ライブが終わるたびに思うこと。

え、今のライブって、マジで2時間あった?

ま????

そういう感覚。

開演前はそれなりに長かった待ち時間に対して、その倍以上あるはずの本編は秒で終わってしまうという現実。気づけば「最後の曲です」と言われる、唐突なMCの残酷さ。

もちろん、「楽しかったから一瞬に感じたんだ」で話は終わるんだけど、ライブで高揚しているときの時間経過って、それだけでは表現できない独特さがある。だって、友達と遊んでいる「楽しい」とは比にならない時間の溶け方をするから。マジで賭博のときのお金とおんなじ。

なぜライブの体感時間は秒で溶けていくのか。

そんな考察を、時間知覚、予測処理、報酬系、身体同期、記憶形成という脳内考察のギニュー特戦隊を持ち出して、本気出して考えてみた。

そもそも「2時間」と「体感5分」は矛盾しない

「どれくらいの長さだったか」と「どれくらい速く過ぎたように感じたか」は、実は違う。

というのも、心理学では、出来事が何分続いたと思うかという「長さの判断」と、時間が速く流れたか遅く流れたかという「経過の判断」は、別のものとして扱われる・・・らしいからだ。

だから、ライブ後に「何分くらいだった?」と聞かれたら、さすがに「5分」とは答えない。1時間半とか2時間くらいだろうと理解している。それでも感覚としては「もう終わり?」となるわけだ。

ややこしい話だが、「2時間あった」と「5分で終わった感じがする」は、同時に成立するわけで、いつだって、時間の長さの見積もりと、時間が速く過ぎた感覚は必ずしも一致しない。

脳内には時計が一つだけある、というより、「いま時間がどう流れているかを感じる処理」と「あとから出来事の長さを組み立て直す処理」がある、と考えてもいいような、そんな脳内処理が人間には備わっている。

「時間の長さを誤認した」というより、「時間の流れを監視していた自分が消えた」に近いのかもしれない。

脳内のリソースがライブに奪われる

時間の流れの感じ方には、時間そのものへどれだけ注意を割くかが関わる。短い画像提示を使った研究では、時間への注意が少ないほど、時間は速く過ぎ、長さも短く判断された・・・らしい。

また、事前に時間を測ると知らされた課題に限れば、別の課題の認知負荷が高いほど時間を短く見積もりやすいことが、117実験のメタ分析で示されている・・・らしい。

そんなベースを踏まえたうえで、ライブ中の「注意資源」がどうなっているかを考えると、見えてくるものがある。

ライブ中って、「音を聴く」「歌を追う」「演奏を見る」「照明が変わる」「映像が動く」「次の曲を予想する」「知っているイントロに反応する」「知らないアレンジに驚く」「演者の表情を見る」「腕を上げる」「跳ぶ」「周囲とぶつからないようにする」「暑い」「楽しい」「泣きそう」「やばい」「興奮して吐きそう」エトセトラ。

そんな感じで、常に脳内がどえらいことになっていて、たくさんのものを並列で処理している。だから、「今、開演から何分経ったか」を監視する脳内の優先順位が限りなく下位になっていて、結果、時間の経過が早く感じる、という理屈が成立する、気がする。

ライブという存在が、色んな方から脳を刺激するから、脳内のリソースを奪っている、という言い方ができるかもしれない。

逆に言うと、時間が遅いと感じる場面を考えると、だいたい退屈が側にいる。

会議が終わらない。

電車が来ない。

ライブ前の待ち時間。

そういうシーンの場合、不思議と目の前の出来事への刺激が少なく、時間そのものへ注意が向く。だから、時間が長く感じる。

一方、好きなアーティストのライブでは、次の一秒がこちらの注意を更新し続ける。不可逆的な高揚の連続が、「いまを取りこぼしたくない」と、注意を一心に引きつける。

音楽は「予測→ズレ→更新」を高速で回す

脳は音楽をただ受け取っているわけではない。拍、コード進行、メロディー、曲の構造を手がかりに、数秒先を絶えず予測している。

「次はあのフレーズが来る」「ここで一度溜める」「そろそろサビに入る」。

好きなアーティストならその予測がとにかく精密になる。そのうえで、ライブではテンポ、間、音色、歌い方、アレンジが音源と微妙に違っていて、「わかっている」と「わからない」の両軸から絶え間ない刺激が降り注ぐ。

予測どおりなら流れを追える。予測から外れれば注意が引き戻される。そして、その結果が次の予測材料になる。

生演奏を使った実験では、情報理論モデル上で予測しにくいとされた音の箇所ほど、主観的な覚醒や自律神経反応が大きかった・・・らしい。ライブはこの「予測→ズレ→更新」のループを、ほぼ休みなく回し続ける装置になり得る。

ここで重要なのは、驚きがあるから時間が直接短くなる、という単純な話ではないことだ。短い音楽刺激の実験では、速いテンポの刺激は遅いテンポより長く判断され、同時に、より高覚醒とも評価された。だから「BPMが速いほど時間も速くなる」みたいな説明は成立しない。

予測と更新の連打が注意を音楽へ固定し、時間を監視する余白を奪う。その間接経路のほうが、ライブの体感時間を5分にするわけだ。

報酬はサビの瞬間ではなく、「来るぞ」の時点から始まっている

脳内の報酬系が動くと、どえらいことになる、とよく言われる。

強い快感をもたらす音楽を使った研究では、音楽を聴いているとき、線条体の報酬系が活動することが示されている。面白いのは、快感のピークを待っている段階と、実際にピークへ到達した段階で、関与の強い領域が異なっていることだ。

なので、報酬処理は、「サビが来た!」の瞬間だけではなく、「そろそろ来るぞ」の時点からすでに始まっている。

また、報酬系が扱うのは、快いと感じることだけではない。欲しがることや、予測から学ぶことも含まれる。この仕組みは快楽そのものの同義語ではなく、報酬の予測、学習、動機づけを調整する重要部品、と考えたほうが近い。

ライブでは、一曲の中で何度も予測と回収が起こり、それが曲ごとに繰り返される。さらに次の曲、MC、アンコールまで報酬への期待が途切れない。時間を数えるより、次に何が来るかを待つほうへ、脳の処理がずっと持っていかれるわけだ。

ライブは耳だけでなく、身体と他人まで処理に巻き込む

音源を一人で聴く場合と違い、ライブでは音楽が身体へ侵入してくる。

低音を腹で受ける。ビートに合わせて動く。呼吸が変わる。腕を上げる。周囲の歓声で感情が増幅される。同じタイミングで何百人、何千人が反応する。

コンサート観客を対象にした研究では、心拍数、皮膚電気活動、呼吸数、身体運動の時間変化に、観客間の同期が観察された・・・らしい。ただし、吸気と呼気のタイミングまでは同期せず、同じ音楽への似た反応でも同期は生じうる・・・らしい。

いずれにしても、会場では、入力される刺激も、身体で返す出力も増える。さらに、周囲の反応が視覚や聴覚から新たな入力として戻ってくる。ライブは、耳だけで完結する鑑賞よりも、注意資源を占有しやすい条件を大量に備えている。だからこそ、時間という概念に構う余裕がなくなるとも言える。

まとめに替えて

……と、ここまで時間判断の二重性、注意資源、予測誤差、報酬系、身体同期、イベント境界などを持ち出して、できる限りの論理武装をしてきた。

が。

端的に結論を述べるなら、ライブの体感時間が秒であるのは、こういうことなのかもしれない。

ドーパミンがえげつないから。

全世代をドパ「ガキ」に導く強烈な刺激が、ライブには備わっている、そういう話なのかもしれない。