Mrs. GREEN APPLEの「ナハトムジーク」の歌詞が強く酷く突き刺さった件
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リリース直後は他の曲を優先して聴いていたこともあって、最近になって改めてじっくりと歌詞を聴いているMrs. GREEN APPLEの「ナハトムジーク」。
というのも、世の中の音楽ってビート感が良い音楽もあれば、音色こそが至高という音楽もある。
言ってしまえば、歌ごとに魅力が違うし、魅力が違うからこそ聴き方も変わってくるわけだ。
歌詞よりもサウンドやアレンジが好きだなという音楽はそのポイントを重視した聴き方をするし、歌詞カードを見ながらじっくり聴きたいと思う音楽であれば、そういう聴き方をする。
どっちが偉いとかは一切なくて、どういうところにこだわるのかという話だと思うんだけど、ことMrs. GREEN APPLEの作品に関しては、歌詞もしっかりとみながら聴きたいと思う作品が多い。
人によっては、Mrs. GREEN APPLEって明るくてキャッチーなバンドでしょ?という認識かもしれない。
確かにキャッチーかつカラフルなアプローチをすることも多い。
でも、Mrs. GREEN APPLEの魅力って、それだけではない。
特に歌詞。
Mrs. GREEN APPLEの歌詞って、内面の抉り方が痛烈なことも多いのだ。
あるいは、ネガティブな感情の掘り下げ方が深いものも多い。
最終的な歌の結論としてはポジティブな地点に着地するとしても、そこに辿り着くまでの道中がけっこう赤裸々なネガティブであることも多い印象なのだ。
大森元貴的にはどういう狙いをもって言葉を組み立てているのかはわからないけれど、自分が楽曲を聴いていると、そういう印象を強く受けるわけだ。
だからこそ、歌詞が刺さるし、歌の中でどう言葉を組み立てているのかが気になって仕方がない。
結果、歌詞カードをゆっくり見ながら楽曲を聴けるタイミングまで、Mrs. GREEN APPLEの新曲は置いておきたい、と思うことが多いのだ。
Mrs. GREEN APPLEの「ナハトムジーク」の話
で。
絶賛、「ナハトムジーク」を聴いているんだけど、今作も歌詞の描き方にぐっときてしまうのだった。
「ナハトムジーク」は、映画『サイレントラブ』の主題歌にも起用されており、タイアップとシンクロするような物語性のある歌詞である。
ただ、映画の話がどういうものかは置いといて、「ナハトムジーク」の歌詞と素直に接したとき、その歌の眼差しにただただぐっときてしまった。どこまでも大森元貴感があるなーと思ったのだ。
この楽曲の冒頭の歌詞は、
胸の痛み
喉を伝い
聲にならない
である。
ここが印象的だった。
確かにAメロの歌詞は、確かにサビでフラストレーションを爆発させるため、ネガティブ寄りのフレーズになることが多い。
でも、このAメロは、ただ単にサビのための布石、という感じではない印象を受ける。
端的なメロディーに、このフレーズを当てこむことで、描いているものがあまりにも大きいように感じるからだ。
フレーズとしては端的だし、そこまでたくさんのものを描写しているわけではないけれど、歌の中にどういう感情が宿っていて、リスナーのどういう感情と共鳴するのかが、これ以上言葉を費やしなくてもわかるような、そういう絶妙さがあるのだ。
楽曲の途中で、「僕らはヘタクソに生きてる」というフレーズが登場するんだけど、このヘタクソという言葉選びも切ないし、良いなあと思う。
大森元貴は聡明なアーティストだと思うし、深いところまで物事を考えるタイプなんじゃないかなと思っている。
少なくとも、生み出している作品性からは、そういう印象を受ける。
そして、色々なことを考える人間であるからこそ、見えている世界の描き方が素晴らしいなあと思うのだ。
余計なことが考える人であるが故の苦悩とかナイーブさが歌の中にあって、大森元貴の歌はそういう普通に生きていたら、なかなか気づかれることのない、特定の人が持つ内面の繊細さを的確に言葉にして、歌として表現している。
「ナハトムジーク」の1番の歌詞だけでも、そういう鋭さをどこまでも感じるのだ。
かつ、こういう視点の歌詞って、きっと同じような感情に気づく人でしか書けない言葉だと思っていて、細かいことは気にしないで!とにかく当たって砕けろだ!みたいなマインドのみで過ごしている人だと、なかなか出てこない視点だと思っていて、そこに、どこまでもザ・大森元貴感を覚える。
サビの歌詞も印象的で、
「抱きしめる」というフレーズが登場するから、ここからポジティブなパートにぐいぐい進むのかと思ったら、「触れ合えば」の修飾語として<強く><酷く>を使うのが秀逸だなーと思う。
<酷く>ってフレーズ、このタイミングではなかなか出てこないと思うんだけど、でも<酷く>がさらっと出てくるからこそ、この歌が描くべき感情の輪郭がより鮮明になる印象を受ける。
感情という本来なら目に見えないものを、なんとか世にある言葉で形作っていくうえで、よく使うワードだけではなかなか芯を食う描き方をするのは難しい。
でも、大森元貴はそれでもなんとか誠実かつ切実に表現するため、ひとつひとつのワードも選んでいるように感じる。
その結果として、あのタイミングで「酷く」というワードが登場してきたのかなーなんてことを思うのだ。
まあ意図はどうあれ、フレーズ単位も秀逸だし、ワード単位の選び方も秀逸だなあーと、「ナハトムジーク」を聴いて強く感じたわけである。
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ドラマチックに展開する楽曲
というのもあるし、今作は後半にかけて、どんどん盛り上がっていくアレンジが良い。
大森元貴が起点となりながらも、Mrs. GREEN APPLEの三人のメンバーが楽曲の枠組みを作っていき、バンド内に音もバンド外の音も然るべきものを取り入れていくことで、確かな音楽世界を作り上げていく。
「ナハトムジーク」を聴いて強く思ったのは、歌詞が描く感情の起伏の一致感。
歌詞だけ見ていると、このタイミングでどーんとなるといいなあというタイミングで、感情を爆発させるかのように、アレンジもどーんとなっていき、大森元貴が鮮やかなファルセットでメロディーを情熱的に歌い上げる。
この感じが、たまらない。
後半では、ギターもメロディーを奏でるようにソロパートを弾き切っており、楽曲のアレンジの劇的具合を最上のレベルまで引き上げていく。
1番は比較的しっとりしているからこそ、楽曲後半の畳み掛ける具合が印象的で、そういう点でも「ナハトムジーク」は、より刺さりやすい歌なんだよなーと感じる自分がいる。
まとめに代えて
Mrs. GREEN APPLEは、色んな歌を歌う。
ライブで盛り上がるような歌もあれば、しっとりと聴きたい歌もある。
「ナハトムジーク」においては、その音楽世界にどっぷり浸りたい歌だなーと感じた。
それは、大森元貴が全編額縁に飾りたくなるようなフレーズで楽曲を構成しているからだし、アレンジに妥協がなく不用意なパートが一切ないからだし、演奏や引き出しの量も含めてMrs. GREEN APPLEというバンドのレベルの高さがあるからこそだと思う。
改めて、Mrs. GREEN APPLEの凄さを実感している、そんな今。
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