ねぐせ。というバンドがなぜ人気になのかを勝手に考えてみた
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プライベートで誰かに若い子に人気のバンドって何ですかねー?と質問された場合、最近よく名前の挙げるバンドのひとつとして、ねぐせ。がいる。
なぜ、ねぐせ。の名前を挙げるのかといえば、それだけ勢いがあるように見えるからだ。
ライブの倍率だったり、YouTubeの再生数だったり、フェスでの集客力だったり。
自分が見える範囲で観測しているだけでも、たくさんの人を魅了しているように思うし、きっとここからさらにその輪は大きくなるのではないかと思っている。
ところで、なぜ、ねぐせ。はこれだけたくさんの人に<刺さっている>のだろうか。
そこまで端的に「これだ!」と言えるものはないかもしれないが、この記事では、そのことを踏まえながら自分が思うねぐせ。の魅力を書いてみたい。
ねぐせ。の魅力とは?
自分がねぐせ。というバンド名をきちんと認識したのは、「彩り」を発表したくらいだったような気がする。
確かにこういう雰囲気のバンドっていくつもいるよなーと思いつつも、ねぐせ。には他のバンドにはない「何か」を感じたことを当時でもぼんやりと覚えている。
この「何か」をきちんと言葉にするのはちょっと難しいけれど、あえて言えば、めっちゃ歌の目線が等身大だな、と感じたことは覚えている。
どういうことか。
近年はサブスク社会ということもあって、昔に比べると、色んなインプットが容易にできるようになった。
自宅にいながらでも、海外の音楽にバリバリ刺激を受けることも可能になった。
そのため、自分たちの生活の圏外のカルチャーにゴリゴリに影響を受けるバンドも多くなったし、若くてもすでにサウンドが成熟していたり、荒削りな部分が見えずに技巧派路線まっしぐらなバンドも増えていった印象だ。
それはそれで良いことである。
・・・なんだけど、もし自分が10代で音楽を聴いていたら、そういった音楽は、もしかしたら<自分事>として刺さらなかったのかもしれないなーなんてことを思うこともあるのだ。
例えば、お笑いでいえば、真空ジェシカとか令和ロマン。
これらのコンビって、やっているボケの「背景」がわかる人にとっては、めちゃくちゃ面白い漫才をしているんだけど、その「背景」や「文化的知識」を持っていない人からすると、インテリっぽく見えるというか、<センスは良いよねー>みたいな言葉になってしまう。
それよりは、もっと自分でもわかるお笑い、もっと言えば自分にしかわからないお笑いをやってくれ、という気持ちになる。
ダウンタウンは当時の若者からすると、それをどストレートに行い、それまでのお笑いがスタンダートだと思う層からはヤイヤイ言われながらも、鮮やかに革新的にお笑いの常識を塗り替え、たくさんの人を魅了した。
目の前のそれが、自分と同じものであるかどいうか、というのはお笑いにおいても、音楽においても、けっこう重要だと思うのだ。
若い世代であれば、特に。
だって、初めてバンドにハマるときって、そのバンドが上手いからとか、技術的に優れているからとか、シーンにおいて明確な個性を放っているからとか、きっとそういうことはどうでも良いはずで。
初めてバンドにハマるときって、もっと直感的なことで、もっと素朴なことがきっかけだったと思うのだ。
そのきっかけの入り口となるうえで、自分は歌が紡ぐ目線が重要だと思っている。
で。
そう考えたとき、ねぐせ。の歌が紡ぐ目線って、すごく等身大な心地を覚えたのである。
「彩り」は、そんな歌のひとつだと感じたのである。
いや、まあ、別に自分はこの記事で書くような「若者」ではないので、本当の「若者」がどう思っているかは知らんけど、自分は勝手ながらにそんなことを思ったのである。
あと、もう少し楽曲の話をすると、わりとインディーズバンドの楽曲って、他のバンドと無理に差別化をはかろうとして、妙な展開だったりリズム展開を楽曲に入れることが多い印象を受ける。
んだけど、「彩り」って、すごく素直にバンドサウンドを鳴らしている気がした。
だから、歌を聴いている途中も、自分の意識が変な方向に寄り道しないのだ。
すーっと歌が入るし、すーっとアレンジも耳に入っていったのである。
だから、よく似たバンドはいくつも思いつく中で、当時の自分も確かにねぐせ。の歌が刺さったのだった。
特に自分は「愛煙家」という歌が好きなんだけど、この歌は、ギターのイントロからサビの雰囲気に至る間で、どことない人懐っこさを覚える。
パートごとにベースもドラムもパターンを変えながら音を鳴らしているけど、根本はめっちゃ素直なので、歌が入ってくるし、曲が頭に残るし、それ故何度もリピートしたくなるんだよなーと思ったものである。
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若者世代に刺さっているバンドだけど、懐かしさもあって
ねぐせ。は2023年になって、「愛してみてよ減るもんじゃないし」という歌をリリースした。
初期の楽曲に比べると、だいぶバンドサウンドがシャープになり、各々のトラックが洗練されている印象を受ける。
でも、売れたから変わった、な感じがしない。
歌が持つ眼差しは初期の楽曲から変わっていないし、今のところ、どれだけバンドのスケールが大きくなっても、バンドで完結できるアレンジで収録されている
Saucy Dogなんかもそうだけど、きっとストリングスを入れても映えそうな歌だったとしても、変に外部の音をアレンジに入れず、軸であるバンドの音をぶらすことはしない。
そこが良い。
ねぐせ。はもっとスケールの大きな活動をする「手」もありそうな感じがするが、きちんとステップを踏まえているというか、いきなりどかーんと大きなことはしない感じのスタンスなのも良い。
ライブハウスだったり、そういうバンドの根本みたいなものを大事にしている印象も受ける。
楽曲の音でもスタンスでもそういうものを感じるからこそ、今の若い世代の”邦ロック”好きに刺さるのかなーなんてことも勝手に思う。
というのと、ねぐせ。の歌とか音って、自分的にはどこか懐かしい響きを覚えるのだ。
「ベイベイベイビー!」だったり、「グッドな音楽を」だったり、「スーパー愛したい」だったり、ちょっと自分が音楽を好きになる道中で、いつの間にか久方ぶりに聴かなくなったバンドの音楽の香りを感じるのである。
いや、別に文字通り懐かしい音楽をやっているというわけではないし、古さは一切覚えない。
んだけど、楽曲を聴いていると、不思議とすごく懐かしい気分になるのだ。
音の感じとか、アレンジの節々とか、メロディーの流れとかで、そういうものを感じるんだけど、おそらく、それだけねぐせ。が真っ直ぐに自分たちが思い描く「バンド」の音楽を鳴らしているからなのかと思う。
思えば、このバンドはコロナ禍で結成されたバンド(のはず)なので、それまでのバンドと同じようなテンポではライブ活動ができなかったはずたった。
そんな中でも、着実にライブハウスで磨いてきたバンドだからこその空気を感じているのかもしれない。
〜なんて、そんな諸々を覚えるからこそ、ねぐせ。というバンドは、自分も含めたたくさんの人に刺さっているのではないかなーと思っている次第。
まとめに替えて
あと、自分が何回か観た中で、ねぐせ。はいつも楽しそうにライブパフォーマンスをしているのも印象的だったし、なんだかすごく眩しく写った記憶がある。
そういう部分も、たくさんの人を魅了させる要素になっているのかなーなんてことを思う。
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