それでもクソサイトを更新し続ける理由

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先日、Xのタイムラインをぼんやりと眺めていたら、誰かがBASEMENT-TIMESの最新記事のリンクをリツイートしていた。そこで、その記事のリンクをクリックして、記事を読んでみたら、その記事のケツに「今後、このサイトを更新することはもうない」というようなことが書かれていた。

BASEMENT-TIMESについては、人によって色んな意見があったサイトだったなーとは思うけれど、大きなインパクトを与えていたテキストメディアが、ひとつのケリをつけている様子をみると、テキストメディア(というほどのものではないけれど)を運営している人間としては、なんとなく寂しさを感じてしまうのだった。

まあ、BASEMENT-TIMESの更新をしなくなっただけで、各々が別の活動をするようになったという話で、要は”フェーズが変わった”という話なのだと思うんだけど、その記事を読みながら、では自分はそれでもなぜブログを更新しているんだろうと、ぼんやりと考えるようになったのだった。

そういえば、上記とはまったくの別件ではあるんだけど、ある日とある人から「なぜ未だに、ブログ(というオワコン)を毎日更新しているの?(意訳)」を訊かれたこともあった。

確かに、思う。

ブログなんて、インターネットが始まった初期の初期の媒体だよなーと。

昔のインターネットは、今よりも秩序がなくて、カオスな空間だった。

初音ミクとかが出てくるずっと前の、YouTubeよりもニコニコ動画の方が勢いがあった頃の、お金を稼ぐための手段とか場所というよりは、匿名のよくわからん誰かが「おもろいもの」を意味なく投稿するための、禍々しい空気を放った場だった。

なんとなく、インターネットのコンテンツを楽しんでいる、と友達に言うのが恥ずかしい時代もあったし、自分はわりとそういう時代のインターネットの雰囲気を摂取しながら、大人になった実感もあった。

でも、そこから時間が経って、インターネットは開かれた場所になっていき、スマホの普及をもって、インターネットはたくさんの人の生活に密着した場所に変化した。

合わせて、インターネットで手軽に扱える情報は増えていった。

今では写真や動画も手軽に投稿・閲覧ができる情報になった。音楽に限って言えば、アクセスすれば定額で何でも聴けるものになっていった。

そういう変化の中で、ブログは確かにインターネットにおけるメインの媒体ではなくなった。わざわざ更新する人も減ったし、WEBに漂うメディアの多くはゴミのようなこたつ記事に置き換わることも増えていった。

もちろん、Xをはじめ、テキストを通じてコミュニケーションを取る、という行為は今後も緩やかに続いていくとは思う。

閲覧したいテーマによっては、今後も長文テキストのありがたみが消えることはないとも思う。

が、こと、音楽というテーマに関しては、今後、よりいっそう長文テキストの価値は下がっていくんだろうなあ、と思っている。

今年ヒットした音楽を見渡してみても、その多くがTikTokを出発点としていることが多かった。

TikTokの良し悪しは人によってあるとは思うが、たくさんの人に音楽を届けるための方策は何か?という点だけで考えるならば、TikTokが果たす役割は、あまりにも大きい。

今度も音楽においては、動画>写真>テキストという順番の影響力になるだろうし、動画であれテキストであれば、なるべく短くてわかりやすくてインパクトが強いものが優先的に「目につく」流れになっていくのだろうなあと思う。

もし”バズる”を意識する場合は当然そうだろうし、閲覧数・視聴数を稼いだものが正義という世の中であるならば、そのシステムにハック的にアプローチする人がどんどん出てきて、それが「目につきやすい」流れになっていくのだろうなあと思う。最近、Xのバズるツイートにクソリプが沸くのも、その流れの一端だ。

でも、仮にそういう風に世の中が変わっていくとしても、なぜか自分はテキストメディアを更新し続けている。

いやまあ、わりとブログで書きたいことはなくなりつつあるし、初期の頃にブログを更新していたときと今とではモチベーションもマインドも違うので、もっと将来的には更新していくかどうかはわからないんだけど、でもまあ、もうちょいは続けていこうというマインドではいる。今は。

