秋山黄色の「SCRAP BOOOO」の感想。2023年の作品に触れて感じたこと
「蛍」のときも聴いて思ったけど、自分は今の秋山黄色の音楽が好きだ。
もともと秋山黄色の音楽が好きだったという前提があるんだけど、今年になって、より「やっぱり秋山黄色の音楽が好きだなあ」感が増したのだ。
なぜ、そう感じたのか?
今年リリースされた「蛍」と「SCRAP BOOOO」が好きだったから、というのがある。
では、なぜその2曲が好きだったのか。ここをゆっくり説明してみた。
というのも、自分の印象として、近年の秋山黄色の音楽って、良くも悪くも大衆的になっている印象だった。
タイアップも付いていたし、届ける範囲をどんどん広げている印象だったからこそ、言葉の選び方も楽曲構成も、どんどん間口の広がったテイストになっている印象だった。
しかし、昨年、とある事件が起きて、そのフェーズを完全に止める必要が出た。
結果、色んなものがリセットになったし、秋山黄色が生み出す音楽のテイストもある部分においては変わる必要が生まれた。
秋山黄色とスタッフの間で、どういう話があったのかはわからないが、少なくとも「これまでと同じ」ではダメだと判断しただろうし、その判断のなかで、「蛍」という楽曲と「SCRAP BOOOO」という楽曲が生まれたことは想像できる。
で。
その2曲を聴いて、自分はこういう秋山黄色の音楽が好きだなあと改めて感じたのだった。
秋山黄色が起こしたことは当然良くないことだし、この部分を肯定することはあり得ない。
でも、アーティストとして、起こしたこととどう向き合うか?それを作品に反映させるかどうか、反映させるとして、どのように反映させるのか?は個人的に気になっていたし、それが秋山黄色の良さを消す方向に進んでいたとしたら、自分は今年の秋山黄色の作品に何も思わなかっただろう。
でも、自分にとっては、それがなかった。
なんなら、今年の作品で、自分における秋山黄色の音楽的な良さが鮮明になった印象を受けたのだ。
というのも、秋山黄色は、自分が作品を聴いている限り、意図的に”過去”と”これから”に向き合いながら、言葉をしたためているように感じたからだ。
しかも、秋山黄色だからこその音楽的なアプローチを忍ばせながら、そこに書かれた言葉を強固にしている印象を受けたのだった。
秋山黄色の音楽性と「SCRAP BOOOO」の話
秋山黄色の音楽性を形容するとき、そのスタンスがとてもロック的である、という表現をすることがある。
秋山黄色の音楽って、率直に「自分の思っていること」を言葉に歌にのせて歌うダイレクトさがあって、だからこそ、刺さる人にはとことん刺さるというような面白さがあるが、それがロック的に映るケースが多かった。
そして、今年に関しても、その根本は変わらなかったし、鮮明になった印象を受けるのだ。
歌に書かれた言葉を素直に受け止めるならば、秋山黄色の色んな感情が歌の中に込められていた。
後悔していることはきちんと後悔していると歌に乗せる。
それによって生じた感情も(どう見えたら都合が良いのかということは一旦脇において)言葉にしている印象を受ける。
ポイントなのは、こういったら周りからみたときに綺麗に見えるだろう、という選択は頭にいれずに言葉にしている印象を受けたところだ。
人によって捉え方は異なるかもしれないが、秋山黄色の歌はどこまでも一人称の「俺」が際立っていて、だからこそ、真っ向から己の感情と己の意志を言葉にしている印象を受けたのだった。
結果、歌の輪郭がはっきりしていて、自分はその濃さみたいなものにぐっときてしまったのである。
また、「SCRAP BOOOO」って、わりとメロディーラインやアレンジはけっこう洒脱な雰囲気があって、秋山黄色の過去作でみても、たまに披露するタイプのタッチである印象だった。
でも、そのサウンドにのせて歌う言葉は、洒脱なサウンドに引っ張られた、耳障りの良い言葉ではない。
どこまでも、今の自分が思うことを率直にしている印象があった。
まあこの記事では、このフレーズってこういう意味だと思う!という野暮な指摘はしない。
けれど、秋山黄色のこの1年に何があったのかを知っているファンに向けて歌う歌詞なのだと考えたら、このフレーズをこのフレーズとして形成している意味性は、ずっしりしている印象を受けた。
「蛍」でもそういうトーンで言葉を紡いでいた印象だったし、「SCRAP BOOOO」でも、通底しているものを感じた。
だから、自分は突き刺さったのだった。
そこまで考えた時、もしかすると、今作はロック的というよりも、ヒップホップ的な楽曲とも言えるのかもしれない。
実際、ここぞのメロでは渾身のラップを披露している今作。
ラップを混じらせたメロディー構成にすることで、言葉を用いた情報量を過不足なく伝えている印象で、それが「SCRAP BOOOO」の歌の強度を高めている印象も受けたのだった。
まとめに代えて
色々あったことは確かだ。
その一方で、自分は秋山黄色が生み出す率直さが好きな人間であることも実感した一年だった。
当然、人によって捉え方や聴こえ方は変わると思うし、良いとか悪いとかいう話ではない。
でも、秋山黄色のそういうスタンスの、そういう音楽が自分は突き刺さったことは確かだし、これからも秋山黄色にはそういうダイレクトで率直で、でもメロディーやサウンドには洗練みも感じる音楽をどんどん生み出してほしいなあと、思った。
そんな一年だったのである。
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