フレデリックというバンドがいる。
[ad]
一時期はオドループの一発屋でしょ、みたいなことを言ってる人がいたが、どうみてもそんなことはない。
今でもシーンに一石を投じる重要なバンドのひとつである。
で、すぐにバンドを一発屋呼ばわりするやつは、おそらく今Suchmosのことを一発屋呼ばわりしていたりする。この場を借りて言っておく。いや、あいつら、全然一発屋じゃないし。
それにしても、フレデリックは凄い。
いや、マジで神戸の武道館と言われてる(俺が勝手に言ってる)ワールド記念ホールをソールドさせちゃったわけだぜ?
地元とはいえ、あんな微妙な立地の会場をソールドさせるんだから、その人気たるや、凄まじいよなーという話で。
もちろん、これを読んでるほとんどの人はフレデリックが一発屋ではないことはご存知だと思うけれど、なぜ彼らは今でもシーンに一石を投じるバンドなのか、ということを簡単に説明できる人はそんなに多くないと思う。
この記事では、そんな微妙な部分を自分なりに考えていきたいと思う。
①独特の立ち位置
オドループのヒットによりその名を轟かせただけであって、未だにそのイメージを引きずりながらフレデリックを見ている人は多い。
お客さんに一体感を感じてもらいながら踊ってもらう、というのは今のフェスシーンでブレイクするための基本的なやり口のひとつで、結果として、フレデリックはその要素を上手に自分の音楽に落とし込むことで、人気バンドの仲間入りを果たした感はある。
けれど、その一方でフレデリックの立ち位置ってわりと独特だよなーと思う。
アルバムを聴けばすぐにわかることだが、フレデリックって、わかりやすくてキャッチーなナンバーだけでなく、妙にサイケな楽曲もあれば、すんごいクールなテンポ感の歌も多くて。
「踊れる系ロック」でフェスシーンに存在感を示したバンドとしては、かなり独特の佇まいなわけだ。
簡単に言えば、鳴らしている音楽の幅が広いという話になるんだけど、じゃあまとまりがなくとっ散らかっているかと言えば、そんなこともなくて。
どんな楽曲であれ「フレデリックっぽい」って感触を生ませることができるからこそ、彼らは凄いしヤバイわけであり、そういうセンスをずっと維持してきたからこそ、今でもシーンに一石を投じるバンドなのである。
[ad]
②変化を厭わない
まあ、フレデリックって、変な歌詞が多い。
人によっては、そんな歌詞を意味不明な歌詞なんて言うこともあるけれど、よく読めば、意外と批評性の高い歌詞だったりもする。
「オドループ」を作ったあとに「オンリーワンダー」や「リリリピート」みたいな歌を歌うのも批評性がすでに高いし。
けれど、なによりもポイントなのは、2015年にドラムが脱退してからの歌詞。
明らかにメッセージ性の強化に目を見張るものがあって「ハローグッバイ」なんて、ちゃんと目の前の人にメッセージを伝えるんだって意欲が凄く見える。
「TOGENKYO」なんかも、その時のフレデリックのモードをしっかり歌詞に落とし込んだ感がすごく強いし。
ここでポイントなのは、しかるべきにタイミングで歌詞のモードをチェンジをしているということ。
そして、ひとむの変化を上手にバンドの物語に組み込んでいくことで、他の要素にも良い変化を与えていたりすること。
例えば、ライブの魅せ方もフレデリックってその時の空気に合わせて変化している。
熱量高めのMCで、場を一体感にさせることを重視させていた時期もあれば、あえてほとんどMCはしないで、ぐっと音楽の世界に引きずり込むような魅せ方をすることもある。
観てないからわからないけれど、神戸ワールド記念ホールのライブだって色んな工夫をしてライブを魅せることだと思う。
ホールの特性を生かしたレーザー光線や照明、スモッグの炊き方や、映像媒体なんかも効果的に使うかもしれない。
音だけでなく、視覚的要素を丁寧に使い、曲ごとの間合いなんかも大事にする。
その他様々な要素を上手にカスタマイズしながら、フレデリックらしい世界観を作るんじゃないかと思うわけだ。
そう、世界観。
フレデリックってこれがしっかり固まっている。
この世界観の話はフレデリックの歌詞ともリンクする話で。
歌詞の書き方って、大きく分けると3パターンあるように思う。
①自分の経験を書く
②音に合わせて言葉をはめ込む
③想像力を駆使して、新たな世界観をつくる
で、フレデリックの歌詞って③の性格がすごく強くて、かつそこの想像力とかイマジネーションという部分が、他のアーティストと一味違うわけで。
そういう「他にはない世界観」をもったうえで楽曲を作っているからこそ、ライブの世界観もより固有性が生まれるし、他のバンドではできない独特の世界が生まれるんだろうなーと感じるわけである。
③家族みたいなバンド
まあ、実際双子のメンバーがいるんだけどさ。
ただ、この二人の関係性だって、面白くて。
ソングライターである康司は複雑なことを考えたり、わざとひねくれて物事を捉えたうえで楽曲を作ったりするタイプだけれど、それを歌う健司が素直でまっすぐなタイプである分、出力はわりとポップに出せている部分は大きいと思うのだ。
メンバー全員が気難しければ、ただただアンダーグラウンドなバンドになってしまうけれど、ふたりの双子が上手にバランスをとるため、「絶妙な落としどころの楽曲」を生産することができているのだと思う。
あと、フレデリックは2015年にドラムが脱退して、2017年に新ドラマが加入したが、脱退したメンバーとは今でも仲が良く、連絡をとってるらしい。
脱退したメンバーとも仲が良いということは、今いる他のメンバーだって仲が良いわけで。
この「仲の良さ」って、すごく大きいよなーと思うのだ。
なぜなら、音楽的なレベルでもしっかりコミュニケーションがとれていて、楽曲作りやライブの魅せ方においてもメンバー同士でしっかりと意見の共有ができていることを示すわけで。
結束、なんて言葉を使うと安っぽくなるかもしれないけれど、そういうことができているからこそ、オドループでバズったあとも変に気負いすることなく、自分たちの地位をちゃんと確立した上で、やるべきこと、目指すべきことが行えたんじゃないかと思うわけだ。
だから、今でもシーンに一石を投じるバンドでいるわけだ。
まとめ
メンバーがちゃんとコミュニケーションとれているからこそ、固有の想像力があるメンバーが作った歌を、絶妙なバランスで出力することかできている。
それは一回だけじゃなく、何度も何度も。
そして、その想像力はライブに魅せ方にもきちんと反映できているからこそ、フレデリックはカッコいいし、独特で凄いよね、っていう、そんな話。
[ad]