最近、音楽ジャンルをめぐる喧嘩をよく目にする気がする。
やれ、これはHIP-HOPじゃないとか、こんなのがPOPSなんてありえないとか。
まあ、それぞれの言い分はある程度わかる。そのジャンルが好きだからこそ、簡単には譲れないものがあるのだろうし、何でも一緒くたにされたら違和感を覚えるのも理解できる。
ただ、そのやりとりを見ていると、そもそも同じ言葉で同じものを指しているのだろうか、と思うことがある。
音楽のジャンルを形容する言葉って、人によってけっこう使い方が違う。仮に使い方が同じでも、その言葉からイメージしている音楽が全然違うこともある。
そこが揃っていないまま「これは違う」「いや、これもそうだ」と言い合っても、そりゃ話は噛み合わんよなーと思うわけだ。
例えば、HIP-HOP。
人によっては、ラップ=HIP-HOPくらいの感覚で使っていることがある。
自分の感覚だと、ラップはまず声や言葉をどうリズムに乗せるかという表現方法の話で、HIP-HOPは音楽ジャンルや、その背景にあるカルチャーの話なので、重なる部分は大きくても、そのままイコールにはならないと思っている。
ラップを取り入れた楽曲だからといって、それだけでHIP-HOPだと決まるわけではない。逆に、ラップの聴こえ方が全然違う楽曲でも、それぞれHIP-HOPとして捉えられることはある。
そして、ラップそのもののイメージにも、人によってかなり幅がある。
ラップバトルで耳にするような言葉の応酬だったり、R-指定のラップからイメージするようなフロウだったり。そういうものを思い浮かべる人もいると思うけれど、それがラップの全てかといえば、そんなことはない。
例えば、千葉雄喜のラップに、僕はある種の侘び寂びというか、語りのような味わいを感じることがある。そういう言葉の置き方や声の響かせ方も、ラップの魅せ方のひとつだと思うのだ。
「歌う」にもいろんな魅せ方があるのと、そこは似ている。
さらりとスマートに歌うのも、がなるように歌うのも、どちらも歌の表現である。もちろん、そのうえでどちらが好きかはあるし、同じ歌い方の中で「この人のここがすごい」と感じることもある。
ただ、自分の好きな魅せ方と違うからといって、それだけで「これは歌じゃない」とはならないはずだ。
ラップについても、自分が思い描くかっこよさと、目の前の表現がラップであるかどうかは、少し分けて考えた方がいいんじゃないかと思う。
さらにややこしいのは、ジャンルの名前が、音の鳴り方だけを指しているとは限らないことだ。
HIP-HOPという言葉ひとつでも、ビートやリズム、ラップのあり方など、音楽的な特徴に目を向けて使っている場合がある。一方で、その成り立ちや歴史、受け継がれてきた美学まで含めて使っている場合もある。
音楽ジャンルとしてのHIP-HOPと、カルチャーとしてのHIP-HOP。
もちろん、この2つはきっぱり切り離せるものではない。ただ、同じ言葉を使っていても、どちらに重心を置いているかで、話はかなり変わってくる。
ある人は「こういう音が鳴っているからHIP-HOPだ」と言い、別の人は「その音を使っているだけではHIP-HOPとは呼べない」と言う。
そのとき、片方は音の特徴を話していて、もう片方は、その音にどう向き合っているかを話しているのかもしれない。
しかも、カルチャーの話をすれば全員の認識が揃うかといえば、そうでもない。どの時代や地域の表現に親しんできたのか、何を大切な美学として受け取ってきたのかによって、また見え方は変わると思う。
だから、知識があるかないかだけで片づけられないし、「人それぞれだよね」で済ませられない話だったりもする。その言葉で何を語ろうとしているのか、もう少し具体的にしないと、同じところをぐるぐる回ってしまう。
POPやPOPSもまた、そういう難しさのある言葉だと感じる。
例えば、「この曲はポップだね」と言うとき。
ある人は、メロディーがキャッチーで、一度聴いたら口ずさめるようなところを指しているかもしれない。別の人は、音の明るさや軽やかさを指しているかもしれないし、いろんな人に届きそうな親しみやすさを指しているかもしれない。
一方で、「POPSをよく聴く」と言うときには、そういう曲の特徴というより、自分が普段聴いている音楽のカテゴリーを指していることもある。
同じような言葉だけど、曲の性質の話をしているのか、ジャンルの話をしているのかで、けっこう違うわけだ。
だから、ロックの楽曲に「ポップなメロディー」を感じることもあるし、HIP-HOPの楽曲を聴いて「めっちゃポップだなー」と思うこともある。
でも、そこで「ポップ」をジャンル名として受け取る人がいれば、「いや、これはHIP-HOPでしょ」という返事になることもあると思う。
曲についてそこまで違う感想を持っていない場合でも、使っている言葉の受け取り方が違うだけで、対立しているように見えてしまうこともあるわけで。
また、POPSに何を求めるかで、「POPS」という言葉が指すものが変わることもある。
例えば、親しみやすいメロディーであってほしいとか、口ずさめる楽曲であってほしいとか、幅広い人に届く楽曲であることが前提とか、時代や社会をちゃんと反映できている楽曲であればこそPOPSだとか。
各々が考えを持つこと自体は、良いことだと思う。
ただ、「自分はPOPSにこうあってほしい」が、いつの間にか「こうではない音楽はPOPSではない」になってしまうことがある。
音楽ジャンルの喧嘩を見ていて、思う。
知識量や考え方が違う人同士で、音楽ジャンルを語るのは難しいよなーと。
でも、もちろん、だからって、ジャンルの話なんて不要だとは思わない。
名前があるからこそカテゴライズできる。
カテゴライズできるからこそ、切り分けて、音楽を受け止めることができる。
本当にジャンルがなくなって、分ける物差しがなくなったとき、きっと想像以上に混沌として、リスナーそれぞれが困るというか、逆に音楽の楽しさが半減することになってしまうと思うのだ。
例えば、最初は同じように聴こえていた音楽も、聴き込むうちに「こっちはリズムが面白い」「こっちは言葉の置き方が好き」と違いが見えてくる。そうすると、自分が何に惹かれているのかも、前よりわかってくる。
「分ける」感度があるからこそ、楽しく音楽が聴けるという話。
聴き込むほど、それまで気づかなかった違いが気になってくる。その違いが面白くなってくると、ひとまとめにはされたくなくなる。
ジャンルにこだわる気持ちって、そういう楽しさの裏返しだったりするわけで。
音楽を楽しむために違いがわかるようになって、その違いが大切だからこそ、ひとまとめにされると何か言いたくなる。そこまでは、自分もけっこうわかるのだ。ただ、相手はまた別のところを面白がって聴いているのかもしれない。
だから、喧嘩することは微妙だなーと思う一方で、ジャンル分けそのものの受け止め方って大事だよなーなんてことを思う。自分が面白いと思っている違いを、面白さとして伝えられたらいいんだけどね。そんな感想。






