。最後に笑ったエンターテイメントが何だったのかももう思い出せない。クソしょうもない会話で爆笑していた童心ももう思い出せない。循環するだけの日々の先、ハリボテでガラクタになった自分がそこにいるだけ。

 

ポケポケで言えば、相手にポイントが2が先手で入ってしまった、そんな状態。

 

「だめだっ・・・。このままだとっ、やられてしまうっ・・・」

 

わかってはいるんだ。わかってはいる。でも、もうどうしようもない。

 

そんな状態にもかかわらず、ベンチにはクソ体力が削れたポケモンしかいないにもかかわらず、相手の手札から『アカギ』が出されてしまったときのような圧倒的絶望。当落後に送られてくるプレイガイドの文面ですら、もうちょい慈悲がある。絶望 of 絶望。何かを覚悟する3秒前。でも、もう動くことすら許せないあの時間。

 

鼻くそにも似た、砂漠のような何かに囲まれたような、そんな一瞬。

 

いつしか胸には、こんな思いが渦巻く。

 

もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメかもしれない。もう僕はダメか

 

そんなときに、胸に一線の光りが、突き刺す。左耳から聞こえる。

 

 

どっこぉかぁ〜遠くぅでぇ〜っ!

 

 

あああああ。カラカラになった喉にスポーツドリンクを流し混んだときのような蘇生力。電池切れになって音声がよれよれになった人形の電池を変えた瞬間のあの感じ。

 

 

打ち上がるぅ! 花火ぃのぉ〜音ーっ!

 

 

乾燥してすべての潤いを排斥した場所であっても、その歌声を一粒落とすことで、信じられないほどに潤いが伝播していく。笑えた日々を失っても、前に泣いた日を忘れても、それでも「歌声」一発で、強引に蘇生させてくる感じ。

 

ポケポケで「もうダメだ」と思ったタイミングで、奇跡的にコイントスの運で勝負呼び込むときのあの感じ。

 

何かもかもをひっくり返して、感涙の世界に一気に引きずり込む凄さが、SUPER BEAVERの「片想い」という歌にはあるのだ。

 

 

いや、とんでもなく前置きが長くなってしまったが、SUPER BEAVERの「片想い」、マジで良くないですか????というのが、この記事の本題。

SUPER BEAVERの「片想い」の話

なんかね、SUPER BEAVERの歌って生命力に満ちているよなーと、改めて感じたのだ。

 

歌が上手いアーティストはたくさんいる。

 

もしかしすると、技術的にSUPER BEAVERより歌が上手いアーティストだって、いるかもしれない。

 

でも、仮に技術的な優劣が別にあるとしても、SUPER BEAVERの歌って、そういう優劣とは別の次元にある歌だなあと、改めてそう感じたのだ。

 

言葉に生命力が宿っている。

 

だから、言葉が耳を通って胸に入ったときの「突き動かされ具合」がえげつないのだ。無感情になりかけても、SUPER BEAVERの歌を聴くと、否が応でもハートフルになってしまうパワーがあるのだ。

 

渋谷龍太の歌の凄さである。

 

そして、渋谷龍太の歌って、バラード調になったときの破壊力がえげつないなと、「片想い」を聴いて感じたのだ。

 

聴くことができるタイプのカイリューのはかいこうせん。陣取りゲームをやっていたとして、この声一発で盤面を塗り替えてしまう凄みがある。

 

そして、つくづく思うが、渋谷龍太の歌声が映えるなら、ソングライティングを柳沢亮太が務めているからだと思う。

 

仮に他のバンドの楽曲を渋谷龍太が歌ったとして、「ド」ストライクにはならないかもしれない。刺さるなーは感じたとしても、ぶっ生き返るになるのは、柳沢亮太の歌だからこそ。

 

持っている強みのかけ合わさり方が半端ないのだ。ケミストリーという言葉は、この二人のためにあるのではないか?そんな気持ちになるくらいのシンクロ具合。

 

だから、思う。

 

最近、ぐっときていないなーと感じる全人類。騙されたと思って、SUPER BEAVERの新曲、聴くべきだぞ、と。なんなら、SUPER BEAVERって名前は知っているけど、ちゃんと聴いてこなかったかも、っていう腕組民族ほど、刺さり方、えぐいことになるから。

 

年に無数のライブをこなし、現場主義として貫くものを貫き続けたバンドだからこその説得力が、今のSUPER BEAVERの歌にはある。しかも、それはライブだけではなく、音源でも溢れ出ている。

 

Tiktokでバズりそうなバンドでも「片想い」みたいなノリの歌を歌うことってよくあると思うが、このバンドの「片想い」はあまりにも一味違う。

 

マカロンと思って口に加えたら、二郎系ラーメンだったみたいな、そんな感触になるから。

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