「遠征をするとお金がかかる」けど、よく考えたらそれって演者も同じなんだろうなあと感じた話
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自分は関西に住んでいるんだけど、お客さんとしてライブに行く場合、基本的に関西で開催するライブに行く。
関西にはライブハウスもあれば、ホールもあれば、スタジアムもあって、色んなタイプの会場が存在している。
そのため、多くのバンド・アーティストがツアーを組むとなれば、関西でライブをすることも多い。
結果、タイミングさえ合えば、基本的に観たいと思ったバンドやアーティストのライブは観ることができている。
これが、近辺に音楽ライブを行うための場所がないような場所に住んでいる方だと、そうもいかないことだろう。
観たいアーティストのライブに行こうと思うと、おのずと「遠征」をする必要が生まれる。
観たいライブに行くだけでも一苦労だ。
少なくとも、いわゆる都心の人に比べると、ライブに行くことのハードルは格段に上がるだろうし、一本のライブに行くためにかかる費用だって大きく変わってくる。
関西に住んでいる自分は、きっと人によっては「ライブに観れる機会が多い方だ」と思われるだろうが、それでも都心のそれと比べると、”機会”だけだと異なるケースも多い。
もちろん、拠点が関西のアーティストであれば、観られる機会は大きく増えるが、違う地域を拠点にしているアーティストだと様相が変わるし、母数だけでいえば、関東を拠点にしているアーティストが多いことは間違いない。
関東だったら実現するイベントも、違う地域だと実現しないケースは多い(特に海外アーティストを招聘するイベントだと、より顕著になる)
隣の芝は青く見える、の話なのかもしれないが、ライブを観に行くということに関しては比較的恵まれた環境にいる自分ですらも、あの辺にいるあの人たちは羨ましい・・・と思うことはよくある。
ライブ一本行くことですら、本当に色んな意味で気合いをいれないといけないという環境の人であれば、よりその思いは強くなるんだろうなあとも思う。
色んな演者が、色んな地域でライブをしてくれたらいいのに・・。
お客さん目線だと、そういう気持ちを持つことも多い。
でも、お客さん目線で、遠征すればお金がかかる、という事実を考えてみたとき、それって演者も同じことなんだよな、ということに気づく。
自分が拠点としているところ以外でライブをするとき、当然ながら交通費だったり宿泊費だったり、その他諸経費がかかることになる。
少なくとも、拠点の近所でライブをするよりは、遠征の方がお金がかかることは確かだろう。
かといって、お金がかかる分だけ「返し」が多くなるかといえば、きっとそんなこともない。
より交通費がかかる会場だから、そういうライブのチケットはその分チケット料金が高くなります・・・みたいなことは、現状のライブシーンにおいてまずないだろう。
そうなると、拠点の近場でライブをするときよりも、「利益を出す」に対するハードルが高くなっていく。
もちろん、「儲けたい」みたいなマインドで全国のライブをしているわけではないとは思うけど、かといって、継続的に音楽活動を行ううえでは、しかるべきマネタイズはしないといけないわけで、ある程度のシビアさはきっと存在すると思うのだ。
演者がどういうスタンスでライブをやるのか、その演者がどういう資金繰りの中でライブ活動をしているのかで、「遠征」のライブの存在感って変わってくるんだろうなあ。
そんなことを思うのである。
特に「動く予算」が大きいアーティストほど、遠征をすることによって「打たないといけないホームラン」の重要度は大きく変わってくるんだろうなあと思う。
どれくらいの黒字になるのかとか、どれくらいだったら継続的にライブを行えるラインなのか、みたいなことはわからないし、お客さんの一人である自分が考える必要もないことだとは思うけれど、きっと自分が思っている以上のシビアさがそこには存在しているんだろうなーと、ふと思ったりする。
だから、「わかった顔をしとくべき」みたいな話がしたいのではない。
お客さんの一人として思うのは、そういう中でも、遠征してまでして、自分たちの「街」にまで来てくれるバンド・アーティストがいるのだとしたら、それってすごく尊いことだよな、という話である。
まとめに代えて
都会の人が羨ましい。
とか
自分が好きなアーティストはなかなか地元に来てくれない
とか
ライブまわりにおける「距離」の不満って、どんな人も一定数は持っているかもしれない。
それでも、自分の(比較的)近くの「街」にまで来てくれるバンド・アーティストがいた場合、少なくとも自分が遠征をするときの「お金かかる・・・」を背負いつつも、それでもぶちかまいんだ、をもってきてライブをしてくれているんだろうなあと思うわけだ。
どっちの方が良いライブをするとかではないけれど、拠点から距離が遠いライブなのだとしたら、時間をかけてきたからこその熱量が宿っているのは確かだと思うのだ。
そういうライブを「地元の人間として観れる」立場にいるのだとしたら、それもまたひとつの尊さなのかもしれない。
ふと、そんなことを思うのである。
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