人によって好みが分かれがちなバンドっていると思うけれど、ポルカもそういうタイプなんじゃないかと思う。
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曰く、MVがあざといとか。曰く、全てが計算されてる感じでなんかイヤらしいとか。曰く、少し不満を述べたファンのTwitterを簡単にブロックするとか。曰く、音楽テレビ番組「バズリズム」にて2017年「今年ブレイクするアーティストTOP10」の第2位に輝いたけど、5位のNulbarichや4位の髭男の方がバズってるんじゃないかとか。
いや、好きですよ、僕は。ポルカの音楽。
ただ。
ポルカってやっぱり色んな意味で特殊なバンドだよなーというのはあって、一言二言モノ申したい気分にさせるところが確かにある。
せっかくなので、2018年5月9日に発売したセカンドミニアルバム「一大事」の感想も含めながら、ポルカというバンドについて自分なりに書いてみたい。
とにかく打算的
本人たちもそういうスタンスでやっているからあえて書くけれど、ポルカって全てが全て打算的だよなーと思う。
MVであれ、作っている音楽であれ「こういうものを提示したらウケると思われるので、こういうものを作ってみました」という計算高さが目につく。
この御時世にわざわざバンドをやる人って良くも悪くもアホな人が多いなか、「私たちはこんなにも頭を使ってバンド活動をしてるんですよ」っていうのをいちいち見せつけてしまう偏差値の高さがポルカの魅力でもあり鬱陶しさでもある。
一昔前のバンドマンなんてアホを通り越してキチガイしかいなかったし、未だに多くのバンドマンはイケイケドンドンで、とりあえず場数踏みながら生き長らえていくアホな人が多いなかで、ポルカは色んな階段をすっ飛ばし、最短距離で「売れる」階段を駆け上がる。
ポルカって、DQNな学校なはずなのに学園ものの漫画にもなぜか一人はいる、少しイジメられがちなマジメな優等生みたいな感じだろうか。いや、違うか。違うな。
バンド結成わずか3年ほどでここまでのバズを見せた理由を解説しているネットブログなんかを読んでみると、多くの方が「MVのあざとさ」を口にする。
確かにあざとい。
けれど、あざとさといえば、東京カランコロンやShiggy Jr.だって十分にあざといように感じるのに、前者二組に比べると、今のポルカの躍進は目を見張るものがある。
わざわざドヤ顔で書くことでもないだろうが、ポルカにおいて「MVのあざとさ」はあくまでも入り口のひとつであり、そこから先が色々と巧妙で、なにより楽曲に魅力があったからバズったし売れたわけだ。
ただ、何よりもそれよりも、ポルカがバズるポイントは、彼女たちが超高速でPDCAを回しているところにあると思う。
ん?PDCA?なにそれ?って人は下記をみてほしい。こういうことである。
P→Plan:計画を立てる
D→Do:実行する
C→Check:評価する
A→Action:改善する
要は、計画して実行して改善策考えて、それを反映させてまた計画して実行する、っていうサイクルのことだと思ってもらえたらいい。
ポルカは、このサイクルをすごく意識しながら「次の動き」を決めているし、このサイクルの精度が高くてしかもそのスピードが早いから、数字としてきっちり成果を出すわけだ。
例えば。
ポルカがバズりはじめた当初は、まずフロントマンである雫のキャラクターを付けることを優先していた。
わざと残りメンバーをモブキャラっぽくして目立たなくして「オタサーの姫」感を出していたのもそのためである。
しかし、あるタイミングでポルカは舵を切り替える。
雫だけでなく、他のメンバーのキャラ付けをすることも心がけるようになった。
新曲「ICHIDAIJI」のMVをみてほしい。
ベースのユウキはバナナを豪快にほうばることでゴリラキャラをアピールしている。
ドラムのミツヤスはMV後半でインド人にセグウェイを取られてしまうことでオトボケキャラをアピールしている。
ギターのハルシは爽やかな笑顔をスロモーションにしたり、手のひらに載せて小動物っぽく何かを食べることで、カワイイキャラをアピールしている。
しかも、こういう「キャラを植え付ける描写」はあくまでもポイントポイントでチラ見せにしている。
ファンは、部分部分を切り取って妄想を膨らませてキャラ付けしていく。
雫はそのことをよくわかっているから、MVにこういう仕込みをサラッとするわけである。
ポルカの場合、ここから更にライブやTwitterでリスナーの反応を細かくチェックして「こういうキャラ付けは微妙」とか「こっちのキャラの方がおいしい!」とかを判断して、次なる計画→実行に移すわけだ。
メジャーバンドでは考えられないスピード感でこのサイクルを繰り返すのがポルカの凄いところであり、彼女たちの圧倒的な強さなわけだ。(逆に言えば、あざとい路線でイマイチ伸びていないバンドはこのPDCAのサイクルが遅いか、C→Aの部分に問題があるのではないかと思われる)
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そもそもあざとさなんてどうでもいい
ポルカのMVはあざといし雫がカワイイ!!なんて言う奴がいるけれど、そもそもあれでテンションの上がる奴の気がしれない。
