前説
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どんな人にもクセってある。
動きのクセもあれば、見た目のクセもある。
良いクセもあれば、きになってしょうがないクセもある。
なおした方が良いクセもあれば、そのまま方がいいクセもある。
人間ってわりとそういうところあるよなーと思っていた日曜日、僕は霜降り明星の漫才をみていた。
そして、霜降り明星の漫才を見ている時に、僕はあることにふと思った。
粗品がツッコミをするとき、妙に左手にクセがあるよなーと思ったのだ。
粗品が笑いをとるフレーズでツッコミをするとき、ほぼ間違いなく左手を前に突き出している。
これは、粗品の「キメの動き」なのだと思われる。
この左手を突き出す動きが単なる粗品のクセなのか、狙ってわざとやっているのかは僕は知らないけれど、絵的な意味でクセがあることは間違いない。
そもそも、漫才におけるツッコミをするとき、ボケの方ではなく、カメラ目線になるツッコミってあまりいないような気がする。
粗品がすると、それは当たり前の形となるけれど、他のツッコミが同じことをやれば間違いなくクセが強いツッコミと評されることになるだろう。
手の動きにクセの強いアーティスト
アーティストでも手の動きにクセがある人は、たまにいる。
自分の中で真っ先に頭に浮かんだのが平井堅だった。
MVだとちょっと分かりづらいかもしれないが、音楽番組での歌唱をみていると、平井堅はものすごく右手がよく動く。
本人曰く、メロディーの高低に合わせて右手は動いているらしい。
高音を歌うときは右手が大きく上がり、低音を歌うときは右手が下がり気味になるらしい。
要は、右手の動きで音程を取っているらしいのだ。
右手の動きの仕組みを知っていればそうなんだーという感じになるけれど、内実を知らない人からすれば、右手の動きにクセがあるように映りがちである。
瞳を閉じても、その動きは焼き付いてしまいがちである。
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他にもクセの強いアーティストはいる
何かしらの部分でクセの強いアーティストっている。
「瞳を閉じて」を紹介したので、その流れで紹介したいのが「君の瞳に恋してない」という歌でもおなじみのUNISON SQUARE GARDEN。
音楽番組において、平井堅は右手の動きにクセの強さを感じさせたが、UNISON SQUARE GARDENのベースは身体全体の動きにクセがある。
UNISON SQUARE GARDENのことをある程度知っている自分からすれば、ベースのその動きは「いつものこと」で済まされるけれど、あまり彼らのことを知らない人からすれば、その動きはクセそのもののように映ることだろう。
でも、UNISON SQUARE GARDENはそういうことを気にせず、パフォーマンスするところが良い。
音楽番組に出る歳も、よそ行きの格好などせず、全力で「いつもどおり」の動きをしている。
こういうところが良いよなーと思うし、クセのある動きも話題性を作ろうというマーケティング的な発想ではなく、単純に音楽をプレイしている楽しさが爆発した結果がああなっているだけっていう、純粋無垢な動機がよいよなーと思うのだ。
クセの強さ、というテーマでもうひとつ頭に浮かんだのがMr.Children。
桜井さんは息継ぎをするとき、左に顔をそむけることが多い。
これは、息継ぎの音がマイクに入らないようにするためだと思われるが、ここまで露骨に素早く頭を動かして息継ぎをするボーカルはあまりみない。
そのため、一見すると、左側を過剰に気にしているように見えてしまうわけだ。
これも捉え方によっては息継ぎの「クセ」と捉えることもできる。
わけだけど、あれだけ頭を素早く動かしても一切歌が乱れない桜井さんは凄いよなーと思う。
エレファントカシマシの宮本浩次に至っては、クセがどうのこうという指摘がバカバカしくなるほど、身体全身でエネルギーに満ちた動きを披露する。
ライブはもちろん、音楽番組でも、その要素を全力で突きつける。
その全力さが、歌のあらゆる部分ににじみ出ているからこそ、宮本浩次の破天荒な動きは全てがアリになるんだろうなーと思うのだ。
50歳を超えても、そういうナリが消え去ることがないのが本当にすごい。
クセも重要
動きの部分におけるクセをいくつか紹介してみた。
でも、どの人たちにも通底して言えるのは、他の人がやればただのクセになるようなものも、そういう次元のものじゃなくなっているということ。
なんせ、その人たちが芸を磨くうえでつくられた要素であるわけで、単なるクセとかそういうチープなものなのではなく、表現をするうえで重要な「動き」になっているんだろうなーと思うのである。
芸を研ぎ澄ませた結果生み出し、その芸が完璧な状態になるうえで生まれた「それ」は、クセなんてものではなく、圧倒的な個性なのだということだ。
もし、これがマーケティング的な発想で生み出された他人との差別化であったり、その芸を魅せるうえで邪魔になるような「動き」であるならば、微妙な映り方をするんだろうけど、ここで紹介したものはそういう次元とはまったく違うものなんだよなーという話である。
逆にいうと、目に見せる個性というものは、鍛錬に鍛錬を重ねた結果、いつの間にか生み出されるものなんだろうなーとも思ったりするのである。
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