特定音楽好きは、なぜTikTokで好きな音楽が変なバズり方をすると、もやっときてしまうのか?

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自分が子どもの頃はTiktokというものはなかったが、確かに自分にとってかけがえのない音楽が、自分の生息している界隈とは異なるマジョリティに見つかったことになって、<かけがえのなかった音楽>が<消費されるもの>になってしまった、というケースはあったなーと思うのだ。

もちろん、Tiktokでバズる=必ずしもそうなるというわけではないし、どんなアーティストだってメシを食う以上は一定数以上の母数の人に聴いてもらうことで”売れる”必要はあると思うが、そのアーティストの音楽をかけがえのないもの、と感じている人にとって、それが喜ぶべきことなのか、は微妙である、というケースは確かにあると思うのだ。

売れなかったことでメシが食えなくて、バンド活動を辞めてしまったバンドってたくさんいる。
もし正当に評価されていたらとか、もっとたくさんの人に気づかれていれば、と思うこともたくさんあったし、その<気づく>きっかけはメディア露出だろうが、タイアップだろうが、SNSのバズだろうが、何でもよかったのかもしれない、と思うこともそれなりにはあった。

でも、そういうケースがある一方で、自分の望んでいた方ではない消費のされ方でその音楽が広がってしまい、それまではとても大切だったはずのそのアーティストや、そのアーティストの音楽が、自分にとっては大切ではなくなってしまった、というケースもあるように思うのだ。

別に後者なんて、その人にとってのエゴでしかないと思う。

アーティストからすれば、きっとそれって<余計なお世話>な範疇の話だよなーとは思う。

でも、自分もリスナーという立場だけで考えたとき、確かにそういうケースって何度もあったよなーということを思うわけだ。

だからこそ、聴き手のボリュームが多いところの好みに合わせて、自分の音楽の個性を変えてしまう・・・というようなことをせずに、自分のこだわりをずっと貫き続ける音楽にブッ刺さるという人も一定数いるんだよなーということも思うわけである。

そして、このご時世において、音楽が<作品>から<消費されるもの>に移行してしまうきっかけとして、Tiktokが存在感を示すケースって確かにあるよなーと思うわけだ。

音楽をわざわざ<作品>として楽しむ人間の方が、きっとマイノリティーであり、作品に対してこういう楽しみ方は”アリ”で、こういう楽しみ方は”嫌だ”というような立ち位置をキメるやつなんて、時代錯誤的であるとは思う。

でも、うっかり自覚したときには、そういう側の人間であることを知ってしまった場合、もうそれはどうしようもないことだと思うし、そういう側の人間になってしまったのだとしたら、そりゃあ大方における”音楽を消費するような楽しみ方”には、拒絶しちゃう反応が出てしまうんだよなーと思うわけだ。

それは正しいとか、正しくないとかの話ではないと思う。

アーティストのことを思えばとか、そのアーティストが音楽を続けるためには・・・とか、そういう行儀の良い言葉で片付けられる感情でもないとは思うのだ。

そういう”側”の人間だからこそ、どうしても捨てることができない、どうしようもない自分の価値観なのだと思うから。

もちろん、アーティストごとにどっちにベットするのかというのはあると思うし、どっちにベットしから正しいとか間違いとかではないし、アーティストが変化していく過程の道中で引き裂かれるような想いをすることだってあって、それは理性とか理屈で片付けられる話でもないとは思うのだ。

そういうのは、自分にとって納得できないのだから仕方がない。

きっと、そういう話なのだとは思うし、そういう人にとって、自分の好きな音楽やアーティストがどう社会において存在しているのか、という立ち位置もすごく重要な話なのだから。

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