ギターソロを飛ばして音楽を聴く人がいるらしい
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Twitterのトレンドに「ギターソロ」と入っていたので、なんで話題になっているのかなーと調べてみた。
すると、ざっくりとタイトルで書いたような内容のことが確認できた。
ふむ・・・・・。
まあ、個人的には音楽の聴き方なんて人それぞれだよなーと思っている。
どこを重点的に聴くかなんて好きにすればいい。
どこを飛ばして聴くのかだって、好きにすればいい。
ただ、世に流れてくる言説をみてみると、音楽に限らず、ここ数年で大きくエンターテイメントの接し方が変わっている印象は受ける。
総じて、ひとつの作品を断片的に楽しむ傾向が強くなっている印象は受ける。
その結果、イントロはなしにする歌は増えていくし、ギターソロは存在しない歌も増えていく。
確かに、断片的に楽しむ人の母数が増えているとした場合、そういう人も取り込んだ音楽を作らないとビジネスとして成り立たなくなるため、それを意識した音楽が増えている、ということまでは言える気がする。
まあ、音楽でメシを食うためには、どこまでの「広さ」を意識した方がいいのかは、微妙なところであるけども。
全員が満足する音楽なんてありえないのだから、「広さ」ばかりを意識しても仕方がないケースもあるし。(変に広さを意識した結果、誰の心にも刺さらない音楽が生まれる可能性だってあるわけで)
そもそも。
音楽を生業にする人って、そういう合理的判断を抜きにしている人が多い気もする。
なんせ、気がついたら音楽を選んでしまっていた人や、どうしても音楽を選ばざるを得なかった人、というのも多い気がするからだ。
そして、そういう人の場合、マーケティング的に考案される「売れる音楽」と、自分が好きで好きで仕方がない音楽に乖離が生まれる、というパターンもあるように思う。
まあどれだけアレな趣向をもっていたとしても、音楽でメシを食うことにしたのだとしたら、ある程度の母数の人には伝わる形にしないといけないので、その過程でポップに寄っていくというケースはあり得るとは思うけどね。
ただ、「広さ」ばかりを意識して<そのセンスの人まで対象にするかしないか>みたいな考えはわりとあるように思う。
売れたら何でもいい。
誰にどんな需要をされてもいい。
そんな考えもあるのだとしたら、最低限の美学は大切にして、そこに共鳴する人に届けるようにしたい・・・という考えもあるように思うからだ。
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マーケティングの先の音楽
確かに、マーケティング的な発想が先行したうえで作り出された音楽は、なんだかんだで人の心には刺さらないみたいなところがある(ような気がする)。
めっちゃ売れたけど、数年後には(ほとんど)誰も話題にしない歌ってわりとあるようには思うからだ。(もちろん、数年後も聴く音楽は人によって違うので、どの歌が、という名指しは難しいけども)
それを踏まえて、思うことがある。
確かにフェーズで言えば、今ってギターソロは、そこまで望まれるものではないのかもしれない。
今の流行の音楽って、もしかするとギターソロとは別の方向にあるようなものなのかもしれない。
でも、思うのだ。
どうせ流行なんて、すぐに変わってしまうんだろうな、と。
それどころか、流行なんて気がついたら一巡してしまうこともある。
よく、ロックは死んだ、みたいな評された方をするが、そう言われたから数十年が経過すると、再びゴリゴリにロックが頭角を現している・・・みたいな話ってよくある。(少なくとも、全滅はなかなかしそうにない)
あるいは、古いといわれていたような音楽が、一巡して最先端みたいな顔してやってくるケースだって、わりとあるように思うのだ。
なので、仮に今ギターソロが<古い>ものだったとしても、数年経ったらそれが<最先端>になっているケースだってあると思う(まあ、おうおうにして古参がうるさいジャンルは新参が入りづらく、停滞しがちではあるけども)
あるいは、当時は舐められていたようなアーティストや、パクリと揶揄されていたアーティストが、幾年も経ったあとだとある種のレジェンドのような語られているケースだってあるし、音楽なんて、流行も価値基準も、わりと頻繁に変動するものだよなーとは思う。
・・・なんてことを考えてみると、今の流行りはどうとか、需要スタイルはこうなっているみたいな分析って、それなりに眉唾でみた方がいいのかもなーなんてことを思う。
もうそれなりに年を食っているのに、Z世代のことをわかった顔して語っているような人からの論考だとしたら、なおのこと眉唾な話だよなーと思うしね。
・・・ってことまで考えたとき、ギターソロがどうのこうのみたいな分析だって、眉唾なフシもあるよなーと思う。
まあ、そもそも、ここでいうギターソロがどういうものかにもよるし、誰に対しての話なのかにもよると思うし。
まとめ
そして。
書いた言葉を振り返ってみたとき、ブーメランとなって自分の額に突き刺さる。
この文章もまた、それなりに歳を食った人間が、自分とは違う世代のことについて語る文章になっているからだ。
眉唾の先に生み出された駄文。
その駄文が、ブーメランとなって、自分の額に突き刺さるのだ。
ぐわあー。
おでこから出血多量でぐわわーとなっている今、ネットスラング「コーヒ吹いた」よろしく、自分のノートパソコンの画面が赤色で色濃く染まる。
そんな土曜日。
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