それは自分がこんなクソサイトを続けてきた結果、いくつもの縁を育むことができたから、ということが大きい。

サイトで紹介していたことがきっかけで、○○の音楽を聴くようになったという声を聞くこともあれば、好きだった音楽に新たな視座を与えてもらった・・・みたいな声を聞くこともあったこともそうだし、ライブイベントを企画するようになったのも、ブログを通じた縁が出発点である。

なので、TikTokみたいな大きな影響を与えることはないとしても、今後も、マイペースに「自分が思う良い」を言葉にして、ブログに記事掲載できたらなーと思っている。

話は変わるけれど、今年は個人的に色んなことにチャレンジした一年だった。

インタビュー記事も掲載したし、WEB・紙両方の音楽メディアで仕事もしたし、ライブレポの仕事も受けたし、テレビにも出てみたし、某ショッピングモールのイベントでトークイベントを行ったし、ラジオにも出てみたし、ライブイベントも行ったし、自分以外の人と協力してライブイベントを行ったし、関東と関西の両方でライブイベントをやったし、年末に行ったライブイベントは完売することもできた。

自分は器用な人間ではないので、チャレンジした結果、微妙な結果を残すことも多かった。

んだけど、いわゆる”コロナ禍が開けた”と言われた今年において、色んなことをする意味が強くあるなーと思っていたので、今後根付くかどうかはともかく、今年は色んな方向でチャレンジしたのだった。

人によっては、崇高な想いをもって、己のメディアを更新したり、ライブイベントを企画したりしている。

そういう人に比べれば、自分は、そこまで崇高なる想いを持っているわけではない。

けれど、それでも、ひとつ思うことはあって。

自分が少しずつ歳を重ねていくにあたって、将来、何年も何十年経ったときも、ちゃんと音楽が生活に根付く土壌があればなーという想いはある。

それは日常的に音楽を聴く、ということもそうだし、ライブハウス的なもの、フェス的なものが末長く続いてほしいなーという想いもあるのだ。

今って色んなエンタメに簡単にアクセスてきる世の中だから、意外と音楽が趣味という人って少ないと思っている。ライブハウス・フェスで音楽を聴くという趣味だって、今はある程度の”パイ”があるけれど、時間が経過するとどんどんその規模が小さくなる恐れがある。

そうなったとき、自分が好きなものがなくなってしまう恐れ、というのはある。

それがマジョリティーである必要があるとは思わないが、その文化が末長く続くための土壌は作っていきたいなと思っている。

まずは音楽というものが趣味である人をちょっとずつ増やしたいという「点」の作業。

そして、好きな音楽がひとつある人はライブハウスなりフェスなりで音楽を楽しむという「点」から「線」への拡張。

そのための入り口を作るための一端・・・みたいなことは、これからもできたらいいなあと思っている次第なのである。

それがやりたい、というよりは、続けるのであれば、そういうことに繋がるような形で関わりたいなーという、そういうマインドがぼんやりとあるのである。

まとめに代えて

まあ、それをやることが目標なら、やっぱりブログの更新が軸じゃなくてもいいなーというのはあるかもしれないが、やる人が減っているからこそ、自分はその城はある程度は大事にしたいというマインドがある。

そして、その城を持ちつつも、「上記のため」にアプローチを、自分ができる範囲で自分の活動を拡張できたらいいなーというマインドがある、という話。

・・・なんだかややこしいことがあったけれど、今年の年末は良い形でイベントを行うことができたと思っているので、お客さんからしたらワクワクできて、演者からしたら「出たい」と思ってもらえるようなライブイベントを企画したり、音楽の点とか線を作れるための何らかの活動ができたらいいなーなんてことを思っているというそういう話。

・・・なんてことを12月31日もいい時間になってきたので、今年はこの記事を締めくくりにしようと思います。今年もこのブログをちょろっとでも読んでもらった皆様、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします!それでは、良いお年を!

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