モッシュピットから漂う危険な誘惑の考察
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世の中には三通りの音楽好きに分類ができると思っている。
モッシュピットが好きなやつと、モッシュピットが嫌いなやつと、そもそもモッシュピットとは何かをわかっていないやつ。
ちなみに、自分は三者三様だと思っているので、どれが良いとか悪いとかはないし、どういう音楽が好きなのかによってモッシュピットへの理解度だったり、モッシュピットへの愛着度が変わってくるとは思う。
例えば、HAZIKETEMAZARE FESTIVAL 2023が今年のフェスの1番の楽しみです!!!!ってやつは、わりとモッシュピットが好きなやつが多いと思う。なぜなら、HEY-SMITHはモッシュをはじめたとして、アグレシッブなカルチャーを大切にしているバンドだからだ。
なので、自ずとモッシュを愛好しているファンが集まるのも理が通っていると言えるだろう。
一方、バンドによってモッシュのようなノリ方を好意的に思っているケースもある。
そういうバンドのファンだと、モッシュピットがあまり好きではなかったり、そもそもモッシュという文化すら認識していないというケースがあっても不思議ではないと思う。
なお、どんなイベントでもモッシュやダイブは容認していない注意書きが記載されるが、これは本当の意味でアーティストがモッシュやダイブをOKと思っているかに関わらず、法律とか大人の事情で、絶対に注意事項には記載することになっている。結果、これがルールを中途半端に建前にしてしまったり、参加者同士の誤解を招く結果になるので、微妙だよなーとは思うのだが、これはイベントの企画書をしかるべき機関に通す際にどうしても必要なことなので、どうしようもないことだったりする。関わっている法律は違うが、ライブハウスはドリンク代を取らないといけないという都合と似ている部分もあるかもしれない。
まあ、ここで話したいのはそんなことではなくて。
世の中にはモッシュピットが大好きなやつらも一定数いるわけだが、モッシュピットに好きなやつがいつだって全力でそのモッシュピットに入るのかといえば、ケースバイケースだったりする。
入ってきたモッシュピットの数が多いほど、モッシュピットの危険を身体に刻んでいるからだ。
特に○○のバンドのモッシュピットなら安心だけど、○○のバンドのモッシュピットはガチだから安易に近づくと大変なことになる・・・みたいなことを本能レベルで認識している。
過去の経験と己の今の状態を比較して、未来の自分がどうなるのかの想像を鮮明に思い描くことになるのだ。そのため、モッシュピット常連の人間ほど、息を吐くようなレベルでこんな戯言を呟くのだ。
「今日の○○のライブは大人見しとこ」
ダウト!!!!
「怒らないから言ってごらん」の次くらいに信用ならん発言である。人狼ゲームであれば秒で釣られる発言だし、Among Usなら即刻で通報される言い回しである。
なぜなら、この制限、当社比で9割以上の確率で守られることがないからだ。
この発言した人は結局自分の大好きなバンドが登場すると、あのモッシュピットにブラックホールでも存在するのか・・・・?と思われる速度で、吸い込まれていき群衆に飲まれることになるのである。
要は何が言いたいのかというと、モッシュピットが好きな人にとって、モッシュピットとはそれくらいに中毒性があるものだということ。
次の日にどれだけ大事な用事があって、なんとか体力をセーブしないといけないとわかっていても、その理性に抗うレベルで魅力が溢れるそういう要素なのである、ということである。人によっては、今年、はじめてライブハウスなりフェスなりでモッシュピットを見たという人もいるだろう。
人によっては驚いたし、面食らった人もいると思う。
イベントによっては建前じゃなくて「本気で」禁止しているケースもあるだろうから、もしかしたらそのモッシュピットが「良い」モッシュピットではなかった可能性も確かにある。
でも、どれだけ言葉を費やしてもモッシュピットをはじめたとしたアグレシッブなノリ方を愛好し、そういう文化を優先的に守ろうとするバンドがいて、そういうモッシュピットをはじめたとしたアグレシッブなノリ方に中毒的な魅了のされ方をしている音楽好きも一定数いる、ということは理解しておいてもいいのかもしれない。
そんなことをふと思う。
なお、どれだけモッシュピットを愛好しているバンドでも、周りに迷惑をかけるな、ということは口酸っぱく言っているはずで、よくそのことを「ルールは破ってマナーは守れ」と言う言葉で表現していたりする。
言い方は色々あるが、結局のところ、他人を思いやる気持ちは何よりも大事だよなーという話。
あとは、会場やフェスの種類などを踏まえながら、今回は「どっち」のケースなのかを考え、モッシュピットを大切にする類のそれなのであれば、モッシュピットという沼につかるのもまた一興なのかもしれないという、そういう話。
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