「目の保養」という観点だけで言えば、もっと上質なコンテンツが他にあるやんと思ってしまう。
やっぱり、ポルカを評価するとしたら単純に演奏の上手さだと思う。
確かにポルカの音楽って「こういう音楽をやったらウケるのがわかっているので、こういう音楽作ってみました」という計算高さが目につくし、音楽を通して発信したいメッセージなんて一切ないこともよくわかる。
例えば、今作のミニアルバムには恋愛ソングが何曲か入っている。
本音の部分では恋愛ソングなんて書きたくなかったとしても、それを作品として作ったのなら、普通は自分が恋愛ソングを書くに至った「綺麗な物語」を生成して、偶発的であったしても「だから、自分はこんなメッセージが伝えたかったのかもしれない」なんて語るものである。
が、ポルカのフロントマンである雫は一切それをしない。
「タイアップが付いたからこういう曲を書いた」「売れる曲を作る上で恋愛ソングという要素は無視できないから書いた」「別に自分のメッセージも想いも特にはない」こういう類のことをさらっとインタビューで述べるのだ。
強い。
歌詞はそういうものでしかないって言い切ってしまうなんて凄いし、強い。
自分はリスナー第一主義であり、それ以上も以下もないという姿勢を表明するわけだ。
音にも、その姿勢は反映されている。
聴けばわかる通り、ポルカの演奏レベルは高い。
特にギターの果たしている役割は大きく、ギターのリフが全面に出ている楽曲も多い。
実はこれも、リスナー第一主義の結果だったりする。
邦ロックの沼に浸かる人がバンドサウンドで一番グッとくるのって何かと考えたらギターだよね、だから、ギターのリフが全面に出るようなサウンドを構築しがちにするし、それを聴きやすい形でパッケージしました、みたいな感じ。
ギターソロなんて死滅しがちな今の邦ロックシーンにおいては珍しく、ポルカはけっこうギターソロを強めに入れてきたりするし。
ベースなんかのローの音はそこまでリスナーが「聞き分け」できないことがわかっているから、それ相応の音の鳴らし方しかしない。
逆に言うと、ベースもリフが強い部分はしっかりと聴こえるようにミックスしていたりする。
ドラムもバスドラのようなローの音はほとんど切ってしまい、シンバルとスネアをとにかくしっかり聴いてもらうような音作りをしているように感じる。
要は、ユーザーが聴いてワクワクする音は強調するし、そうじゃない音は(鳴っていたとしても)削ぎ落とすようにしているわけだ。
また、曲においては「ポルカが今、こういうジャンルをやったらお客さんにウケそう」ということをシンプルに考えたうえで骨格を作っている。
ミニアルバム『一大事』で言えば、「リスミー」は今のトレンドでシティ・ポップは外せないから、自分たちのお客さんに聴きやすいシティ・ポップを作ろうと考えて作ったらしい。
お客のことを考える→ジャンルを決める→どの楽器が必要か・どういう技術が必要か考える→実行、というサイクルで制作を進めるポルカの制作スタイル。
その発想ってすごくPDCA的だよねーという話であり、そういうPDCAのサイクルのなかで生まれた案を妥協なく実行に移せるのは、基本となるバンドの演奏レベルが高い水準にあるからだよねーという話。
不要な妥協は完全に取り払われたうえでポルカの音楽は鳴らされているから、聴いていても心地良いんだよなーという話。
ポルカの明確なる哲学
音楽を通して発信したいメッセージなんてなくて、ただ自分たちはたくさんの人に音楽を届けたいし、売れたい。
そんな目標を遂行するため、ポルカはどこまでもマーケティングを大事にしている、そんなバンドである。
だから、エゴサをしまくるし、ファンが何を望んでいるのかを細くキャッチアップして、それを活動に反映させていく。
PDCAを繰り返していくのも、そういうことなわけで。
が、ポルカにはひとつだけ過ちがあるよなーって思う。
例えば、EDMが流行ってるからEDMやるのって別にマーケティングでも何でもないし、売れている、人気があるものをトレースしてマネすることは、マーケティングではないわけだ。
マーケティングの基本は、どんな価値を、誰に、どのように届けるか、ということを考える作業にある。(平たく言えばの話だけど)
が、ポルカはあまりにも「どんな価値」という要素(=メッセージ)が不透明すぎるのだ。
「やりたいこと」を叶えるのが本来のマーケティングの役割だと思うのだが、ポルカの音楽からはそれが見えづらい。
リスナーを喜ばせたいのはわかるが、そこにコミットメントしすぎな気がする。
だから、ついついこんなことを思ってしまうのだ。
ポルカは流行を追随するだけで、流行を作ることはないんだろうなーなんて。
ここを踏み込んで、自分たちの鳴らしたい音楽がもっと見えてきたら、ポルカの音楽にもっとグッとくるんだろうなーと個人的に思うわけだ。
まとめ
「自分たちにメッセージ性はない」というメッセージだけがどこまでも一貫しているのがポルカの強さであり、弱さでもあるのかなーと思う。
そこをひとつ超えてポルカの音が鳴らされたとき、僕はもっとポルカという音楽チームにグッとくるんだろうなーなんて、そんな話。
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