前説
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ライブに行ってきた。
久しぶりに生でライブを観てきた。
今回のライブは、どうしても制限がある中で行われているものだから、どこかしらにぎくしゃくしたものがあったのは、確かだけど、それでも生で音を浴びることの気持ちよさを改めて実感した一日だった。
配信ライブを行うバンドやアーティストが増えている。
それ自体は良いことだし、配信ライブならではの「おっ」と思うコンセプトを用意する人もいる。
ただ絶対的に思うのは、配信ライブは生のライブの「代わり」にはならないということ。
だって、両者はまったく別のものだから。
とはいえ、ライブを知らない人からしたら一緒じゃんと思う人もいることだろう。
では、この記事では、そのことについて書いていきたい。
本編
配信ライブと生のライブの違い
言い出したら色々あると思う。
音のクオリティーだって全然違うし、配信ライブは映像が安定しないことが多いし、こっちがどれだけ叫んでも相手にその声が届くことがないという距離感の違いもあるし。
ただ、生のライブを改めてみて感じたのは、空気を共有できないことだと思う。
演者と観客が同じ空気を共有できないということ。
もっと言えば、観客と観客が同じ空気を共有できない断絶感が致命的に大きいように思うのだ。
どれだけ聴かせることに重きを置いたパフォーマンスをするアーティストでも、アーティスト内でパフォーマンスが完結することはありえない。
音を投げれば何かしらの反応があって、その反応を受けて観客がリアクションをする。
そういう双方向なコミュニケーションというものがライブにはあるのだ。
音を聴いてもまったく身体でリアクションをせず、ずっと腕組みしながら音楽を聴くという人も中にはいる。
が、「ずっと腕組みをする」ということも、ライブにおいては大きなリアクションになるのだ。
そのリアクションの意味をどう受け取るのかはケースごとに違うと思うが、それでもそれは演者に向けたメッセージになる。
「自分はあなたの音楽に身体を動かすほどの興奮を感じません」というメッセージになるかもしれないし、「身体を動かすことを忘れるほどライブに心が奪われている」というメッセージになるかもしれない。
まあ、なんにせよ、動かさないということも演者に向けて発するコミュニケーションの一環になるということである。
一方、配信ライブの場合、そこが無になってしまう。
少なくとも、即時的なコミュニケーションを取ることは困難になる。
将来、ライブと同じような速度感のコミュニケーションをリモートでも行えるようなテクノロジーが開発される可能性はあるけども、少なくとも、今はそれができないわけだ。
また、コミュニケーションというのは身体的な動きだけではない。
例えば、MCをしてまったく反応がなくて「スベった」としよう。
ライブにおいては、こういう「あ、今スベった」みたいな空気を観客全員が共有することも重要になってくる。
良いか悪いかは別にして、そういう積み重ねがその日にしかないライブの景色を作り上げていくのである。
だが、配信ライブだと、観客から伝えられる情報は大きく遮断されてしまう。
どうしても演者からの一方通行的なコミュニケーションに陥ってしまうのである。
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コミュニケーションだけの話ではない
冒頭ではコミュニケーションの話ばかり行ったが、空気を共有するというのは音そのものの話にも繋がる。
例えば、ボーカルがマイクを通じて空気を震わせて音を鳴らす。
それと同じ空間の空気を耳に入れて聴くのと、違う空気から放たれる似たような揺れの音の響きを耳に入れるのとでは、全然違うのである。
上手く言葉にすることは難しいけれど、同じ場で鳴った音と、違う場所で鳴った音では聴こえ方も響き方もまったく違うのである。
自分が先日見に行ったライブは、いわゆるアグレッシブなパフォーマンスを積極的に要求するバンドが少ないイベントだった。
なので、比較的音源だったり配信ライブだったりとの違いは少なく感じるのかなーと思ったが、もちろんそんなことはなかった。
その理由を一言で表すなら上記に結論付けられる。
この聴いている音の揺れる場所の違いが、とても大きく感じたのだった。
当然ながら、ダイブやサークルやモッシュを起こさせるバンドや、演者が観客になだれ込んで特攻するバンド、あるいは積極的にコールアンドレスポンスを行うバンドなんかだと、よりその違いは鮮明になってくることだろう。
普段やっている当たり前を封じられた状態でライブを観ることを強要されているのだから、当然の違和感である。
何度も言うが、配信ライブと生のライブはまったく別のものなのである。
まとめに替えて
自分は大阪の人間で、現状の大阪は、とりあえずルールに従えばライブはやっていいという感じになっている。
そのため、ライブの開催が決定されているイベントもいくつかある。
ただ、まだ予断を許さない状況は続いており、いつ世論が「ライブなんかやるんじゃねえ」という空気が加熱するかはわからない。(今でもそうかもしれないが)
(その決断が正しいか正しくないかはさておき)ライブはするなという判断を政治レベルで決定されてしまう可能性だって十分にあるし、そうなると予定していたライブを中止にしないといけなくなる可能性だってある。(まあ、ライブで感染者が出ているということは、それ以外の場所でも同じ検査を受けたら同じ程度の感染者が出る可能性が高いので、一部をスケープゴートにして自粛することに意味なんてないと思うし、休止を要請は、最低限の保証があっての話だと思うけども)
また、現状の空気だったらまだライブに行けないやと思っている人だって多いだろうし、職業的に今自分はリスクをおかせないという人だってたくさんいると思う。
ただし、生のライブはやっぱりまったく違うわけで、生のライブを楽しめる未来にしたいと思っている人が多いとは思うのだ。
コロナに関して言えば、ウィルスに対抗できる薬ができるまでは状況が変わらないだろうし、医療現場にいるわけでもない自分は「あとどれくらいでこうなるのか」という問いに対して答えを出すことはできない。
政治的な判断の良し悪しは置いといて、重要なのは、そういう今ならコロナなんて恐れるに足らんとなったときにも、きちんと音楽を鳴らすことができる場がなんとか形として保てるようにすることだと思う。
ライブができる場所や環境を継続性のある形で運用していくことが重要であり、その積み重ねが、いつかやってくる「みんなが生のライブを楽しめる未来」にたどり着けるのだと思う。
生のライブの良さを改めて実感したからこそ、そういう未来の尊さを改めて実感した次第である。
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