前説

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バンドをたくさん聴いていると、毎年必ず聞こえくるニュースがある。

それは、解散や活動休止という報告だ。

もちろん、中には肯定的な意味合いをもつ活動休止もあるが、この言葉が持つ重みというのは、やはり大きい。

ただ、仮に歩みをとめることになっても、それまでに作られてきた音楽はいつまでも残り続ける。

その音楽に救われた人にとって、その音楽はいつまでも宝物のように輝くはずなのだ。

もっと言えば、解散をしてからだって、その音楽に出会う意味では決して遅くはない。

自分でいえば、THE BLUE HEARTSなんかは熱心に音楽を聴く頃にはとっくに解散をしていたけれど、THE BLUE HEARTSの音楽に心をときめかされたシーンは何度だってあった。

そういう思いも込めて、この記事では、今年、解散や活動休止を発表したバンドを紹介したいと思う。

本編

グッドモーニングアメリカ

2019年秋に活動休止することを発表し、2020年春には活動休止に入ったグッドモーニングアメリカ。

活動休止に際しての本人たちのコメントを読む限りでは「またやるつもりでいる」という想いが綴られている。

内実はどういう気持ちでいるのかわからないし、メンバーそれぞれできっと思うところはあるのだろうと思う。

一時は日本武道館でライブをやったこのバンドは、はっきり言うと、ロックフェスの客の世代交代の波をもろに受けた印象がある。

彼らが日本武道館のステージに立ったのは、 2015年11月27日。

今から5年前である。

このブログを始めたのも5年前なので、この辺りの音楽シーンは自分的にも印象深い。

そう。

当時のロックシーンにおいて、グドモの勢いはすごかったのだ。

安定感があったし。間違いない盛り上がりをみせていたし、笑いと感動を体現するライブの構成は流石の一言だった。

でも、客層が変わる流れの中で、グドモというバンドの光の当たり方が変わった。

これは、確かだと思うのだ。

昔の曲を聴けば、良い音楽をたくさん作ってきたバンドなんだよなーと改めて思う。

きっとこの活動休止がバンドにとって良いものに変わることを信じて、今は次の報告を待つばかりである。

関連記事:もう一度、みんなグドモを聴いてほしい

Brian the Sun

活動休止という言葉は、やはりショッキングである。

でも、その発表に伴って出されたメッセージに、ここまで良い意味で期待できるバンドもそうはいないと思う。

もちろん、その言葉にある真意は発表されたコメントと、少し違う部分もあるのかもしれない。

それでも、はっきりとこのバンドはきっとまだまだ何かを起こしてくれるはずというエネルギーみたいなものが、発表されたコメントから満ち溢れていたのだ。

ストレートでシンプルにかっこいいロックを鳴らしてきたBrian the Sunだからこその、ある種の飾らなさみたいなものをその言葉から感じられたのだ。

きっと、いくらか時間が経ったのに、もっとかっこいいやつを食らわせてくれるはず。

そのとき、Brian the SunはHEROESになるのかなーなんて思っている。

シャムキャッツ

時代にとらわれず、自分たちのやりたいことをマイペースにやり続けるバンド。

そういうイメージだったシャムキャッツ。

だから、活動のペースは変わりつつも、ずっとシャムキャッツは活動するんじゃないかと思っていた。

もちろん、彼らの発表したコメントを読む限りでは「こんなご時世」にならなかったら解散を選ばなかったのかなーなんて思うし、音楽活動をするうえでは必ずしもネガティブな理由で解散をしたわけでもない。

メンバーはそれぞれ、きっとこれからも良い音楽を鳴らすはず。

枠にハマり「「動きを制限することを強いる」バンド音楽が多い中で、シャムキャッツの音楽はどこまでも自由だった。

耳をすましたくなるような、心地よいギターの音色。

ポップだけどロックの全体的な装い。

過不足のない音構成と、柔らかいボーカル。

そういうスタンスのバンドだからこそ、こういう選択も選べたのかなーなんて思ったりするのだ。

なにより、シャムキャッツの音楽は、きっとこれからも語り継がれる。

そういう類の音楽だって思う。

こんなにも素敵な曲を生み出すバンドがいたんだぜって感じで。

誰かが作る○○年代のベストみたいなのに、きっといつまでもしぶとく入ってくるような、そんな音楽を生み出してきたバンドだから。

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東京カランコロン

東京カランコロンというバンドでてきる事をやり切った

それを理由として、解散を発表した東京カランコロン。

東京カランコロンは色んなモードのときがあって、人によってどの時代が好きなのか分かれるバンドだと思う。

自分は2010年代前半の頃に一番よく聴いていたので、その頃の楽曲が印象深い。

いちろーを中心に個性的な五人が生み出すカラフルかつクセのあるサウンドは、いつも頭の中に残るのだった。

自分は「走れ、牧場」がかなり好きでヘビロテしていたんだけど、きっとこの頃から、いわゆる邦ロックを聴いてきた人にとって、東京カランコロンの音楽はどこまでも眩しかったはず。

メロディーはキャッチーなのに、演奏は(ある種)荒ぶっている。

そんなバンドの代表格だったから。

そういう彼ら彼女らに心を掴まれた人は多かったはずなのだ。

言ってしまえば、かわいくてかっこいいバンドだったのだ。

UMEILO

たぶん誰だって思ったはずだ。

その選択は早すぎるよ、と。

これからのバンドなのに、なんでそんな決断をくだすんだよ、と。

解散の際に発表された「メンバー間で生まれた相違」というのは、こちら側ではわからないことである。

ただ、聞き手の一人として言ってしまうなら、そんなの勿体ないよ・・・という言葉に尽きてしまうのだ。

これが何の可能性も感じられない凡庸なバンドの選択ならきっと何も言わない。

けれど、可能性しか感じさせない瑞々しいバンドによるまさかの発表だったから、ついついそういう言葉を述べてしまうのだ。

でも。

「高空」をはじめ、間違いない楽曲を生み出したという歴史だけは確かに残る。

生み出した音楽は、きっといつまでも残るし輝き続ける。

この音楽が刺さった人にとって、その音楽は何年、何十年経っても輝き続けるのだから。

短い間だったかもしれないけれど、UMEILOという確かなバンドがいたという事実が消え去ることはないし、その音楽に揺さぶられた感情はいつまでも残り続ける。

それだけは、確かなのだから。

まとめ

バンドは生き物なんてよくいうセリフだ。

バンドが生き物である以上に、我々だって生き物なわけで、来年もなんなら来月も明日だって「同じ」ような形がくるなんてわからない。

どんなものにだって終わりがあるのだから。

いつかくるはずの終わりに後悔がないようにする。

こういう記事を書くと、そんな当たり前の事実が、とても大事なことに改めて気づくのだ。

こんな時代だからこそ。

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