コロナ禍でフェスが連続して中止になるなかで思うこと

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WILD BUNCH FEST.が中止になった。

一体、今年いくつフェスやライブが中止になったかわからない。

確かに<感染を抑えるための対応>として考えた場合、フェスやライブを中止にすることは妥当だと思う。

自分ももしかしたらそういう文化にまったく愛着のない人間だったら、軽い言葉で「今はそういう興行はやるべきじゃないでしょ」と言葉にしていたと思う。

もし自分が、感染が拡大をする要因を防ぐことを一番に考えないといけない立場の仕事をしていたとしたら、そういう判断をくだす側になっていた可能性だってあるよなあとは思う。

ただ、フェスを中止にする側からみた場合、そういう言葉では片付けられない要素がたくさんある。

フェスやライブエンタメを仕事にしている人は当然にいて、その人それぞれには生活があって、その人たちは全員<今>を生きているのだから。

コロナ禍によって、<価値を提供してお金を稼ぐこと>の<価値>が<悪いこと><ダメなこと><非道徳的な行為>として置き換えられてしまった職種の方って、きっと少なくないと思う。

フェスやライブエンタメを仕事にしている人も、そういう立場に置かれている人だと思う。

自分の本業は、仕事の場をリモートに置き換えたらとりあえず成立する仕事だった。

たまたまコロナ禍における仕事上での変化は、それだけで済んだ、そういう仕事の人もきっと多いと思う。

仕事をリモートに置き換えたら成立する立場の人が、自分がこのままお金を稼ぐために何をしたらいいのか、に使った知恵ってどれくらいなのだろうか、とぼんやりと考える。

<価値を提供してお金を稼ぐこと>の<価値>が<悪いこと><ダメなこと><非道徳的な行為>として置き換えられてしまった職種の方が、それでも何とかして自分がこのままお金を稼ぐために何をしたらいいのか、に使った知恵ってどれくらいなのだろうか、とぼんやりと考える。

少なくとも。

言葉として正しいのかはわからないけれど<フェス業界>の人がそこに投じた知恵の数、努力の数は、想像がつかない大きさだったことは確かだと思うのだ。

自分たちが積み上げたものの中で、経済活動をしないといけない。

しかし、感染防止が何よりも大切で、普通に今までどおりの活動をすると、そこはバッティングしてしまう。

そんな現実がある。

だから、その中でなんとかして折り合いをつけないといけない。

その<折り合い>を模索するために、1年半ほどそういう業界の人たちは、想像を絶するなかで試行錯誤を凝らしながら、ひとつひとつ丁寧に信頼を作り、プランを練ってきた。

そのように思うわけだ。

今年もたくさんフェスが中止になった。

その中で、いくつかのフェスは開催された。

開催されたフェスにおいて問題点がひとつもなかったかと問われると、安易にイエスとはきっと言えないと思う。

感染はなかったと主張したところで、報告をしていないところでかかっている人がいる可能性はあるわけだし、仮に参加した全員の具合が悪くなかったとしても症状が軽微なためにかかっていることに気づかず、知らぬうちに何らかの<感染>のお手伝いをしている・・・という可能性だって拭い去ることはできないわけなのだから。

そこまで責められるとしたら、難しいところがある。

ただし、それを生業としている人がいて、紛れもなく生活をしている人がいて、そこで生まれる価値を大切にしている人がいて、そのバトンを未来に最適な形で渡すことが必要だと感じている人がいて、それを遂行するためには、なるべくリスクを減らしてどうしたらいいのかを考えた中での応答としてのひとつなのであれば、評価されるべき内容はたくさんあると思うのだ。

そういった中でもがきながらも、「こういうやり方なら大丈夫かも」「少なくとも、評価はしてもらえるあり方」を模索してきたわけだ。

ただ。

悲しいかな。

フェスにおいては「こういうやり方ならできる」よりも、「こういうやり方だとしてもダメ」ということを積み重ねるばかりになってしまった。

「少なくとも、評価はしてもらえるあり方」、における風向きも残念ながら変わりつつある・・・トータルとしてみたら。

もちろん、クラスターが発生したらいけない中で、何かが起こる前にその可能性を消す、という判断は必要な場面もある。

中止に至るプロセスの是非は考える必要があるとは思うが、その判断が正しいか否かで択一されると<明らかにおかしい>といえるケースは、ほとんどないように思う。

でも。

結果として、フェスは「こういうやり方だとしてもダメ」が悪い意味で当たり前になってきてしまい、このままでは本当にこういう文化を未来に繋げることが難しい・・・そういう局面すらきていることは確かで。

今までとは別の意味で、フェスについて考えるべき内容は変わっているように思う。

あーあ中止だった残念・・・来年は開催されたらいいな〜くらいのテンションではいられない事態になっている事実は、確かにあるように思うわけだ。

「英断だ」という言葉だけではすまされない事態になりつつように、確かに思うわけだ。

もちろん、今がコロナのピークであり、来年からは緩やかな穏やかさを取り戻す・・・ということであれば見えてくる世界も違ってくる。

が、そうとは言えないエビデンスもいくつもある中で、そういう言葉のつぐみ方も厳しいものがある。

「こういうやり方だとしてもダメ」「「こういうケースだとしたらダメだったよね」が積み重ねた今、安易な希望に縋るのは色んな意味で厳しいなーと思わずには、いられないわけだ。

じゃあこうしたらいいやん、という希望を提示できたらいいけれど、なかなかに難しい局面があるし、それは未来にきちんとバトンが繋げるかどうか、というレベルの問題になりつつある。

あえてそれでもどうしたらいいかを考えるとしたら、フェスだったりライブエンタメというものに「価値」や「意味」を感じる人の範囲を少しでも大きくしていき、巻き込む範囲を増やしていくことしかないのかなーなんてことは思う。

もっとスケールの大きなものを巻き込むしか、方法としてはないよう思うからだ。

ただそうなるとやっぱり、信頼をうむための振る舞い・・・というのが重要になってくるよなーという話だったりするわけだけども。

・・・・とまあこうやって言葉を紡いでみたけども。

考えてみたところで上手い考えが出てくるわけではない、正直。

記事を書いている今も、きちんと考えがまとまっているわけではない、正直。

でも、フェスが好きで、ライブエンタメに色んな影響を与えられた人間からすれば、じゃあどうしたらこういう文化のバトンを未来に最適な形で渡せるのかは、できる範囲で考えたいと思うわけだ。

・・・・少しでも、希望を見いだせるような、未来の中に、そういう景色が作るために。

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