サカナクションが映画「バグマン。」のために書き下ろしたシングル「新宝島」の歌詞について書こうと思う。

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前置き

この歌詞の特徴は、山口一郎にしては珍しく「夜」というモチーフを使っていない点である。

というのも、山口はこの楽曲の歌詞を書くために、普段は一切読まないという漫画を読み込んだという話。

バグマンは週刊少年ジャンプで連載していた漫画であり、あらすじを端的にいうならば、漫画家を目指す漫画家のタマゴの話である。

当然「夜」という要素はあまり関係ない。

山口一郎はその漫画を最初から最後まで読んだ上で、この歌の作詞をした。

だから、「夜」というワードは不要だと考え、結果、この歌詞にはサカナクションの歌にしては珍しく「夜」というワードが出てこない。

それを踏まえた上で、歌詞をみていこう。

考察

作詞:Ichiro Yamaguchi
作曲:Ichiro Yamaguchi

次と〜宝島

線というモチーフは漫画から引っ張られていることがわかる。

漫画を描くというモチーフを使いながら、映画のテーマである「夢を目指す」ことを表現していくフレーズ。

線を引き続けたというのは漫画を描く行為の言い換えにもできるし、夢を目指す最中の努力とも言える。

ちなみに、新宝島という言葉自体は漫画界のレジュンドである手塚治虫の作品のタイトルから引用されている。

また、夢という言葉はあえて使わず(もちろん、メロディに合わないからというのはあるだろうが)、新宝島という言葉を使ったのは、おそらく理由がある。

どういうものか?

漫画家あるいは表現者における夢って、過去のレジュンドでは成し遂げなかった「もっとすごい作品」を自分は創れると信じ、いつかそれを超えるものを作ってやるという野望を指すことがほとんどだと思う。

その「いつか」を夢見て、表現者はひたすらモノを作り続けるわけだ。

そうじゃなかったら、作品を作るモチベーションは最後まで持続しない。

で、そういう情熱も込められていることを示しながら「夢」というモノを表現したいと考えた時、「新宝島」という言葉がハマったのではないかと思う。

まあ、夢という言葉より宝島という言葉の方がなんか漫画家の夢っぽいやん!という理由だけで採用したのかもしれないが。

さて、サビのフレーズをみてみよう。

このまま君を連れて〜と決めていたよ

サビも引き続き「描く」というモチーフを続ける。

歌詞の意味を端的に説明すると「君と一緒に夢に向かって突き進んでいくよ」という、そんな意味合いになる。

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それでは2番の歌詞をみてみよう。

次も その次も楽しみ〜宝島

作品を作るという作業はあれでもないこれでもないと模索し続ける作業なわけだ。

一郎氏は作詞に時間をかけるアーティストであるが、たったひとつの単語を探すために、あれでもないこれでもないと頭を悩ませがちだ。

そんな営みを端的に言い表したフレーズになっている。

もちろん、これは作品を作る行為そのものだけでなく、夢を目指す過程の中で、ただ単に漫画家になりたいわけじゃなく、俺はこういう漫画家でありたいんだ!みたいな夢の道中の苦悩も表現したフレーズになっている。

こんな短いフレーズに色んなエッセンスを詰めているのだから、大したものである。

サビをみてみよう。

このまま君を連れて行くと〜と決めてたけど

ここだけ「描く」ではなく、「歌う」のモチーフに変わる。

歌詞全体をみても、ここだけは漫画家路線から外れており、全体としてみたら異端になっているが、これは一体どういうことだろうか。

これは最後のフレーズに繋がる話なので、ひとまず置いておこうと思う。

最後のサビのフレーズをみてみよう。

このまま君を連れて行くよ〜君の歌を

この歌詞は漫画家のことをモチーフにして書かれており、そんな歌詞の歌を俺は歌うと最後、山口は告白している。

「描くよ君の歌を」というのは、聴き手に対して向けられた言葉であり、急にメタな発言が出てきたことになる。

そして、それがこの歌の最大のポイントになる。

この歌は単にドラマ主題歌なのではなく、ドラマ主題歌もひとつのエッセンスにして、サカナクションのファンである君に聞いてほしい、これが僕たちの新曲なんだよ、というメッセージが込められているわけだ。

当然ながらサカナクションは漫画家ではなく、バンドである。

バンドがすることとは、曲を作ることであり、歌うことである。

そして、曲を作る上で最初にする作業は書く作業だ。

だから、この歌も冒頭は「書く」というモチーフから始める。そして、最後は「君に歌う」ことで完結する。

そうなのだ。

この歌は漫画家の歌であるフリをしながら、しっかりサカナクション(の営み)を歌った歌になっているのだ。

単に主題歌ありきの歌ではなく、ずっと先の未来になっても「サカナクションの歌」であるためにも、最後は歌うことで終わらせる必要があったのだ。

山口一郎にとって、タイアップはあくまでもサカナクションのステップとして見据えたものだからこそ、歌うことのイメージも歌詞に残したのである。

サカナクションは音楽業界の手塚治虫になるべく、新たな一歩を踏み出したのである。

いや、知らんけどね。
けど、僕はそう思ってる。

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